届かないぼくらの鬱屈と愛

 大人気アイドルAと超人気声優Bの電撃結婚のニュースが流れたその日、あたしは会社を休んだ。許せなかった。あのクールで落ち着いたBが、Aみたいな、上目遣い自撮りを『#ブス』とかつけて上げる子を好きになるはずがない。翌日も、その次の日もあたしは有休を使って、延々とAの悪口ばかりをネットの海にばらまいた。『ていうかそんな可愛くないよね』送信ボタンを押して、あたしはまた鼻をかんだ。目も鼻も水分に爛れてひりひり痛む。カギなしの探そうと思えば探せる個人チャットで全世界に向かって彼女の悪口を公開し、同じ境遇のファンと傷をなめ合う一方で、あたしたちは彼女の目にこの言葉が届かなければいいのにとも思っていた。こんな自分たちが一番醜い事なんて、分かりきっていた。

 ぽんと通知が一件とび込んだ。『Bファンの程度の低さ、ホントBそっくりだよな』それはAファンからの果たし状だった。カーンとコングが鳴り響いて、そこからは文字通り、悪口の銃撃戦だった。誘導された先の掲示板で、あたしたちは双方の推しをこき下ろし、それはやがて推しのファン全体まで及んだ。『根暗』『ヒステリ女』『どうせ現実に彼女いないんでしょ』『お前らだって十分きもいから』『Bの女癖に引っかかっちゃったAちゃん可哀そう』『はあ? 逆でしょ』『Aちゃんは天然だから、悪い男にひっかかるんだ』『あの女が天然とかありえない、童貞もいい加減にして』『ちょっとまって、これ→』

 その明らかにやばそうなURLをクリックしたのは、ファンの本能だったのかもしれない。飛んだ先は、SNSのプロフィールだった。派手に飾り付けられたキラキラしいアイコンに、片方ずつハートマークを作るAとBが満面の笑みで映っている。『#出会えた奇跡に感謝』『#新婚ハイ』『#一生一緒』いやマジかよ。ずらりと並ぶ浮かれたハッシュタグに、くらくらした。

 彼らは訊いてもいないのに、なれそめから告白した場所、デートしたときのエピソード、プロポーズのアクシデント、今の家のちょっとした不満なんかを延々と語り続けていた。ものの半日の間に、あたしたちは本人たちと同じくらい彼らに詳しくなっていた。ふと気づくと、あれほど盛り上がっていた掲示板は死んでいた。ずらずら並んだ意味のない泥の掛け合いを、あたしは延々とスクロールして眺めた。全力で走って走って、走り切ったあとのようなぼんやりとした疲れだけが体に残っていた。なんのことはない。彼らがファンのことを知らないように、あたしたちも、彼らのことを知らなかった。それぞれが、仮面越しに手を振っていただけだった。

 でも、それでも楽しかった。ウソでも、好きだった。

 あたしはBのファンをやめなかった。けど、彼の出ている雑誌よりも、彼の出演している作品をよく見るようになったかもしれない。彼の仮面は今日もすばらしくうつくしい。その仮面を支える肉体が、どうか幸せであれと今では思う。

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