便利なおじさん

 リナリスが呆れて溜め息を一つ。


「ヴィリク様を便利なおじさん呼ばわりするのはお前くらいのものだ。度胸があるというべきか、身の程知らずというべきか」

「まぁ、身の程知らずなのかもな。でも、ヴィリクならこれくらいでいちいち目くじら立てることもないだろ。細かいことでいちいち怒るのは余裕のない小物。なぁ?」


 最後の、なぁ? はヴィリクに向けて。ヴィリクは苦笑して、ふん、と息を吐く。


「……この程度で苛ついては、魑魅魍魎に混じって商売などできぬよ」

「だよな。じゃ、エミリアも、本の件はひとまずヴィリクに譲るってことでいいな?」

「未練はあるが……仕方ない。それでいい」


 話が落ち着いたところで、ヴィリクが改めて尋ねてくる。


「ラウル君はなかなか食えぬやつだな。それで、本を売る、とはどういうことかな?」

「簡単に本を作る技術がある。まぁ、簡単って言っても、今よりは簡単に、っていうくらいだけどな」


 説明するより見た方が早いので、ガリ版印刷の技術をヴィリク達に披露する。機材はエミリアの店に置いてあり、準備はすぐにできた。

 印刷してできあがったものを見て、ヴィリク達三人、そしてリナリスも息を飲んだ。


「簡単だろ? これがあれば、本の量産も比較的簡単だ。少なくとも今よりは格段にまし。使い道はいくらでもあるし、上手くやれば大儲けだってできる。

 手土産にこの技術を渡すから、後発で俺達が本を売れるように土壌を用意しておいてくれよ」

「……なるほど。これはある意味国を揺るがす技術。エミリアには荷が重かろう。下手なことをすれば様々な反発が起き、商売どころではなくなってしまう。国からの弾圧さえ起きる可能性がある」

「弾圧まであるのか? 怖いな……」

「本は知識の集積。安易に全ての国民に広まっては困るという者も少なくない。あるいは、国を批判する本が大量に出回る事態になっても困る。

 エミリアがこれを私に譲るのも、扱いの難しさを理解してのことだろう。国、教会、商人、写本屋、その他諸々……経験の浅い商人一人で相手にするには、障害が大きすぎる」

「そうかぁ。日々の情報発信なんかにも使えるけど、それで困る人もいるもんなぁ」

「……日々の情報発信?」


 ヴィリクが訝しむ。俺の頭には新聞のイメージがあるが、こっちにはまだ存在していない。何かの知らせがあれば、役人が街角に立ち、口頭で伝え歩くスタイル。一般人の間での情報交換は、概ね井戸端会議で行われる程度。日々のニュースを国民全員に伝える手段がそもそも存在しないわけで、隣町のことさえ遠い異国のことと思っている者も少なくない。

 俺からすると新聞なんて当たり前だが、それに類するものさえないのではイメージも湧かないようだ。


「国中でも、町中でも、日々色んなことが起きてるだろ? その中でも大きな出来事を集めて、紙に写して配るんだ。そうすれば、身近なことだけじゃなくて、もっと広い範囲の状況を知ることができる。

 現状、大抵の人は自分の国がどんなものなのかなんて、実のところよくわかってない。でも、各地の情報がもっと行き交うようになれば、自国がどんなものなのかのイメージも沸いてくるし、各地で何が起きているのかに興味も沸いてくる。興味を持つ人が増えれば、さらに情報が売れる。

 毎日の情報伝達は難しいだろうが、三日に一度でも情報発信をして、それを各家か、ある程度のグループごとに、月いくらかで売ればいい。各地の情報を集めて速やかに広めるだけで、国中からお金をかき集める商売になる。でかい商会なら日々情報は集めてるだろうし、その情報の幅を少し広めるだけで応用はできるはず。

 そして、情報発信が一般的になれば、今度は広告を掲載してもいい。ここでこの商品が安く買えるとか、この町でいついつ芝居があるとか。掲載するのにお金を貰えば、これもまたいい稼ぎになる」


 俺からすると、既に古臭い商売の形。ネットニュースその他で情報が無料で手に入る状況になれば、新聞はかなり衰退してしまう。

 しかし、ネットなんて影も形もないこの場所では、新聞業も避妊具と同じくらいのビッグビジネスになるはず。

 と、今更ながら気づいて、商売の規模に怖くなる。俺やエミリアには、まだまだ手に負えない商売になるだろう。


「……面白い。国中に今の出来事を発信する商売に、広告か……。様々な手続きと、国との交渉も必要になるが、やれば利益は計り知れない。ただし、その案にはまだいくつか欠陥もある。たとえば紙自体が安くはない上、そもそも文字を読める者ばかりではない」

「ああ、そっかぁ。うーん、簡単ではないよなぁ」


 俺が唸ると、エミリアが続く。

 

「紙については、大量に消費すること前提で、安価な紙を作ればいいでしょう。日々の情報発信なら、十日もすればボロボロになる粗悪な紙でも十分使えます。ボロ紙はボロ紙でも使い道があります。

 識字率の低さについては、ローレン商会の力を使い、長期的な投資で教育体制を整えれば解決です。文字を教える商売で儲けるのもいいでしょうね。五年後にでも十分な利益が見込めるなら、金と労力をかける価値はあるはずです。私ならそうします」

「ああ、そういう方法もあるのか。なるほどね」

「……私が思いつく程度のこと、ローレン商会の長であれば考え付いていたでしょうが」


 エミリアがヴィリクを軽く睨む。ヴィリクは薄く笑い、頷いた。


「なるほど、ラウル君は革新的な発想を生み出すが、それを実際の商売に落としこむまではできぬ、と。しかし、エミリアはその道筋が見えるようだ。二人揃うとあなどれないな」

「いずれは私達がローレン商会を追い落とします」

「やってみたまえ。しかし、それよりラウル君。君はどうやら特異な才能があるように思う。避妊具の販売はエミリアに譲るとして、ローレン商会と共にそれ以外の商売をしてみないかね? もしかしたら、私よりもよほど大金を稼げる商人になるかもしれんぞ?」


 ヴィリクは冗談を言っている様子はない。本気で何かの可能性を見いだしたのだろう。

 しかし……俺のアイディアは、俺が考えたものではない。誰かが発案し、成功させた商売の一旦を伝えているにすぎない。こんな似非商人では、商売をやっても上手くいくとは思えない。

 それに、そもそも俺は利益追求に励む性格でもないのだ。誰かの商売にちょっと口出しする程度ならできても、自分が中心になって商売をやっていくのは無理だ。


「……悪いけど、俺は冒険者の方が性に合ってるよ。たまに何かの思いつきを話すくらいはできても、商人としてはやっていけない」

「そうか……。実に残念だ。だが、気が変わったらいつでもローレン商会に来たまえ。最高の待遇で迎えよう」

「一緒に商売やるなら、俺はエミリアを選ぶよ。俺は女好きだからな」

「……なるほど。君は、女のために力を尽くすタイプか。金でも、信条でも、正義でも、友情でもなく、ただ女のために……。それでは私に勝ち目はない。それどころか、大事な護衛を一人奪われてしまった」


 ヴィリクの視線がリナリスに移る。


「……申し訳ありません」

「謝る必要はない。専属の契約をしていたわけでもない。まぁ……この男は、身近となった女性を裏切る真似はすまい」

「そうですね。それは信頼に足る男です。……甘さが災いを招かないか、心配ではありますが」

「君が監視してやると良い。どんな男であっても、一人で全てを完璧にこなすことはできぬものだ」

「……それは、女も同じですよ。男はときに女を神格化することさえありますが、女とて完璧にはなりえません」

「そうか。では、上手く支えあっていくといい」

「そのつもりです」

「……身内話はここまでにして、ラウル君、その本を作る技術の詳細を教えてくれるかね? もちろん、無料でなどとは言わん。相応の金を出そう」

「んー、お金はいいからさ、この先どうしてもそっちの助けが必要になったとき、力を貸してくれよ。エミリアがいかに優れていても、できることには限りがある。気合いでも知恵でも武力でもどうにもならないとき、権力とか権威の力で助けてくれ」

「……なんとまぁ、高い買い物だ。金を渡してそこで終わらせる方が、結局は安く済みそうだ」

「かもなー」

「しかし、いざというとき、私が本当に助けるかどうかはわからんぞ?」

「助けるだろ。少なくとも、こっちにリナリスがいる間は」


 俺はヴィリクとリナリスの関係をよく知らない。しかし、一瞬見せた慈愛のこもった表情から察するに、ヴィリクにとってリナリスは特別な存在に違いない。女性として見ている風ではないが、家族くらいには大事に思っているはず。


「……ふむ。そういうことにしておこう」

「うんうん。そうしておこう。じゃ、ガリ版印刷について教えよう。あ、エミリア、もう少し話しててもいいか? 忙しければ、場所を移すけど?」

「私も話を聞いておく。ヴィリクが勝手にラウルを横取りしても困るからな」


 そういうわけで、俺はヴィリクにガリ版印刷の技術を伝授することになった。スラミの力を使わずに再現するのはやや手間取るだろうが、金をかければ不可能ではないはず。魔剣を作れて、謄写版が作れないなんてことはあるまい。

 さておき、新しい技術を目の当たりにし、子供のように目を輝かせるヴィリクを見ていると、こういう可愛げのあるところが周りの人間を惹き付けるのかもしれない、と思った。

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