最高のスパイスとその代償

 うちの妻は、いわゆる「メシマズ」というやつだ。カレーを作れば隠しきれないチョコレートで甘くなり、澄まし汁にはなぜか酢がぶちこまれ、エビチリはイチゴジャムに唐辛子を入れて作る。ボタン一つで、栄養バランスが完璧に整ったカロリーミールが手に入る時代に、料理は贅沢な行為だ。わざわざガスを引いて、フライパンを振る必要なんてどこにもないのだから、これらの行為はすべてぼくへの愛情だってわかっている。仕事をしながら作ってもらっている身では、文句も言えない。

 日々の社食だけがオアシスだったぼくにも、ついに救いの手が差し伸べられた。購入したばかりの、ペッパーミルによく似た装置をじっと見つめる。「マジカルシーズニング」と銘打たれたそれは、どんな料理でも美味しくできるという新商品だ。ミルの先端から伸びたセンサーを料理につけると瞬時に味を分析し、スパイスを調合し、ふりかければ一流料理店の味、というわけだ。正直、眉唾物だけれど試してみる価値はあるだろう。ぼくはホカホカと湯気を立てるパイナップルの天ぷらにセンサーをつき刺して、それから調合された調味料をかけてみた。

「あたしの料理がまずいっていうの?」険を含んだ妻の顔がかわいく見えるほどに、そのゲテモノはまるでフレンチの創作料理のような味に変わっていた。ぼくは自社製品のテスターだとウソをついて、妻にも勧めた。妻は半信半疑だったけれど、実際に食べてみると「まあ、悪くはないわね」と態度を変えた。

 それから、この装置はうちの食卓に欠かせない存在となった。鶏肉のソーダ煮も、桃の味噌漬けも、レーズンバターの炊き込みご飯も、このスパイスを振りかけるだけで、気鋭のシェフが作った料理のようにおいしくなった。

 苦痛ばかりの食卓は楽しくにぎやかなものになり、すべてが順調だったように思えた。ぼくは目の前の料理をおいしく食べられることに感動するばかりで、その向こうに座っている妻の笑みが、だんだんと消えていることに気づかなかった。ある日、帰宅すると、食卓には黒く丸い何かだけが置かれていた。リンゴを丸ごとオーブンで焼き崩したものだという。

「何食べてもおいしいなら、わざわざ手間をかけることないって気づいたの」

 ぼくたちは遅くまで話し合い、そして次の週末、二人そろって整形外科にいた。一泊二日の簡単な手術のあと、妻は紫色のカレーライスを作ってくれた。緊張した顔で手を合わせ、一口。ぼくらはほっぺたを膨らませたまま笑みを交わし合った。完璧に同期されたぼくらの舌は、同じおいしさを感じられる幸せをかみしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る