宝石の木
先生はいつも伏し目がちだった。教師にあるまじき声の小ささで、ぼそぼそと授業を終えると、チャイムを待ちきれないようにさっさと教室を出て行ってしまう。当然、先生の地学の授業は全然人気がなくて、事故で失ったという左手のこともあって、ぼくたち生徒はなんとなく、近寄りがたささえ感じていた。
だからそんな先生が、こんな大きな秘密を抱えているなんて思いもしなかった。校舎の裏の物置小屋に、こっそりあった地下室の奥で、銀細工のように光る木の前に立つ先生は、一瞬別人かと思うほどに強い目をしていた。はじめて正面から見つめた先生の瞳は、大人を信じない少年みたいに、思わずたじろぐほどするどかった。
先生は、学生の頃からこの木を守ってきたのだという。針金をより合わせたみたいな枝先には、様々な宝石が実っていた。炎を詰め込んだみたいな赤、夜空を切り取ったみたいな紺、太陽に染まったみたいな黄、今にも脈打ちそうな緑。「売らないんですか?」ぼくは枝先に成った浅葱色の宝石をつつきながら訊いた。「もったいないよ」と先生はライトで丁寧に木を検分しながら言った。「こんなにきれいなんだから」
先生の言っていることはとてもよく分かったので、ぼくは先生と一緒に木の世話をすることにした。世話と言っても、地中に埋まる木だから地面はいつでも湿っていたし、水やりの必要もなかった。せいぜい変な雑草や、モグラや虫を追い出すくらいのことだった。ぼくたちはもっぱら、木のうつくしさと成った実のすばらしさに、言葉もなく立ちつくしていただけだった。宝石なんて興味なかったけれど、法外なお金を積んででも手に入れたい人たちの気持ちが、少しだけ分かった。ぼくの中学時代の三年間で、最初に成っていた浅葱色の宝石は、ゴマ粒みたいな大きさからようやく枝豆くらいに成長した。「これからも来ていいですか?」卒業証書を手に訪れた日、ぼくは先生に訊ねた。先生はにっこり笑って頷いた。「その代わり、一つ頼まれごとをしてくれますか?」
先生が亡くなったのは、ぼくが四十代のときだった。言いつけ通り、ぼくは先生の死体を木の下に埋めた。冬でよかったと、ぼくは汗だくになりながら思った。先生は満足そうな顔で眠っていた。
先生の遺体を埋めてから、ずっと大きさの変わらなかった浅葱色の宝石が、夏場のトマトみたいに日ごとに大きくなっていった。先生と同じ地学の教師になったぼくは今日も、仕事終わりに地下へ向かう。先生の宝石のとなりに成り始めた、よく似た色の小さな実を、残った右手でそっと触れる。奥の階段から、足音が降りてきた。今度の生徒は果たしてかつてのぼくか、それとも子どもの顔をした盗賊か。願わくは前者でありますように、とぼくは祈りながら、あのころは気づくことのなかったポケットの中の銃をにぎりしめた。
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