一度決めたこと
ヴィリクに売るのも、エミリアに売るのも、それぞれ社会的に大きな価値があるのは確か。
金についてはヴィリクの方が大金をくれそうだが、シビアに利用されるだろうこともエミリアに聞いた。それに、一度脅された事実もあるし、ヴィリクのやり方を好きになれない部分もある。ヴィリクなりの考えはあるだろうし、強引さがより速やかな発展を促すこともあるのだろうが、平和思考の俺にはひっかかるものがある。
とはいえ、避妊具の普及は早ければ早い方がいい、というのも確か。俺がエミリアを選ぶと、辛い思いをする女性は世界規模で無数にいる。
一方で、エミリアが自力で大商人に成り上がることも、世の女性には非常に意義がある。いずれきっちり避妊具が普及するとしたら、長期的に見ればエミリアに預ける方がいいように思う。
どっちが正しいとかではなく、どちらにも正義がある。悩ましい。
ただ、実のところ、真に身勝手ながら答えは決まっているようなもの。
懇願するように俺を見つめるエミリアに向けて、告げる。
「俺は、エミリアに売ろうと思う。正直、皆を納得させる理由なんてないんだけど……一度決めた相手は、大事にしたいんだよね」
エミリアが破顔し、ヴィリクが眉根を寄せて唸る。
少しして、ヴィリクは諦めたように言う。
「ラウル君のその姿勢は、美徳ではある。人生においても、商売においても、一度交わした約束を守るというのは重要だ。信頼があるからこそ、人間関係は成り立つ」
「そう思うなら、積極的にエミリアを裏切らせようとしないでほしいね」
「時と場合、そして過程によるのだ。少なくとも、ラウル君が金に釣られて裏切ったのではない、という認識をエミリアが持てば、親交が途絶えることもあるまい」
「……かもなぁ」
「しかし、君がそう決めるのなら仕方あるまい。私のところで売れないのは残念だが、気概のある娘と出会えたのは価値がある。
ところでエミリアよ。君がラウル君からラミィを仕入れるとして、それを私に売るという方法はいかがかね? 今でも、君は別の町の商人に販売を委託していることはあるはずだ。その委託先としつローレン商会を追加するのに、不都合はあるかな?」
「ありますね。それでは結局また大商人頼りだと思われてしまいます。それに、一つの商会との取引規模が大きくなるほど、私の店がその取引先の思い通りに操られてしまう可能性があります。
たとえば、途中でローレン商会が「こちらの言うことを聞かなければエミリアからの委託販売はやめる」などと言い出せば、私は大量の在庫を抱えて立ち行かなくなります。ローレン商会に商売を乗っ取られているのと同じです。
私は私の商売をするために、ローレン商会やその他の大きな商会に頼らず、各地に仲間を作って商売を広げていきます。既に、ほぼエミリア商店の支店のような立場になっているものもあります」
「……なるほど。やはり愚かではないな。君がどう活躍していくか、楽しみにしているよ。いずれはローレン商会を脅かす存在になるのか、あるいはただ落ちぶれていくか……」
「いずれは、ローレン商会を脅かす存在になってみせますよ」
「面白い。避妊具一つでも、その可能性は確かにある。私が生きている間に、私に敗北を感じさせてみてくれたまえ」
案外あっさり引いたな、と訝しんでいると、ヴィリクが俺に向かって言う。
「ラウル君。避妊具の商いについては、私の負けだ。しかし……君なら、他にも何か面白いものを持っているのではないかね? まだエミリアとの契約もなく、私に任せる方が良い何か……。どうかね?」
尋ねてきているが、あることを確信している鋭い視線。一つがダメでも、別のもので巻き返そうとする。大商人の気概というやつか。
ヴィリクに売るくらいならエミリアに売る……と言いたいところではあるが、リナリスの手がそっと俺の肩に乗る。
「……無理にとは言わない。ただ、もし何かあるのなら、ヴィリク様にも協力してくれないか?」
「うーん……リナリスにまでお願いされるとなぁ……」
リナリスにとって、ヴィリクはとても大切な人らしい。俺と関係の深くなった相手の大切な人なら、俺としても無下にはできない。
ヴィリクは案外悪いやつではなかったし、話の分かるやつでもあった。リナリスを奪ってしまったのもあるし、何かしらの形で協力するのもいいかもしれない。
俺が思い付くもので、ヴィリクにとって価値のある商品。平凡な俺にはそんなに候補はない。あるとすれば……。
「……なぁ、エミリア。本の普及は、ヴィリクに任せてみないか?」
俺の提案に、ヴィリクが鋭く反応する。
「それはどういうことかね?」
「実はな……」
「待て、ラウル。ヴィリクにあの技術を渡すつもりか? ヴィリクがますます力を付けることになるぞ」
エミリアが制止するが、俺は続ける。
「うーん、でも、今の段階じゃエミリアには本の販売って難しいんじゃないか? 利権がどうのって言ってたろ。ここはヴィリクに任せた方が、早くて穏便に話が進むと思うんだ」
「それは……そうかもしれないが……」
「俺は、エミリアの今後の活躍を見ていたし、協力したい。でも、メインで動けるのが一人だけじゃ、できないことってたくさんある。これから仲間が増えて、利権だか既存の大商人だかと対抗できる力が付いてから、もっと色んな商売に手を出せばいいと思うんだ。頑張りすぎたって、いつかエミリアが倒れちまうよ。今だって相当無理してるんだろ?」
ゆっくり諭すと、エミリアが唇を引き結んで数秒の思案。
「……そうかもしれん。私はかなりハードな生活をしているし、まだ大量の本は商品として扱いきれないとも思う。ここは、ローレン商会に先陣を切ってもらうのがむしろ最善かもしれない」
「そうそう。露払いとかの面倒ごとは、でかい商会に任せておけよ。本を売る土壌ができたら、いい本を作って、こっちも大儲けすればいい」
「……そうだな。正直、本の普及は、私がやると何年かかるかわからない。敵が多すぎる」
「俺が持ち出した話ではあるけど、エミリアが全部の苦労を背負うことはないさ。儲けられるなら、たいていのことをやってくれる便利なおじさんがここにいるじゃないか」
俺の言葉に、エミリアがフフと笑う。一方、ヴィリクは目を丸くし、その後ろの護衛二人が口をぽかんと開けた。
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