来訪者

 彼女はいったい何をしに来たのだろう? 服装から察するに僧侶のはずで、そういう人達は癒しの術に長けているから、薬屋に来ることはほとんどない。むしろ、薬屋に来ることを恥だと認識している節さえある。病気や怪我は自分の力で治すのが僧侶のポリシー、という感じ。

 僧侶でも手に負えない重大事件でも起きたのだろうか?


「あなたは、あのときの……あ」


 魔法の灯りでほんのりと照らされている彼女が、ふと恥ずかしげに目を背ける。

 何かと思ったら、俺、今半裸状態だった。セリーナはもう俺の裸なんて見慣れてこういう恥じらいは見せないから、初々しい反応は新鮮だ。


「あー、こんな格好で悪いね、ちょっと暑くて」

「い、いえ、急に訪問してしまったのはこちらですから……。お取り込み中のところ、申し訳ありません……」


 暑かったから脱いでたんだよー、的に軽く誤魔化したが、全てお見通しらしい。別にいいけど。浮気中に突入されたわけでもあるまいし。


「とりあえず、薬屋に用事だよな? 店主は奥にいるから、ちょっと中で待ってくれる?」

「あ、はい……。えっと、店主さんは、女性ですか?」

「うん。そう。男しかいないところに呼び込んで、あんたを襲うとかしないから安心して」


 ほぼ使い切って襲う余力も残ってないしなぁ、とか言わないけれど。

 いや、逆に男しかいない空間で俺がこういう格好だったら、むしろ女性としては安心か? 人によってはたぎりそう? まぁ

、いいや。


「それでは……失礼します。こんな夜中にご対応いただけるなど、本当にありがとうこざいます。難しいだろうと思っていましたが、来てみて良かったです」

「その辺は店主に言っといて。じゃ、どうぞ」


 招き入れて、扉を閉める。彼女は少し不安そうにしていたから、鍵は開けたままにしておいた。


「……あなたは、薬屋の店主さんと、どういう関係ですか?」

「お察しの通り、恋人だよ。近々結婚も考えてる」

「なるほど……。でも、まだ未婚なんですね……」

「ああ、うん。肩書きとしては未婚だ」

「……そうですか。こんなことを言って良い立場ではないのですが……いいですね」

「ん? 何が?」

「まだ未婚なのに、もうそういう関係ということでしょう? 私は……そういうわけにはいきませんから」

「ああ、そういう話か」


 ラミラト教では、結婚前の性交渉は禁止である。この女性は、その決まりを律儀に守っているようだ。でも、本当はそういうことに興味があって、結婚前でも経験したい……と。あんまり考えると変な想像しかできないから、程々にしておこう。


「……あなたからすると、こんな決まりを守っていることは、よほど滑稽に映るのでしょうね」

「まぁなぁ。そんな堅苦しく考えなくていいのにとは思うよ。それに、そっちがどう考えてるかわからないけど、結婚相手を選ぶ要素の一つとして、体の相性ってすごく大事だと思う。相性がいいか悪いかで、その後の人生の幸福度って全然違ってくるよ」

「……でしょうね。でも、敬虔な信徒からすると、それはあまり重要ではありません。何せ、性的な接触は子孫を残すために仕方なくすることであって、幸福の追求のために行われるものではありません。相性が良かろうと悪かろうと、生涯に交わる回数がごく僅かであれば、あまり関係のないことです。

 むしろ、相性が良くない方が、あえて自制して交わりを断つ必要がなく、自然と交わらなくなるので、都合が良いのかもしれません」

「そういう考えもありか……」

「ああ、でも、今はこんな話をしに来たのではありません。店主さんにご相談があるのですが……」

「もうすぐ来るよ」


 それからすぐ、身だしなみを整えたセリーナが店頭にやってくる。


「……事情はわかっていますが、この光景だけ見ると暴漢が女性を襲おうとしている風ですね」

「そう言うなよ。俺も服を着てくるよ」


 俺は一度奥に引っ込んで、さっと服を着てからまた店頭へ。

 二分ほどで戻ったわけだが、まだ話は進んでいないらしい。


「俺がいなくても話を進めてくれてよかったのに」

「……念のため確認ですが、この女性はどなたですか? 漏れ聞こえたところでは、お知り合いだったようですが……」


 おっと、セリーナの視線が若干鋭いぞ? 何か妙な疑いをかけられているが、そんな意味深な関係では決してない。


「まだ名前も知らない相手だよ。今日、ギルドで会ったんだ」


 今日の出来事をざっくりと説明。ただの他人同然と知って、セリーナも多少落ち着いたようだ。ただ、ああまたどうせこの女性も……みたいな目で見られて、俺は反応に困った。この女性とどうなるつもりもないよ? 本当だよ?


「申し遅れましたが、私、ソリディナより参りました、イルエです。見た目の通り、ラミラト教の僧侶をしております」

「わたくし、ラウルの恋人で婚約者のセリーナ・ファラスです」


 セリーナがイルエを睨むのはわかるとして、イルエもそれに対抗している雰囲気なのはなんだろう。俺とは今日出会ったばかりだよね? 何も深い意味なんてないよね?

 先に目を逸らしたのはイルエで、やや視線を下げつつ、用件を話し始める。


「こんな夜分遅くに申し訳ありません。その……通常では考えられないような、とても珍妙でぶっちゃけ頭のおかしいお願いがあるのですが……」


 お? 言葉が崩れたな。よほどの何か思うところのあるお願いらしい。


「……なんでしょうか?」

「男性の勃起を抑える薬をいただけませんか?」

「……は?」


 イリエの目から生気が抜け落ちている気がする。セリーナとの睨み合いをやめたのは、単に面と向き合って依頼を口にするのが嫌だったからかもしれない。


「こちらとしても、本当に意味不明で神様とやらを一発ぶん殴りたくなるお話だとは承知しておりますが、それがないと収まりがつかないので、どうにかしていただけませんか?」

「ええと……そういう薬も、作ろうと思えば、作れます。でも、そういうのは一部の受刑者などに密かに盛られる毒であって、一般的には使用されません……」

「……そうですか。通常の使用用途についてはさておき、それをいただきたいです」

「うーん、薬屋としましては、毒に分類されるものを気軽にお売りする事はできません。事情を教えていただけませんか? たとえば、『夫が性欲盛んすぎて困っている』という女性から、そういう薬を所望されることはあります。そういう事情がおありですか?」

「……どうしても、お話ししないといけませんか?」

「はい。使用用途を間違えれば、男性が『不能』になってしまう可能性もありますし、使いすぎれば生殖器以外でも体を壊してしまう可能性があります。最悪、寿命が縮みます」

「そうですか……。では、お話ししますので、どうかこのお話はご内密に……」


 はぁぁ、と深い溜め息を吐いて、イルエが事情を話し始める。

 それは、笑うべきなのか、哀れむべきなのかわからないお話で、俺とセリーナは非常に反応に困ってしまった。

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