妻の猫

 元妻の猫を引き取ってほしいと言われたのは、彼女の葬儀のあとだった。突然の事故に憔悴しきったかつての義両親に、いい格好しいなぼくはつい、「任せてください」と言ってしまった。キャリーケースを持ち帰ってきたぼくをみて、妻は一瞬不快感をあらわにしたけれど、事情を話すと「猫に罪はないものね」とほほ笑んだ。妻もまたぼくに似て、いい格好しいなのだ。

 ケージを開けたら飛び掛かってくるのではないかと不安だったけれど、猫はびくびくしながらそっとにおいを嗅いだだけで、怒ることも引っ掻くこともなかった。もともとそういう奴だった、とぼくは思い出す。元妻と拾った彼は、オスのくせにひどくビビりで、ちょっとの物音にも飛び上がるやつだった。めったに鳴かず、たまに彼女が出張で居ない夜、まるでぼくを責めるように、かぼそくにゃあにゃあ鳴くくらいだった。元妻のほうばかりに懐く、とぼくが拗ねると、「あんたが居ないときにも鳴いてるよ」と彼女は笑った。ぼくが彼女に頭を下げて離婚を迫ったときも、泣く彼女に寄り添うばかりで、にゃあにゃあ何かを訴えることはなかった。

 彼が今のぼくの家に慣れるまで、一週間かかった。ようやく自由に室内を動き回るようになっても、ぼくにも妻にもあまり近寄らず、手の届かない場所からじっと見つめることが多かった。元妻によく懐いていた彼のことだから、きっとぼくらを恨んでいるのだろう。かといって追い払うのも気が引けて、ぼくも妻も居心地悪くその視線に耐えた。彼は一度も鳴くことがなかった。猫なりに、彼女がもういないことを理解しているようだった。彼は与えられたケージの中には入らず、出窓に座ってリビングでくつろぐぼくたちを見ていた。ぱたぱたと振られる尾の音以外、まったく気配を感じさせないので、妻はたまに、思いがけず後ろにいた彼の姿に悲鳴をあげた。

 鳴きもひっかきもしない彼の無言の圧力に、先に参ったのは妻だった。「きっとあの女が死に際に命じたんだわ」妻はらしくもなく取り乱してぼくにすがった。「わたしたちを監視して、不幸にしろって言ったんだわ。そうじゃなきゃ、わたしたちのことあんな目で見るわけないもの」

 ぼくは猫を書斎に閉じ込めた。彼は抵抗しなかった。保健所に電話をかけた日の夜、帰ってくると彼はぼくの椅子の上で丸くなっていた。それは、彼が元妻の椅子の上でよく見せた姿だった。ぼくは音を立てずにそっと近づいて、おそるおそる指をのばした。ぼくの指先を、彼はしずかに受け入れた。甘えるようにわすかに顔を傾けたあと、彼はほんとうにかすかに鳴いた。ぼくがなでている間ずっと、彼は彼女を呼ぶように、小さく小さく鳴き続けていた。

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