当たり前を

 日が暮れると、イヴィラとラディアが目を覚ました。

 ソラの痩せた姿を見て驚いていたが、事前にセリーナが話をしていたそうで、変に騒ぎ立てることはなかった。


「人間って大変なのね。ただ生きていくだけでも苦労するみたいだし、人間やれてるだけでなんだか尊敬しちゃうわ」


 イヴィラの呟きに、ソラは苦笑していた。


「人間に生まれたら、誰だって仕方なく人間をやるでしょ。尊敬されるようなことじゃない」


 ソラは、無邪気すぎるイヴィラ達の相手をするのが少し辛そうだったが、特に衝突するまでは至らなかった。今後慣れていけば、普通に友達になるのかもしれない。

 それから、夜型の二人の相手は主に俺とスラミが担当した。夜の散歩に付き合ったり、おしゃべりしたり、食事を用意したり。

 この二人が昼型の生活を送ることはできるのだろうかと心配だが、二人はそのつもりでいた。夜にしばらく寝て朝には起きる、と意気込んでいたけれど、結局朝が来ると眠りに落ちた。生活の矯正にはもう少し時間がかかりそうだ。俺の生活も乱れるので、なるべく早く矯正を完了してほしいものである。

 早朝、セリーナが薬屋を開けるために家を出て、俺は一人でそれを送り届ける。薬屋に着いたら、開店準備の前にしばしイチャついた。


「わたくしはまだ、ラウルが自由に誰とでも仲良くしてよいと思っているわけではありませんからね?」


 念押しと共に、朝からだいぶ絞りとられた。

 その後、家に帰ったら、今度はスラミとリナリスと共にまずはギルドに赴いた。

 そこでこれまでの経緯を詳しく報告。

 特に、イヴィラ達が人間の町に馴染めそうかは心配されたが、それは問題なさそうだと伝えておいた。リナリスと隷属の契約も結んでいるので、ギルドもイヴィラ達が町にいることに抵抗はしなかった。

 報告も完了し、依頼クエストは完了だ。

 ギルドを出ようとしたが、エニタを見かけたので、声をかけておく。


「おはよー。無事に帰ってきたよ」

「ご無事で何よりです。お怪我もありませんか?」

「うん。怪我も特にない。大丈夫。エニタのお守りのおかげかな?」


 軽い調子で言うと、エニタが気恥ずかしそうに唇をほころばせる。


「ささやかですけれど、お力になれて嬉しいです」

「うん。力を貸してくれてありがとう」

「いつも無事を祈っています。本当に、いつも……。あ、えっと、今日は何か依頼クエストは受けますか?」

「うーん、これから寄るところもあるから、後でまた来るよ」

「承知しました。お待ちして……」


 エニタが言い終える前に、リナリスが俺にピタリと寄り添って腕を組んでくる。すると、エニタの綺麗なスマイルが凍りついた。


「おい、急になんだよ」

「たいしたことではない。なんとなく、イチャついてみたくなっただけだ」

「わざわざここでする必要ないだろ……」


 軽く押し戻すと、リナリスは素直に引き下がる。セリーナがいないとあっさりだな。


「お、おおお二人は、いいいつから、そんな仲になったのでしょうか!?」


 エニタが珍しく取り乱す。目を見開き、俺とリナリスを見比べた。


「んー、依頼クエスト中にちょっとな」

「え、ええ? でも、ラウルさん、セリーナさんとお付き合いされてるのでは……?」

「付き合ってるし、結婚だって考えてるよ」

「で、では、リナリスさんのことは……?」

「んー……なんて言えばいいんだろ」


 俺が言い淀むと、リナリスが答える。


「現状をわかりやすく言えば、わたしは側室だな。とはいえ、セリーナが正妻としてふんぞり返るのを許したわけじゃない。いずれはわたしが正妻の立場を乗っ取るかもしれん」

「側室……。しかも、乗っ取り……? それ、ありなんですか……?」

「ありだ。ラウルも男だから、複数の女に囲まれて悪い気はしない。それに、一度正妻と決まった女が、ずっとその立場にいられるわけもない。実質的な正妻はいくらでも変わる」

「……そう、ですか」

「ちなみに、他にも側室候補はいる。早くしないと席が埋まってしまうぞ? ラウルとて、無制限に受け入れるわけではない」

「……なるほど」


 エニタの目がすがめられる。そして、何かを決意した面持ちになる。


「ラウルさん。あの……痛っ」


 エニタの背後に同僚の女性が立ち、その頭をペシン。


「勤務中に何やってるの。今は仕事に集中しなさい」

「あ……はい」


 エニタが勢いをなくし、コクリと頷く。


「ラウルさん、少しお話したいことがあります。近いうちにお時間いただけませんか?」

「ああ……わかった。まぁ、勤務中みたいだから、また声かけるよ」

「はい。お願いします」


 そこで話が終わり、俺達は一度ギルドを後にする。

 避妊具の納品のためにエミリアのお店に向かいつつ、リナリスがニヤつきながら言う。


「尽くしてくれそうな女だな。あんなのに好かれて、良かったじゃないか」

「……っていうか、エニタもそういうことなのかな?」

「そんなの一目見ればわかるだろ。むしろ、今まで気づいてなかったのか?」

「うん……」

「お前は案外、ひとの気持ちがわからないのだな。自分に向けられる好意には鈍感なのか?」

「うーん……そうかも?」

「まぁ、いい。わたしに関して言えば、言わなくても察しろなんて言うつもりもない。言われたことがわかればいい」

「それは助かる」

「とはいえ、セリーナがどう考えているかはわからない。存外、言わなくてもわかってほしい部類なのかもしれん。男からすれば面倒だろう? わたしに乗り換える気になったか?」

「勝手に話を進めるな。セリーナは、わかってほしいことは言葉にする方だから、俺くらい鈍感でも大丈夫だよ」

「そうやってベッドでの腕も磨いたわけか?」

「ま、そーいうことだ」

「あまり認めたくはないが、賢明だな。男は言わないとわからないが、言えばわかることも多い。セリーナがそれを理解せず、関係を拗らせてくれるようなら、わたしも簡単に奪えたのだがな」


 やれやれ、とリナリスが溜め息を一つ。


「……っていうか、いつから俺はそんなにリナリスに好かれたんだ? そこまで執着されるほどのことはしてないだろ」

「かもしれん。まぁ……わたしもラウルに身を焦がす恋心を抱いているかどうかは怪しい。ただ、勘違いするな。わたしは、自分でも意外なほど、お前の隣にいるのが心地よいのだ。好意を持っているのは間違いない」

「……そっか」

「それに、狙った獲物は我が物にしたくなる性分なんだ。どうせなら、一番になりたくなるものだろう?」

「……気持ちはわからんでもないが、あんまり積極的過ぎると怖いな」

「心配するな。わたしと結ばれたとしても、ラウルは幸せになれる」

「セリーナが泣くのは嫌なんだよ」

「強情だな。そんなに執着するほどいい女か?」

「そうだよ」

「いつまでそう言っていられるか見ものだな」


 そんな会話をしていたら、リナリスがまた俺と腕を組んでくる。なんとなく気恥ずかしいので押し返したが、離れてくれない。

 仕方なくこの状態で歩いていると。


「ほほぅ。随分と仲がよくなったものだね。いったい何があったのか……」


 ヴィリクが、俺達の進路の先に立っていた。その両隣には、俺の知らない二十代くらいの綺麗な女性が二人。武器を見た限りだと剣士と弓士だ。ヴィリクの護衛だろう。


「……ヴィリク様。ご報告遅くなりましたが、帰還致しました」

「軽く報告は受けているよ。それで……良い旅になったかね?」

「……ええ」

「そうか……」


 数秒、見つめ合う二人。ヴィリクの表情に特段の変化は見られない。しかし、これだけで全てを察した様子。


「君はラウル君の側についたのだね?」

「そういうことです。今までお世話になりました」


 リナリスが俺から離れ、丁寧にペコリと頭を下げた。

 二人の関係がどういうものだったのかはよくわからない。リナリスは話さないし、俺もあえては訊いていない。それでも、かなり深い間柄だったのは察する。ある種の師弟関係に近いものだったのではないだろうか。

 その関係を、リナリスが終わらせた。

 ここで、リナリスが実はヴィリクからのスパイとして俺に好意を持ったふりをしていたらドラマだが、どうやらそうではなさそう。

 ヴィリクは小さく溜め息を吐き、初めて慈愛の籠った微笑を浮かべた。

 

「リナリスの好きに生きなさい。君はもう、それができる」

「……はい」


 リナリスが一瞬、泣きそうな顔をする。しかし、その気配を即座に消し去って、毅然とヴィリクに向き合った。


「ご恩は、生涯忘れません」

「大袈裟だな。私はごく当たり前の知識を与えた程度だ」

「わたしに、その当たり前を授けてくださいました。それこそが、わたしの今後に何より貴重なものになることでしょう」


 二人はわかりあっているようだが、これだけ聞いても俺には何が何やらという感じ。リナリスは、昔、非常識な何かをやらかしたことでもあったのだろうか? 答えてくれるかわからないが、後で訊いてみようかな。


「……君の将来に、幸多きことを祈るよ。まぁ、そのことは良い。ラウル君は、私の話を聞いてくれそうかね?」

「そうですね。旅の途中、それは約束してくれました」

「なるほど。よくやってくれた」

「最後の置き土産というやつです」

「十分だ。さて、ラウル君。私と少し話をしようか。そういう約束なのだろう?」

「あー、うん。でも、エミリアも同席させるって条件だ。いいだろ?」

「……よかろう」

「よし。じゃあ、とりあえずエミリアのところに行こう」


 ヴィリクを促したところで、付き従っている二人がひそひそとぼやく。


「あの孤高のリナリスがなびいた男にしては平凡ね……」

「何がそんなに良かったのか……」

「弱みを握られた……?」

「握られたって、リナリスが軽く脅せば相手は全てを忘れるでしょ」

「じゃあ、人柄に惹かれた……?」

「信じられないけど、そうなのかも……?」


 なんと言われようが構わないけれど、勤務中にあまりおしゃべりするものじゃないぜ。たぶん。

 少々惨めな気持ちになっていると、リナリスが俺に腕を絡めてくる。


「気にするな。わたしはお前に惚れた。それだけのことだ」

「……率直過ぎてドキッとするぜ」

「それが狙いだ」

「そうかい」


 俺達がイチャつくと、ヴィリクの護衛二人が控えめに賑やかになる。ヴィリクやその周辺はお固いイメージだったけど、存外、そうでもないのかもしれないな。


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