一月後

 ヴィリク達との一件が片づいてから、一ヶ月が経った。

 その間にいくつか身の回りに変化が起きているわけだが、とりあえず新居に引っ越しをした。一人暮らし用の狭い家ではなく、家族連れが住める少し広めの家だ。家賃は倍以上になったが、二階建ての一軒家で、部屋もリビング以外に六つある。

 ただ、せっかく部屋は多いのに、スラミもセリーナもリナリスも俺と一緒にいようとするので、部屋を持て余してしまっているのが現状。俺達四人で一部屋と、ソラが一部屋、そしてイヴィラ姉妹で一部屋使っていて、結局三つは空きだ。


「新しい女を迎え入れる準備ができてよかったじゃないか」


 リナリスはそんなことを言ってきて、セリーナが複雑そうにしていた。

 別に人を増やすつもりはないのだけれど……と言いたいところだが、この一ヶ月くらいでエニタとも距離が縮まりつつある。今のところは友達としての付き合いに終始しているのだが、エニタが俺に好意を持っているのは明白だった。

 俺の方から、「今はセリーナ以外の女性と積極的に仲良くなるつもりはない」と伝えたからか、好意を言葉にして伝えられたことはない。が、そのタイミングを常にうかがっているのがよくわかる。

 エニタとはどういう関係を築くべきなのか……迷うところだ。

 その一方で、エミリアも俺に近づこうとしている。リナリスと親しくなった経緯や、ルー達との出来事を説明したところ。


「それだけしてしまっているのなら、もう私が遠慮する理由もない。ラウル、私と寝よう」


 ストレートに誘われて、俺はまだ待ってくれとお願いした。

 エミリアは実に不服そうな顔をして、俺に期限を設けさせた。


「どうしても今はダメというのなら、二ヶ月だけ待つ。その間にセリーナを説得しておけ」


 セリーナにこの話を説明したのだが、そのときはセリーナが物憂げな雰囲気になった。こっちでは必ずしも一夫一婦という縛りはないとはいえ、セリーナがそれを歓迎しているわけではない。

 それでも、しょーがない、と溜め息一つでエミリアと関係を持つことも承諾してくれた。


「ラウルが女性にモテるのはわかっていたことです。それに、男性の性欲の形が、一人の女性との関係だけでは満たされにくいのも承知しています。二ヶ月後には、もうわたくしだけを、とは言いません。その代わり、この二ヶ月はわたくしを目一杯愛してくださいね?」


 切なげにお願いされ、ひとまずこの一ヶ月、俺がセリーナひたすら愛でているのは言うまでもない。

 スラミも俺とイチャつきたがったのだが、結局あと二ヶ月だけ待ってもらうことにした。スラミには我慢させてばかりで申し訳ない。解禁されたら、スラミが満足するまで愛でようと思う。

 リナリスについても、過剰な接触はない方向で進んだ。何かというと襲ってこようとするが、特に進展はさせていない。

 イヴィラとラディアについては、少しずつ昼の生活ができるようになってきた。午前中くらいは日の光の中で生活し、人間の町を楽しんでいる。当初、周囲からは奇異の目で見られたこともあるが、だんだん無害であることがわかると、特に気にされることもなくなった。むしろ、無邪気にはしゃぐ二人を気に入る人も出てきて、たまに気のいいおじさんからお菓子を貰うこともある。

 そして、ルー達については、森の中で小競り合いは起きても、まだ大きな争いも進展もないらしい。人間側としてはできるだけ穏便に収めようとしていて、森の支配者を誰にするかなどを話し合っているところらしい。とはいえ、なかなか話し合いの通じる相手ではないようで、次善策として、全面戦争ではなく、代表戦で決着をつけないかと持ちかけているのだとか。三人の無事を祈るばかりだ。

 最後、ソラについてなのだが……。


「もったいないよなぁ。ソラって絵の才能あると思うのに、独学でやっていくのは難しいこともあるだろ」


 あてがった部屋で絵を描くソラに向けて、俺はぼやく。隣に立つスラミもうんうんと頷いた。

 季節はもうすっかり夏になっていて、外の気温は高い。が、室内は魔法で温度を下げているので、かなり快適に過ごせている。日当たりが良いこの部屋でも、暑さにうだることはない。

 なお、今は午前中で、セリーナはいつも通り薬屋へ。リナリスは、ギルドに話があると呼び出されたらしく、イヴィラ達と共にギルドに顔を出している。家には、俺、スラミ、ソラの三人だけだ。ちなみに、俺が何をしているかと言えば、昨夜は遅くまで依頼クエストをこなしていたので、少し前に遅めの起床をしたところ。

 それはさておき。

 日本なら、独学と言っても絵の指南書くらいはある。鮮明な写真付きで描き方が記されているので、それをもとに学習していくことも不可能ではない。

 しかし、ここではまともな指南書なんてなくて、学びたければ誰かの弟子になるのが一般的。ソラはまだあまり外に出たがらないので、誰かに弟子入りというわけにもいかない。

 才能はあると思うのに、それを成長させる手段が整っていないのはもったいない。


「……私は、別に絵の道に進みたいわけじゃない」

「まぁ、画家としてやっていくのは大変だとは思うよ。上手い下手だけじゃなくて、世間に認められる絵を描くっていう商売気質なんかも必要だ。

 けど、伸ばせる才能は伸ばしたいじゃん? 好きなことを高いレベルで楽しめたら、その方が人生は豊かになる」

「……ただの趣味で、画家の弟子とかにはなれない」

「まぁなぁ。うーん、気軽に入れる絵画教室みたいなのがあればいいのにな。俺じゃ、遠近法くらいしかわかんねぇや」

「……遠近法って、何?」


 ソラが首を傾げる。こっちの人は遠近法も習わないんだったな。


「遠近法は初歩的な絵の技術だよ。近くのものは大きく、遠くのものは小さく描く。具体例の一つが、一点透視図法とか言ってな……」

 

 ざっくりと一点透視図法について解説。難しくないので、ソラはすぐにそれを理解した。


「……へぇ、そうやって遠近感を出すのね」

「そう。遠近感を出せるし、平面の中に空間を作り出すものでもある。俺はなんとなくしか知らないから、ソラにちゃんと教えられる人がいたらいいよな。まぁ、これも金次第か。探せば家庭教師をやってくれる人もいると思う」

「……そういうのはいいから。私はただの奴隷でしょ? 奴隷を教育して絵描きにするなんて、聞いたことない。この前買った絵の具だって、奴隷に与えるには高級すぎる……」


 絵の具といっても、こっちの絵の具はチューブに入った安価なものではない。絵の具は自作するもので、鉱物を砕いて粉にして、油などを混ぜるのである。色の種類と量を抑えつつ材料を揃えても、一式で千ルク程度になった。なかなかに高価な代物。昔の貧しい画家は絵の具を買うお金がなくて困ったというが、それも無理はない。


「俺はソラを奴隷と思ってないからいいんだよ。……もう少し元気になれたら、奴隷の契約も破棄していい頃かもな」


 改めてソラの顔を見る。まだまだ痩せこけてはいるが、着実に生気を取り戻しつつある。ご飯だってそこそこ食べる。このまま元気になってくれれば、余計な心配などせず、奴隷としておく必要もなくなるだろう。

 死ぬことは許さない、なんて悲しい命令は、もうしなくていいようになればいい。


「奴隷から解放して家から追い出すつもりね。ええ、わかった。あとはあなたの知らないところで野垂れ死んでおくから、私のことは全て忘れていい」

「奴隷から解放しても追い出すつもりはねーよ。好きなだけここにいればいい。せっかく部屋も用意してるんだから」

「……本当は、私を買ったことを後悔してるんでしょ。あなたに奉仕するわけでもなく、たいしてお金を稼ぐわけでもなく、いつまで経っても綺麗になるわけでもなく。引きこもってだらだら絵を描くだけだものね」

「ソラに気に入らないところがあるとしたら、たまにそうやって無闇に卑屈になるところだな。そんなに焦って素晴らしい人間になる必要はないだろ。早熟が幸福な人生の秘訣ってわけでもあるまいし」


 ソラはまだ十五歳。日本人の感覚で言うと、まだ中学生か高校生くらい。まだまだ自分勝手でワガママで、生産性なんて全くない生活をしていてもおかしくない年頃だ。俺からすると、ソラのような生活にさほど違和感はない。

 こっちでは働き始めるのが早いから、それと比較すると怠けているようにも見られるかもしれない。でも、ソラだって普通に育てばきっと普通に働いていたのだろうし、普通でいられなくなったのなら、相応の人生を生きればいいだけだ。


「……悪かったわね。私は卑屈なの」

「俺はソラより年上だし、その程度の卑屈さは温かく包み込んでみせるぜ」

「……あなたに包み込まれるなんて気持ち悪い」

「ストレートに気持ち悪いとか言うなよー」

「……あなたに包み込まれるなんて、全身をムカデに這い回られるような気分だわ」

「え、そんなにおぞましい気持ち悪さなの? それならまだストレートに気持ち悪いの方がましだよ……」


 俺が顔をしかめると、逆にソラは僅かに笑う。男をからかうのが楽しいお年頃なのかね。


「……あんまり私に優しくしないで。余計にワガママになってしまう」

「んー? どういう話?」

「……なんでもない。もう、いつまでも居座らないで、どっか行けば? 暇なの?」

「俺は暇だからソラに会いに来てるわけじゃないぞ。あえてソラと過ごす時間を作ってるだけだ」

「……ばか」


 ソラはいわゆるツンデレっぽい子だから、本当に出て行ってほしいわけじゃないんだろうとは思う。

 ワガママになるっていうのは……甘えたくなったり、もっと自分に構ってほしくなったりしてしまう、ということだろうか? これは俺の妄想か? うーん、やっぱりはっきり言ってもらえないとわからないな。

 ソラはそれきり口を閉ざして花の絵を描き、俺はしばし、静かにその様子を見守った。

 こんな穏やかな時間がこれからもたくさん続きますように、なんて願いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る