散歩
ソラが散歩をしたがった。それだけのことがとても嬉しい。セリーナと一緒にいるときとはまた違った、浮かれ気分になる。
「その服でいいか?」
「……構わない」
俺が雨の日に使っている
「女の子からするとちょっと武骨かなぁ。新しい服買うか?」
「……いらない」
「遠慮しなくてもいいぞ?」
「遠慮とかじゃない」
「そっか。ならいいや。とにかく行こう。まずはセリーナの店かな?」
「それでいい」
新しい服はまだいらない、か。女の子らしい格好はまだしたくない、ということなんだろう。当たり前だが、まだまだ完全に回復したわけではない。一ヶ月半程度で外出する気になっただけでも、十分な進歩だ。
二人で家を出る。ソラは、体力が落ちていてふらふらしている。それでも、きちんと自分の足で立って外に出られたのは素晴らしいことだと思う。涙が出そうだよ。
「じゃ、行こう。疲れたらおんぶしてやるぞ」
「されたくない」
「だっこが良かったか?」
「もっと嫌」
「さては、お姫様だっこを希望しているな?」
「……やっぱり散歩やめようかな」
「おーっと、待て待て。疲れたときには休みながら帰ればいいさ。さ、行こう」
ソラの歩みに合わせ、今日はかなりゆっくりと歩く。夏も近いのに完全防備なソラに奇異の視線を向ける者もいるが、そういうのは無視して突き進む。
道中、色々と話しかけてはみるものの、やはりソラの反応はそっけない。少なからず好意は持ってくれているはずなので、これはツンデレなのだと思っておこう。心の中では、俺への好意をぶつけたくて仕方ないのだ。うん。
なんて、ちょっと妄想混じりに考え、いつもの倍以上の時間をかけて歩くと、セリーナのお店に到着する。
「いらっしゃいませ。あ、ラウルっ、来てくれたの?」
俺の姿を認め、セリーナの声が一瞬にして華やぐ。とても嬉しい反応だ。
丁度他に客の姿はなく、気兼ねなくセリーナと話ができる状況。
「まーねー。それに」
「あ……ソラさんも一緒? そう……。それは良かった」
セリーナが、あまり大袈裟にならないように気を付けてか、じんわりと優しく微笑む。その声に、心からの喜びが滲んでいた。
「……なるほど。セリーナは、ラウルの前ではあんな風に笑うのね。完全に女の顔だったわ」
ソラに指摘されてセリーナが顔を赤らめる。その表情もいいね。
「あ、その……」
「別にいいけど。二人は恋人なんでしょ? 私に気を遣わなくていい」
「……わかりました。と、とにかく。ソラさん、今日はわたくしに会いに来てくださったんですか?」
「まぁ、ね。どんなお店なのかも気になったし」
「いつでも来てくださいね。お客さんがいないときであれば、お話くらいはできますよ」
「……今もお客さんいないね。こんなもん?」
「まぁ、こんなもんです。薬屋は食品等とは違って、たくさんの方がいらっしゃる場所ではありませんから。商売的には残念ですが、皆さんが元気であるということでもありますので、良いことですよ」
「……そう。誰もいないのに、暇じゃない?」
「暇なときもありますね。ただ、一人のときには魔法薬の本を読んだり、薬の調合をしたりと、やることはあるものですよ」
「そっか」
ソラがお店の中を物珍しげに見回す。あまり薬屋に来ることはなかったのだろうか。
「……ここにある植物って、自分で取ってくるの?」
「一部はそうですね。でも、危険な場所にあるものもたくさんありますので、業者に発注したり、冒険者に取ってきていただくことも多いです」
「そう……」
ソラは、展示されている薬草、特に花のついたものに興味があるらしい。指先も動いていて、何かを描こうとしている様子。
「……紙と書くものをお貸ししましょうか?」
「あ、えと……邪魔じゃなければ」
「構いませんよ」
セリーナが紙と板と筆記具、ついでに椅子をソラに貸し出す。ソラは、それに座って薬草の絵を描き始めた。本当に絵が好きなんだな。
「あとで花屋にも行くか?」
「……うん」
ソラは上の空で答える。集中しているようだ。
ソラのことは一旦放置し、俺はセリーナとひそひそと話し合う。
「……ソラさんが絵を描くのがお好きでしたら、訓練がてら図鑑を作っても良いかもしれません。絵描きほどの卓越した技術は必要なく、どんなものかわかる絵が描ければ十分です」
「そういうの、既に割とあるんじゃないの?」
「ありますよ。でも、古いものがずっと使い回されていて、絵が霞んでいることも多く、内容も古いものが多いのです。新しくわかった、毒草と間違えやすい薬草の見分け方なども載っていません。わたくしは絵はあまり上手くないのですが、ソラさんが絵を描き、わたくしが解説を書き添えるということができれば、良い図鑑になるのではと思います」
「なるほど。それ、いいなぁ。ソラ、家では結構退屈そうにしてるし。仕事をあげると喜ぶはず。でも、作っても一冊だけだよな?」
こっちでは印刷技術なんてないから、本は基本的に手書きで写すしかない。だから本は非常に高価な代物だ。
「まずは一冊ですね。それを、写本をしている業者に写してもらうことになります」
「そっかー。あ、でも、ガリ版印刷くらいならできるんじゃないか?」
「……ガリ版印刷、とは?」
ふとした思い付きが漏れて、セリーナが怪訝そうにする。セリーナの前で、ちょっと気が緩んでしまったかもしれない。
「えっと……」
俺は、まだ日本にいた頃にガリ版印刷について軽く調べたことがある。ここまで来たらもう仕方ないと、その仕組みをセリーナに説明してやる。
やすりの上に置いた、薄い蝋を塗った紙に鉄筆で字を書く、云々と身ぶり手振りを交えて解説するとセリーナが驚愕の表情。
「あ、あの……その技術は、どこで学んだのですか?」
「いやー、学んだっていうか、昔、旅の人から聞いたんだよ。誰かはもうわからない」
ということにしておこう。セリーナに嘘をつくのは心苦しいが、転生者であることはまだ秘密。一生秘密の方がいいかもしれない。
「……実際にやってみないとわかりませんが、その技術が使えるのであれば、世界が一変しますよ」
「かなぁ?」
「あとでエミリアに相談しましょう。わたくしには手に終えない話になります。ただ……その話をすると、エミリアはその他にも何か知っているのではないかと、質問攻めにするかもしれませんね」
「ちょっと怖いなぁ」
パソコンを知っている俺からすると、ガリ版印刷なんてアナログな技術は比較的簡単なもの。それでもこの世界では大変な発明品になってしまうのだから、迂闊な発言は控えなければ。
「……でも、本を大量に作れる技術というのは、学ぶ者からすると本当にありがたいものです。広めたいとは思いますね」
「だなー。ま、この辺はエミリアに任せよう」
新しい技術は、何かと問題も引き起こすもの。得する人、損する人がたくさんいて、すんなりとは受け入れられないのだ。浸透させるには色々と考えることがある。
先日、エミリアからもそれに関して話があった。
『避妊具が商品として優れているのは、実用性についてだけじゃない。既存の商人がほとんど取り扱っていないから、どこの市場も荒らさずにすむんだ。
特に、大商人が扱っていないのは大きくて、その商人の邪魔にはならないからあえて潰そうとはしてこない。他のものであれば、躍起になって自分達のものが売れるように画策してくるだろう。商品開発力や価格競争では勝ち目がないから、個人では太刀打ちできない。
こういうことがあるから、私がどう頑張ってもなかなか店を成長させられなかった。言い訳がましいが、実態として非常に厳しい。
他にも、新産業だから懇意にしている者同士の利権とも無縁。こちらの思う通りに商売をできる、優れた商品だ』
こちらの世界でも、商売は一筋縄ではいかない様子。誠実に働けば成功できる、なんて甘い話ではない。
ちなみに、こちらでは避妊具の通称をラミィと呼んでいる。スラミが語源だ。コンドームだってもとは人名なので、それに倣った。俺の名前にはしたくなかったし、スラミそのままの名前も紛らわしいので、少し変えた。
さておき。
「あ、話変わるけど、店主っていつ帰ってくるんだ? 不在は二ヶ月くらいじゃなかったか?」
「……その予定でしたが、変わりました。もしかしたら、もう帰ってこないかもしれません」
「え? どういうこと? まさか、死んだ?」
「いえ。ラウルさんですからお話ししますが、店主は単純に旅に出ていたのです。二ヶ月くらいで帰る予定でしたが、旅先で出会った女性と恋仲になり、その町で暮らし始めたそうで……。そのまま結婚して永住するかもしれません。
もしよければ、わたくしがこの店を引き継ぎ、店主になっても構わない、という手紙が届きました。まだ店主の恋がどうなるかわかりませんので、可能性の話ですが」
「おー、いい話なんじゃないか? お店までくれるっていうなら、断る理由もないだろ」
「そうですね。引き受けるつもりではいます。ただ、少し気になるのが……」
「ん? 何かあるの? 実は借金があるとか?」
「いえ。……ラウルさん、ずっとこの町にいてくださいますか?」
セリーナが不安そうに俺を見る。
なんのこっちゃと一瞬思うが、俺は暫定的にこの町を拠点にしているだけの冒険者だ。いつ町を離れてもおかしくない。しかし、店を引き継げば、安易に店をやめることもできない。だから、不安もある、と。
なんて可愛いやつだ!
「俺がセリーナを置いてどっか行くわけないだろ? 大丈夫だから、その話、受けちゃえよ」
そういうと、セリーナがホッとして笑顔を見せる。
「……安心しました。ラウルさんがずっといらっしゃるのなら、お店は引き継ぐ方向で考えます」
「うんうん。ま、色々大変だろうけど、俺も手伝うから。頑張ろうぜ」
「はい。宜しくお願いします」
と、二人で少々盛り上がっていると。
「……人の後ろでのろけないでよ。さっさと結婚すれば?」
ソラの呆れた声に、二人で顔を見合せて赤面してしまった。
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