マッドサイエンティストの祝福
山間のその村にたどり着いたのは偶然だった。オレを振り落としてさっさと狩りに出てしまった相棒の竜に悪態をつきながら、オレは上空から見つけた集落を目指す。ゆるやかな斜面にポツポツと平屋があり、それぞれの前に小さな畑が広がる、こぢんまりとした村だった。人影はどこにもない。どこからか、甘いような苦いようなにおいが漂ってくる。ようやく見つけた、青い花が咲き乱れる畑で作業をしていた男に声を掛けた。「へえ、旅人さんですか」彼は泥のついた頬をゆるめてにやりと笑った。「残念ですけど、ここに宿屋はないですよ」
食材だけでも分けてほしいと手を合わせたオレを、彼は心よく自宅に泊めてくれた。その代わり、みっちり畑仕事を手伝わされた。花を刈り、花弁をそっとより分けて、ぎっしり詰まった荷籠を彼の家まで運んだ。彼はこの辺りにしか生育しないこの花を研究しているらしい。「栽培がとても難しいけれど、おもしろい効果があるんですよ」食卓を囲みながら、彼は言った。「この花を乾燥させて焚いて煙を吸わせると、どんな動物でもいう事を聞くようになるんです」試してみるかと問われて、オレは慌てて首を振った。姿を見せない村人のことが脳裏をよぎる。この男の操り人形にされてしまってはたまらない。
彼は食事を終えると実験室に向かった。さっきの話が尾を引いて、オレはちょっとだけためらったけど、好奇心には勝てなかった。見せてもらった実験室には、さまざまな試薬や、鍋やガラス器具が並んでいて、想像していた謎の瓶詰めとか人そっくりの人形だとかはどこにもなかった。小さな部屋で、彼はよどみなく手を動かしながら、オレの話を聞きたがった。宿代がわりに、オレは隅っこの丸椅子に座りながら、これまで旅してきた場所の話を聞かせた。空に浮かぶ海の女王、地の割れ目に住んでいた一族、横に伸びる大樹の上で暮らす人々。どの話も、彼は目を輝かせて聞いていた。彼はここの出身ではなくて、若いころ偶然この村を訪れ、それ以降、ずっとここに住んでいるという。
「外に出ればいいのに」最初に抱いた不信感はだいぶ薄れていたけれど、それでもオレは注意深く言った。「ぼくがいなくなったら、みんな死んでしまうから」彼は手を止めて、弱々しく微笑んだ。「正しい事をしているとは思わないけれど、ぼくにはどうしても、見捨てられないんです」
この地には呪いが掛かっているのだと、彼は昔話を聞かせてくれた。遥か昔、好き放題にこの地を荒らした祖先は地の神の怒りを買った。土は呪われ、できた作物を食べると気力を抜かれ、人形のようになってしまう。唯一の手段は、青い花だった。彼は病んだ村人たちに「あなたらしく生きるように」と言いながら、香を焚いて周っている。長い間、家の中でじっと死を待つだけだった人々が、最近ようやく出歩いて笑うようになったのだと彼は言った。「皆が自分で自分を生かせるようになるまで、ぼくが繋いでいかなくちゃ」
目的なんてなかった根無し草の旅に、ミッションが加わった。オレは相変わらずふらふらしながらも、植物学の本を見つけるたび買い求めては、彼に届けた。いつもは疲れたら勝手に飛ぶのをやめる相棒も、例の香を嗅がせるや否や、張り切って畑を耕す馬の真似事に勤しんだ。青い花は少しずつ村中に広がった。最後に届けたのは相棒よりすこし小柄な飛びドラゴンだった。鼻腔をひくつかせて頭を下げたそいつに、彼はおっかなびっくりまたがった。上空から見下ろす村は、まるで深い海のようにゆったりと波打っていて、その波間からたくさんの人が、まるで花のような笑みを浮かべて手を振っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます