ジト目

「……なんだ、この文字は。ラウル、読めるのか?」

「……読めると言っていいのかどうか」


 名前はなんとなく読めたのだが、どうやら英語ですらないらしく、名前以外は何が書かれているのかわからない。せめて英語で書いてくれれば多少の解読もできただろうに、ホーエンハイムさんは英語圏の人ではなかった様子。


「この、署名の文字だけ、どっかで見たことがある気がする」


 苦しい言い訳をしてみる。リナリスがジト目で俺を数秒間睨み、ふっ、と息を吐く。


「……そういうことにしておいてやる。しかし、これがホーエンハイムと読むのだとしたら、この部屋はそのホーエンハイムのものか? ……そうだと言われても、信じるに足る代物が転がっているのも確かだが」

「……一般人が所有するものじゃないもんな。けど、ホーエンハイムのものだったとして、どうしてここに部屋があるんだろう?」


 リナリスが再びジト目で俺を見る。お前の方がわかってんじゃないのか、みたいな目で見ないでほしい。俺からしても全くの他人なのだ。


「……ホーエンハイムは、世界各地を放浪していたという噂がある。そして、その先々でダンジョンを作りあげた、とも言われる。ここは拠点の一つだったのかもしれない。

 とはいえ、ホルム近くのダンジョンには数百年の歴史がある。一方で、この家の歴史は百年ちょっと。ホーエンハイムがここに暮らしていたかどうかはわからない」

「……そうだなぁ」


 ホーエンハイムがとびきり長生きなのか、あるいは、ホーエンハイムというのが世襲する名前なのか。

 ホーエンハイムが異世界人と関わりを持っているのは間違いなさそうだが、詳細はやはりわからない。


「あの、それ、ちょっと見せていただいてもいいですか?」


 カナリアラがちょこちょこと歩いてきて、俺の手元を覗き込む。真剣な眼差しでじっと見つめていたが……。


「……あれ? 読めません。不思議です」

「ん? カナリアラ、これが読めると思ったのか? もしかして、何か特殊なスキル持ってる?」

「はい。特殊というか、ハズレというか……。あたし、『解読』のスキルを持っているから、知らない言語でも大抵内容がわかるんです。でも、これは読めません。何かスキル阻害がされているのかも」

「へぇ……なるほど。っていうか、それ、ハズレスキルどころかめちゃくちゃ有用なスキルじゃないか? 知らない言語でも読めるんだろ? もしかして、暗号とかも読み解けるのか?」

「そうですね。書かれたものならだいたい読めます」

「……すごいスキルじゃん。日常生活ではあまり使わないかもしれないけど、場合によっては重宝されるぞ」

「そう、ですか? あたしのスキルを知る人は、こんなのはなんにも使い道がないって……。他言語理解なら魔法で代用できますし、あたしは書かれた文字しかわかりませんし……」

「それ、完全に勘違いだから。他言語理解じゃなくて、『解読』だろ? リナリスも、『解読』の有用さはわかるよな?」

「当然だ。他言語理解とは、言葉ではなく相手の意志を読みとって意志の疎通をするもの。書かれた文字を理解できるわけじゃない。

 見知らぬ言語を理解できるなら、もはや誰も詳細を知らない、古代言語で紡がれた魔法さえ復活させられる。戦争においては、敵の暗号化されたメッセージを読み解き、情報戦で有利に立てる。それを使い道がないと言った理由がわからない」

「だよなぁ。ラナリアラの親って、武闘派の冒険者でもやってるの? 直接戦う力じゃなかったらハズレ扱い?」

「あたしの両親は……ある町で酒場を経営しています。あまり雰囲気の良いお店ではありませんし、酒場というより……娼館に近いのかもしれません。女性がたくさん常駐しています。親はあたしにお店のことを話してくれないので、詳しいことはわからないのですが……。

 とにかく、商売のことばかり考えていて、学問的なことなどは全くわかりません」

「そっか……」


 一口に娼館と言っても、その中身には色んな質のものがある。カナリアラの親は、暗めの雰囲気のお店を経営しているのかもしれない。

 にしても、十二歳で娼館を理解しているというのは驚きだ。早熟であることを強いられる環境で育ってきたのだろう。


「そういう親じゃ、『解読』の有用性が想像もつかないのかもな。でも、カナリアラのスキルはとても貴重だ。大事にしなよ」

「はい……。あまり実感は湧かないのですが、ラウルさんがそうおっしゃるなら……」


 そこで、リナリスが付け加える。


「カナリアラが大事にするだけでは足りないな。そのスキルの存在を知る者が現れれば、カナリアラの身に危険が及ぶかもしれない。保護した方がいい」

「……あたしを、保護ですか?」

「そうだ。良かったな、ラウル。カナリアラを身近に置いておく大義名分ができたぞ」


 リナリスが人の悪そうな笑みを浮かべる。


「大義名分って……」

「カナリアラ。お前、一人でいると危険だから、これからはわたし達の家で暮らせ。何か問題あるか?」

「え、ええ!? そ、そんな、急に!? 問題なんて、別にないですけど……でも、いいんですか?」

「いいぞ。ラウルも大歓迎だ。なぁ?」

「なぁ? じゃねぇよ。ダメとはもちろん言わないが、リナリスの想定している意図はない」

「遠慮するな。わたしは寛容だから、側室が四、五人いたところで構いはしない」

「リナリスが決めることじゃないっての。とにかく、危険なのは確かだろうから、カナリアラは今後俺の家で暮らしな。少なくとも、リナリスの保護下にあるってなれば、大抵の人は手出しができない」

「わ、わかりました……。一人で寂しかったところですし、一緒に住まわせてくださるなら、本当にありがたいです。宜しくお願いします」


 カナリアラがペコリと頭を下げる。素直で礼儀正しくて利発そうで、すごくいい子だな。……深い意味はないぞ?

 ともあれ、両親とは折り合いが悪いようだが、この子はどういう育ちをしてきたのだろうか? 丁寧に教育されてきたのならいいけれど、身を守るために必死で学んだものだったら、この姿がむしろ切ない。


「ま、宜しく。他にも一緒に住んでる人がいるけど、それはまた後で紹介する」

「はい。わかりました。何かとご配慮いただきまして、本当にありがとうございます」


 大人びた雰囲気で恐縮している姿に、とても十二歳には見えないよな、と心の中だけで嘆息した。

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