準備

「つーことで、悪いけど何日か家を空ける。ごめんな」


 セリーナの店に寄り、ざっくりと事情を話したところ、セリーナがとても寂しそうな顔をした。初めて結ばれた日、俺が去ろうとしたときの表情によく似ていた。


「……依頼クエストでしたら仕方ないですよね。必ず、無事に帰ってきてくださいね」

「もちろんだ。ま、スラミの一部を持っておけばある程度連絡は取れるから、案外寂しくもないかもな」

「確かにそうですね。でも、わたくしが傍にいてほしいのはスラミではなくてラウルですから」

「……あんまり可愛いこと言うなよなー。押し倒したくなっちゃうだろ?」

「生理中でなかったら、積極的に誘うところですけどね?」

「惜しいな。ま、ちょっとわけありで悠長にもしてられないから、どっちにしてもここはお預けだ」

「お預けだからって、スラミとしないでくださいね?」

「わかってるって」

「……ラウルが無事に帰ってきたときには、生理も終わっている頃でしょう。そのときは……存分に」

「おう。今から楽しみだ」


 本当に楽しみ過ぎて、下半身が反応してしまいそうだ。


「ソラにも今から話しにいくけど、俺がいない間、頼むよ」

「わかりました。任せてください」

「頼もしいね。助かる。あ、そういえば、絵は売れた?」

「二枚売れました。女性客が二人、一枚ずつ。繊細で綺麗で素敵だね、とおっしゃってましたよ」

「そっかそっか。それも伝えておこう」


 声かけも終わったところで店を出ようとする。が、その前にふと思い立ち、セリーナにキスをした。少し控えめで、優しさを全面に押し出したもの。


「行ってくる」

「……はい。行ってらっしゃいませ」


 セリーナのうっとりした微笑みに見送られ、名残惜しさを振り切って今度こそ店を出た。

 次に向かったのは自宅で、家に入るとソラが熱心に絵を描いていた。ソラは顔も上げず、どうでも良さそうにボソボソと言う。


「……どうしたの? 痴話喧嘩でセリーナに追い出された?」

「ちげーよ。無理矢理依頼クエストに引っ張り出されることになってね」


 旅支度をしながら、ざっくりと状況を説明。ソラはあまり関心無さそうにふんふんと頷いていた。


「俺がいなくて寂しいかもしれないが、セリーナもスラミもいるから、少しだけ我慢してくれ」

「我慢……? 何を……?」

「うわー、ストレートに疑問をぶつけられるって心を抉られるわー」


 ソラの微毒舌がだんだん鋭さを増しているような気がする。変なところで成長してしまっているな。


「まぁ、いいや。それより、ソラの絵、とりあえず二枚売れたって」

「え、嘘。……嘘だったらラウルが寝てる間にその目を抉りとってしまうかもしれないけど、大丈夫? 訂正するなら今よ?」

「こ、怖いこと言うなよ……。セリーナがそう言ってたから本当だよ」

「そう……。そうなの……」


 ソラが視線をさ迷わせる。唇も妙にむにむにしている。素直に喜びたいのだろうけれど、俺の前だとそれを表現しにくいのかな。ツンデレだなぁ。


「俺が帰ってきたら、画材を買いにいこうぜ。筆とか絵の具とか。白黒だけじゃ物足りないだろ?」

「お金さえくれればセリーナと行くけれど……?」

「……ソラ、俺を人の形をした財布と思ってないか?」

「財布を守るためだけにいる騎士ナイト様でしょう? いつも感謝してるわ。財布を守ってくれてありがとう」

「財布を保護するだけの騎士ナイトって……。人であるだけましと言うべきか……?」


 本当に、ソラが悪い方向に成長していないかと心配になる。大丈夫……だよね?


「まぁ、いいや。とにかく行ってくるよ。ちょっと危険だからスラミももう少し持ってく」


 普段はスラミを半分置いていっているが、四分の一にしておく。ソラのことも守ってほしいけれど、俺が死ぬわけにもいかない。


「……そんなに危険なの?」


 初めて、僅かに心配そうな顔。とっさに見せられるとグッとくるな。


「ちょっとだけな。ま、そんなに心配はいらないから、のんびり待っててくれ」

「……そう。別に心配なんてしてないけど。でも、ラウルが帰ってこなかったら、私は晴れて自由の身ね。無理矢理生きてる理由もないし、さっさと死なせてもらうわ」

「物騒なこと言うなよなー。俺は帰ってくるからなんでもいいけど」


 ソラが、遠回しに俺の帰りを待っていると伝えてきたのだとはわかった。素直じゃない言葉の端々に滲む好意が嬉しい。

 死ぬつもりなんてないけど、帰らなきゃという気持ちは強くなった。


「またなー」

「死んだら連絡してね」

「物騒なこと言うなっての」


 苦笑しながら部屋を出ようとする。そこで。


「死んじゃダメだから」


 聞こえるか聞こえないかくらいの小声で、ソラがポツリと呟く。何か反応したらまたツンデレな対応が待っているだろうと思い、俺は気づいてないふりをして、陽気に声をかけてドアを閉めた。セリーナがいなかったら惚れてたかもな。

 さておき。

 エミリア達にも挨拶しておこうかと思ったが、移動と準備で既に時間がかかったし、エミリアも忙しいだろうと思ったので割愛。後で怒られるかな?

 急ぎ足で東門まで行くと、リナリスが竜車の前で待っていた。俺を見つけて、関心のなさそうな目を向けてくる。


「もういいんだな?」

「おう。いいぞ。今生の別れじゃあるまいし、長々と別れに時間はかけないよ」

「……そうだな。しかし、そうならないとも限らない、とは思う。冒険者なんてそんなものだ」

「それはそうかもな……」


 サラーだって、今日で仲間とお別れ、なんて思ってないときに、急にお別れになったことだろう。


「しかし、今からもう一度戻る、などと言われては面倒だ。行くぞ」

「そうだな」


 二人で竜車に乗り込む。

 なお、竜車というのは、小型の走竜が引く馬車である。馬が引くより速いので、急ぎのときには利用される。普通なら余計に金がかかるが、これはヴィリクの持ち物かもしれない。だったら金は関係ないか。

 幌のかかった荷台の中には、既にリナリスの荷物が置かれている。一抱えある皮袋には食料や着替えが入っているのだろう。他にも雑多に荷物が積んであり、俺達の輸送ついでに物流も行っているのが見受けられる。Aランク冒険者が乗る竜車なら安全だし、いい機会なのだろう。商魂逞しいね。

 乗ってるのは、俺とスラミとリナリス、そして御者の中年男性の三人と一匹。


「出発してくれ」

「あいよ」


 リナリスが御者に声をかけると、竜車がじわじわと動き出す。自力で歩くよりはもちろん楽だが、ろくに舗装されてない道をガタガタ揺れながら進むので、ゆったりできるものではない。自動車が恋しいな。あるいは、ゴムチューブのタイヤでも作ればましになるか? あるいはサスペンションか……?

 そんなことを考えつつ、荷台の一角の腰を下ろす。クッションが置いてあるのは、やはり金持ちの手配したものだからだろう。

 目的地までは、途中で休憩も挟みつつ、行くだけでもほぼ一日はかかる。モンスターが出れば俺達で退治するだろうが、それまで特にすることもないのも退屈だ。

 スラミと遊ぼうかなとも思ったが、リナリスとも親しくなっておく方がいいかもしれない。命を預ける相手だしな。


「リナリスさんってさぁ、エルフだよね?」

「……それがなんだ?」

「こっちでは珍しいなと思ってさ。ホルムってヒト族ばっかりなんだよな。獣人とかドワーフとかもほとんど見かけない。別に変な差別が残ってる感じでもないけど」

「わざわざ異種族の町で暮らそうとする者は少ない。お前とて、わざわざドワーフの住む鉱山の地下に住もうとは思うまい」

「まぁ、確かに」

「それぞれの住みやすい土地に住む。それだけの話。……まぁ、エルフは自分達以外を多少見下すところがあって、里の外にあまり出ないという事情もあるが」

「へぇ、それじゃあ、どうしてリナリスさんはヒト族の町に?」

「……お前には関係ない話だ」

「まーな。じゃあ、リナリスさんはヒト族が好き?」

「好きではない。……嫌いではない者も多少はいるが」


 嫌いではない、というのが、ヴィリクなのだろうな。


「そっか。ずっとヒト族の町で暮らしていくつもり?」

「特に決めていない」

「そ。キョウダイはいるの?」

「お前に答える義理はない」

「それはそうだな。じゃあ、最近何か大物を討伐した?」

「……一月前、竜殺しの巨人ドラゴン・バスターを討伐した」

「へぇ、すごいな。噂でしか知らないけど、強いんだろ? Aランクモンスターの中でも上位だとか」

「……それは成長しきったやつの場合だ。わたしが討伐したのはAランクの中堅程度の力量」

「それでも立派なもんじゃん」

「……別に嬉しくもない。たまたまわたしの方が強かっただけ。強さで得られる名声などにも興味はない」

「ふぅん。敬愛する相手は、強さ自慢ってわけじゃないんだもんな」

「ヴィリク様は戦闘の強さよりもずっと尊い力を持っておられる。そのお方がお前などを取り込もうとされているのだ。二つ返事でその身の全てをヴィリク様に捧げるのが本来のあり方なのだ」

「……なんか、あんたの話聞いてると少し怖くなるな。大丈夫か? ちゃんと自分の判断ができてるか?」

「無論だ。お前などに心配されるほど愚鈍ではない」

「……恋は盲目、ってやつじゃないといいが」


 リナリスが憎悪さえ感じる目で俺を睨む。この話題は嫌そうだけど、なにか事情があるのかね? あ、もしかして。


「……ヴィリクって、既婚者?」

「……妻も子もいる」

「あ、なるほど。変なこと言って悪かったよ」


 金持ちが複数の愛人を持つことはよくあることだが、リナリスが愛人という立場に甘んじるかは怪しい。

 報われない恋に悩むこともあるのかもしれないな。気安く踏み込み過ぎたようだ。反省。

 

「ふん。わたしはお前と仲良くなる気などない。おとなしくしていろ」

「はいよ」


 反省しながら、しばらくは静かにしておく。ガタガタと揺れ続けて尻が痛いなー、と思っていたところで、御者が声を上げる。


「モンスターだ! 頼むぞ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る