正妻

 目が覚めたのは昼過ぎで、リナリスが先に起きて服を着ていた。いつの間にか目隠しも外されて、即席の防音室も消えていた。また、俺も服を着せられている。

 ベッドの上で上体を起こし、頭を掻いていると、スラミと話していたリナリスが声をかけてくる。


「起きたか。腹が減ったろう? 食事に……」

「ラウル! おはよう! お腹空いたでしょ? ご飯にしよ!」


 リナリスの言葉を遮り、スラミが俺に抱きつきながら言う。リナリスが僅かに顔をしかめたが、特に何も言わなかった。


「おはよう、スラミ、リナリスさん。確かに腹減ったな。飯、食べいくか」

「うん! そうしよう!」


 スラミがぽよんぽよんのものを押しつけてくる。意図的にやってくれているんだろうけど、今は止めてくれ。昨夜から我慢続きで、爆発させてしまいそうだ。

 スラミを引き剥がそうとすると、逆サイドにリナリスがやってきて、ぴたりと体を寄せてくる。


「あ、あの、リナリスさん?」

「……リナリスでいい。そして、これはたぶん、ラディアの吸血の影響だな。なんとなく人肌が恋しくて、な」


 リナリスの顔が若干赤い。嘘なんだろうけど、こんな可愛い嘘なら許すしかない。

 個人的には非常に嬉しい状況なんだけど……セリーナに悪いよなぁ。

 帰ったら、真っ先にセリーナを愛でよう。


「えっとー、イヴィラ達はまだ寝てる?」

「うん! 二人ともまだ寝てるよ! ラディアは夜からずっと寝っぱなしだね! やっぱり昼には起きない体質なのかも?」

「そっか。まだまだ人間の町に慣れるのは時間がかかるかもなぁ」

「また夜に一緒に遊ぼうね!」


 スラミが、一層俺に張り付いてくる。頭を俺の肩に乗せ、うりうりと擦り付けてくる仕草が可愛い。 

 一方、リナリスは俺の手をぎゅっと力強く握ってくる。


「ラウル。あの二人はひとまず放っておけ。とりあえず食事にしよう。わたしも腹が減った」

「あ、ああ。そうだな。じゃあ、行こうか?」


 立ち上がろうとするが、二人ともべったりなので動きづらい。戸惑っていると、スラミがリナリスを牽制。


「ねぇ、リナリス。二人に挟まれたらラウルが動きづらそうだよ? 離れたら?」

「お前が離れたらどうだ? というか、もうスライムの姿に戻ってもいいんじゃないか? その方が動きやすいだろ」

「やだ。この姿でいる」

「それではいつまでも動けないぞ?」

「リナリスが離れればいいじゃん」

「お前が離れる方がスムーズだ」

「そんなことないよ。リナリスが離れるべきっ」

「お前はいつもべったりだったんだろう? もう十分じゃないか?」

「十分じゃないよ! 全然足りないもん!」

「うるさいな。寝起きのラウルに悪いとは思わないか?」


 放っておくと、いつまでも続いてしまいそう。俺が抑えないとだよな……。


「二人とも、落ち着いてくれ……。えっとー、うん、わかった。このまま行こうか」


 ちょっと動きにくいが、不可能ではない。俺は二人を伴って立ち上がり部屋を出る。それから一階の食堂へ。うーん、三人並ぶとやはり動きづらいし、周りにも迷惑かな。物理的な迷惑もあるが、精神的にも迷惑をかけている。ちらほらいる他の客の、いちゃついてんじゃねぇぞ、という視線が痛い。


「……二人とも、そろそろ離れない?」

「断る」

「やだ!」

「そう……」


 スラミはリナリスに嫉妬して対抗しているだけだろうが、リナリスも案外強情だな。恋愛とかに関心は薄いと思っていたけど、そうじゃないのかもしれない。

 結局、両サイドを押さえられたまま席につき、食事をすることに。両手が塞がっていたら食事も摂れない、と思っていたら、スラミが二人に分裂して、片方が食事介助してくれた。なんだろう、優越感もあるけど、ものすごく恥ずかしい。

 リナリスはここで対抗意識を燃やすわけではなかったのだが、握った手は決して離さなかった。

 食事も終えて、改めて今日の予定を尋ねる。


「今日はどうする? リナリスは何か予定がある?」

「……名残惜しいが、わたしはギルドに呼ばれている。虹色の慈雨レインボウ・レインのメンツも今日到着するはずだから、顔合わせをするようにと言われているんだ」

「あー、そっか。あの三人は今日来るのか」

「あの三人が揃えば、わたしの役目はほぼ終わったようなものだな。あとはどこにいくのも自由だろう」

「なら、それからはどうする?」

「……特に予定はない。一度ホルムに帰り、ヴィリク様に護衛の仕事から下りると伝える必要はあるだろうが、急ぎではない」

「そっか」


 俺としても、特に予定らしい予定はない。

 今日もぶらぶらして過ごそうか……と思っていたら、スラミが急に宿の入り口の方を見る。どうした? と声をかける前に、扉が開いた。


「ラウルー! やっほー! 元気してるー?」


 ルーの朗らかな声が宿に響く。もう到着していたらしい。それに、俺の居場所は以前預かった栞でわかるんだったな。ルーの後ろにはメアとフィラと……セリーナもいた。


「あれ? セリーナ?」


 セリーナが入ってきて、つかつかと俺のもとに歩み寄ってきた。非常に複雑そうな、怒り出しそうな顔。まぁ、俺の状況を見たら、そりゃ怒りたくもなるよな……。


「あー、もしかして、ルー達と一緒に来たのか?」

「はい。ちょうど今日、この町に来るというので、無理を言って一緒に連れてきていただきました。飛竜スカイ・ドラゴンに乗るのは初めてですよ」

「そ、そうか……。薬屋は大丈夫か?」

「今日はお休みです。ソラも彼女なりに元気です。で、これはどういう状況ですか? スラミさんはまだわかりますが、リナリスさんとはどういう流れでこうなったのでしょうか? 昨夜だけの関係ではなかったのですか? 食事中も手を繋ぐ関係になる予定とは聞いていませんよ?」


 セリーナがジト目で俺を見つめる。


「セリーナ、とりあえず、話を聞いてくれ」

「無論そのつもりです。ラウルのことですから、何かしら事情があったのでしょう。話は聞きますから、きちんと話してください」

「そうだな。うん。とりあえず、スラミとリナリスは離れてくれるか?」


 スラミは、実に不満そうではあるが、一度離れてくれる。しかし、リナリスの方はぎゅっと手を握ったまま。


「わたしはまだ離れるつもりはない」

「えー……」

「好きなだけ利用してくれればいい、と言ったじゃないか。そうさせてもらおう」

「そう言ったけどさぁ……」


 俺が困っていると、リナリスは不敵な笑みを浮かべてセリーナを見る。


「ラウルはいい男だな。わたしも欲しくなったよ」

「……それは、どういう意味ですか?」

「そのままの意味だが? まぁ、別にラウルを独り占めしようというわけではない。ラウルはお前のことがよほど大事みたいだし、その気持ちは尊重するよ」

「尊重しておいて、その態度ですか……」


 二人の間に、火花がバチバチと散るのを幻視する。セリーナはさておき、リナリスってこんな性格だったっけ? もっと淡泊な奴だと思っていた。


「ああ、そういえば、わたしはお前にお礼を言わないとな。お前がラウルを鍛えてくれたおかげで、わたしも随分と気持ちの良い夜を過ごせた。ありがとう」


 リナリスの笑みに、セリーナは顔をひきつらせる。


「……一方的な行為だったと思いますが?」

「そうだな。一方的にもらうだけで、わたしも心苦しかった。次はわたしからもラウルに奉仕させてもらうつもりだ。なぁ?」

「なぁ、って。俺は初耳だよ」

「今言ったからな」


 リナリスがニッと笑って、俺の肩に頭を乗せる。セリーナが眉をぴくりと動かした。


「……ラウル。少し仲良くなりすぎではありませんか?」

「……すまん。俺もこの展開は予想していなかった」

「はぁ……。あれ? ところで、その剣はなんですか? いつものと違いますよね?」

「わたしからのプレゼントだ。ラウルは気に入ってくれたようだ」

「プレ、ゼント……?」

「待て、リナリス。これはプレゼントとかの類じゃないって言ってただろ」

「そんなこと言ったか? それはわたしからのプレゼントだ。大事に使え」


 昨日と言ってることが違う。セリーナに喧嘩売るために都合良く使っているな……。


「へぇ……プレゼントですか。随分高価そうですね……」

「十万ルクだ」

「じゅ、十万……」


 セリーナの庶民感覚からすると、十万ルクのプレゼントは非常に高価。高級なスポーツカーを贈られているようなものだからな。そりゃびっくりだ。


「ラウルにはこれくらいの剣が釣り合う。それくらいの実力があるからな。知らなかったか?」


 マウントを取るような言い方は止めてくれ。後が大変だ。


「……薄々は察していました。わたくしは武人ではないので、詳しくはわかりませんでしたが」

「ラウルの実力にはわたしも一目おいている。のんびり過ごすのが好みらしいから、強力な武器は必ずしも必要ではないかもしれない。が、いざというときのために持っておいた方がいい。死なれては嫌だ」

「……わたくしとしても、ラウルに死なれては嫌です。良い武器を購入いただいてありがとうございます」

「お前のためだけではない。それで、ラウルに事情を聞きたいのだろう? わたしもついて行こうか。どこがいい?」

「ラウルと二人で話がしたいのですが?」

「わたしがいては不都合か? ラウル一人では、ラウルの都合のいいように嘘を吐くかもしれんぞ? 真実が知りたくないか?」

「……本当のことを知りたいですが、今は二人で話したいので」


 リナリスが姿勢を正し、セリーナと睨み合う。俺がまた仲裁しないとだよな……。と思っていたが、ルーが助け船を出してくれる。


「ちょっとストップ! 朝から修羅場繰り広げないでね! まぁ、昨日の今日でラウルがリナリスとこんなに仲良しになってるのはびっくりだけど、ラウルはあたし達のものでもあるんだからね! 勝手な行動は許さない! まずはセリーナ優先だよ! あたし一人じゃリナリスを圧倒する力はないかもしれないけど、今は三人いるよ? 力づくで引き剥がしてほしい?」


 ルーに凄まれて、リナリスがふっ、と息を吐く。


「三対一では流石に分が悪い。ここは大人しく引こう。しかし……」


 リナリスが、手を離す前に俺の頬に軽く口づける。


「ラウル。結婚もしていないのなら、初めての女だからと言って、セリーナに執着する必要はないと思うぞ?」

「……初めてのひとだから執着してるわけじゃないよ」

「そうか? まぁ、そういうことにしておこう」


 リナリスが離れる。

 すると、セリーナが俺の顔を両手で包み、次の瞬間には唇を重ねてきた。抵抗する意志など全くないのでそれを受け入れ、長くキスをする。まだ離れて二、三日程度なのに、随分懐かしく感じられて、必然的に情熱的なものになった。

 ようやく離れたときには、俺はかなりその気になってしまっていた。


「ラウル。二人きりで、今すぐお話をしたいのですが?」

「いいね。新しい部屋を一つ、借りようか」


 今までいた部屋にはイヴィラ達が寝ているから、別の部屋がいる。別室を借りるのは金がかかるが、たいした出費ではない。

 セリーナに誘われるままに、俺も立ち上がった。


「ちょっと話してくる。まぁ、なんか用事があったら呼んでくれ」


 セリーナを伴って宿のカウンターへ向かい、部屋を借りる手続きを済ませる。セリーナは、どこかほっとしたように微笑んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る