夜の散歩と……

 日が暮れたら寝るのが通例なこの世界では、夜の散歩はかなりのイレギュラー。街灯もないし、安易に外に出るのは危険でもある。ただ、危険なのは戦う力のない一般人の話で、俺くらいの実力があればさほど気にすることはない。


「悪いけど、スラミとリナリスは先に寝ててくれ」

「むぅ……。仕方ないなぁ」

「……その寂しがり女は、大事にしてやらないとすぐに拗ねてしまうからな。まぁ、頑張ってご機嫌取りをしてきてくれ」


 リナリスの物言いに苦笑しつつ、カナリアラにも軽く断りをいれる。


「今夜はゆっくりくつろいでくれ。二階に空き部屋があるから好きに使ってくれていい。他に何か必要なら、スラミに訊いてくれればわかる。ここにいるのは気のいいやつばかりだから、緊張しないでいいぞ」

「はい。わかりました。ありがとうございます。……ええと、いってらっしゃいませ、ご主人様?」

「カナリアラはうちの使用人じゃないんだから、ご主人様なんて呼ばなくていいって。じゃ、また明日な」


 ひらひらと手を振って、セリーナと共に家を出る。

 太陽はもう沈んでいて、空には僅かにその残滓が残る程度。それもほどなくして消えていく。

 夜の町はとても静かで、世界に二人だけが取り残されているかのよう。セリーナとならそれもいいかなと思うのは、特にスラミに悪いかもしれない。

 さておき。


「流石にちょっと暗いな……」


 月明かりはあるけれど、人間の目には暗すぎる。魔法の灯りを宙に浮かべたら、のんびり歩くには十分な視野が確保できた。

 セリーナと手を繋ぎ、ゆっくりと歩き始める。


「……それで、わざわざわたくしを一人で呼び出すなんて、何か後ろめたいことでもあったのですか?」

「待ってくれ。何故いきなりその発想になるんだ? 後ろめたいことでもないと、俺はセリーナと二人きりにならないと思われてるのか?」

「あれ? 違うんですか? 急なお話だったので、何かやましいことがあったのかと思いましたが?」


 薄明かりの中で、セリーナがニヤニヤと愉快そうに笑っている。俺をからかって遊んでいるようだ。


「何もやましいことはないぞ」

「本当ですか? ラウルにそのつもりがなくても、リナリスさんからキスされたとか、カナリアラから滞在費は体で払うと約束されたとか……」

「セリーナの中で俺はいったいどんな人物になっているんだ……。本当に何も起きてないよ」

「本当に、何もないんですか?」


 セリーナがじぃっと俺を見つめてくる。いつの間にか随分と信頼を失ってしまったものだ。


「俺はただ、セリーナと歩きたかっただけ」

「……そうですか。なら、素直に喜んでしまいますね? 後になって、実はこんなことがあったとか言われたら、わたくしも怒ってしまいますよ?」

「大丈夫。何もやましいことはない」

「わかりました。では、今日のは本当にただのデートだと思って、楽しみますね?」


 セリーナが満面の笑みを浮かべ、俺にピタリと寄り添う。腕に押し付けられるたわわな膨らみに、下半身に力が入る。あとでゼリーナのお店に寄っちゃおうかな。

 

「……あとで、お店にも寄りますよね?」


 さりげなく誘導しようと思ったが、セリーナの方から誘ってくるとは。これは朝までしっぽりいってしまうかもしれない。


「うん。寄ろう」

「フフ。楽しみです。せっかくなので、ゆっくりしていきましょう」

「だな」


 セリーナがそっと俺の股間に手を当ててやんわりと擦る。あれが反応してしまい、歩きづらくなった。夜道には人がめったにいないので、こんな大胆なことをしても咎める者はいない。


「もうこんなですか。今夜はたくさん楽しめそうですね?」

「うん。期待してて」

「はい。期待してしまいます。……想像したら濡れて来ました。先にお店に行きますか?」

「お、いいね。行っちゃおうか?」


 セリーナがいつになく積極的で、俺としては嬉しい話。

 確かに、お店への送り迎えなどで二人きりになる機会もあるのだが、人も増えたし、いつもどこか時間に追われている感じもある。他の人のことを忘れて二人だけで過ごす時間は確実に少なくなった。

 まだ付き合ってさほど経っていないのに、寂しい思いをさせてしまっているのは申し訳ない。今夜はたっぷりと愛情を注ごう。いや、特に卑猥な意味はないのだけれど。……そんなことはないか?

 お店までの道すがら、セリーナは甘えるように言う。


「ラウルはこれからまた色んな女性を連れ込むのでしょうけど、こうして二人きりで過ごす時間はできるだけたくさん作ってほしいです」

「連れ込むって……間違っちゃいないか……。そりゃ、もちろんセリーナとの時間は確保するよ」

「お願いしますね。わたくしだって、我慢してる部分はあるんですからね?」

「……だよな。こんな俺だけど、一緒にいてよかったって、思ってもらえるように頑張るよ」

「はい。期待しています。……こんなこと言いますけど、皆がいて賑やかなのは楽しいんですよ。周りを不快にするばかりの性悪な女性を連れてくるわけではありませんし。

 リナリスさんがわたくしを目の敵にしてきますが、ネチネチとしつこく攻撃してくるわけではありません」

「リナリスのあれは、たぶんちょっと屈折した遊びだから。大変かもしれないけど、我慢してやってほしい」

「そうですね……。気を抜けないところはありますが、わたくしを本気で追い払おうという意思までは感じません。多少歪んだ戯れの一種なのでしょう。

 緊張感を保つのも悪いことではありせんし、だんだん面白くも感じてきました。頑張って応戦します」

「セリーナばかり負担かけてて、悪い」

「わたくしばかりなんてことはありませんよ。ラウルだって頑張っているではありませんか。

 わたくしのことを大事にしてくださって、皆のことも気にかけて。

 ソラの雰囲気は少しずつ柔らかくなっていますし、リナリスさんは息抜きを覚え始めたように見えます。イヴィラとラディアが順調に人間の街に馴染めているのも、ラウルが逐一彼女達の疑問に答えたりしているからです」


 イヴィラ達の世話は、確かにかなり大変だとも思う。人間社会のことをほぼ知らない子供に、一から全部を教えるのは時間も手間もかかる。『お金って何? どうしてそんな金属片に価値があると思ってるの?』などと訊かれて、お金の仕組みを相手が納得するまで説明するのも一苦労。『神様なんて人間が作り出した幻想でしょ? なんでそんなものに熱心に祈りを捧げてるの?』とか宗教関係者の前で平気で口にしてしまうので、それをたしなめたり、複雑な事情を解説するのは非常に難しい。俺だってなんでも知ってるわけじゃないんだぜ、と泣きたくもなる。こっちにきて、Google先生の偉大さを痛感するばかりだ。

 あ、そういえば今日はどうしてイヴィラ達がギルドに呼ばれていたのか、訊いていなかったな。明日にでも訊いてみよう。

 さておき。


「地道な努力を評価してもらえるのはありがたいね。セリーナに褒めてもらえるなら、これからもまた頑張れるよ」

「わたくしはいつも、ラウルのことを見ていますよ。気楽に生きているようで、たくさん色んなことを考えているのもわかります。目に見えて必死に頑張っていることが必ずしもいいことでもなくて、自分と他者を労りつつ、余裕を持って過ごすのがきっと幸せなのだろうな、ということも学ばせていただいています」

「俺は不真面目なだけだぜー」

「不真面目さの大切さも、ラウルは教えてくださいますね。

 わたくしは比較的真面目な方で、そのせいで真面目ではない方達のことをどこか嫌っていました。だけど、ラウルの適度な不真面目さを見て、人は真面目に生きるために生まれてきたわけではないし、真面目に生きた果てに、誰もが求める最高の人生があるわけではないのだと、当たり前のことにも思い至りました」

「はは。その結論に至るのが、セリーナの真面目さの象徴って感じだ」

「そうかもしれませんね。ちょっと、真面目に考えすぎました」


 照れ笑いを浮かべるセリーナも可愛いね。この女性が俺の恋人で、これから秘密の楽しみに興じる相手だと思うと、全身に喜びが満ちすぎる。

 ぼちぼち歩いて、俺達はセリーナの薬屋に到着する。

 中に入り、扉を閉めると、セリーナが濡れた瞳で見つめてきた。


「……真面目な話はもう忘れて、不真面目で不埒なひとときを楽しみましょうか? 人によってはなんの生産性もない、快楽追求に過ぎないと言うのでしょうが……わたくしは、このひとときが、本当に幸せです」


 続く熱い口づけに応えて、セリーナをぎゅっと抱きしめる。

 今夜はお互い、尽き果てるまで楽しむことになりそうだ。

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