32.いよいよ当日
◇
――クリスマスパーティーの当日、私は朝からコンシェルジュの業務を猛スピードでこなし、午前中の空き時間に、こっそりルミエールを抜け出していた。
その間、何かあった時の為に、叔母さんはコンシェルジュデスクに座り、様子を見ていてくれるという。
――こんな時間に、この通りを歩くのは久しぶりだ。
クリスマスを来週に控え、繁華街に続く道は、平日の午前中であっても人通りが絶えない。
(そっか……大学生は、もう冬休みなんだ)
すっかり社会人の時間感覚だけで世の中を捉えてしまっていることに、一抹の寂しさを覚える。
けれど、社会人だからこそ、例え僅かな時間でも、こんな風に街を歩けることが贅沢に感じられるのだろう。
(あっ、あれ、可愛い!)
ファッションビルの表のショーウィンドーに、クリスマスカラーを意識したようなコーディネートのマネキンが飾られていた。
『真っ赤』というよりは、何か他の色もミックスしたような複雑な色合い。
その素敵な赤いコートのお値段を恐る恐る近づいて確かめてみると、私が予想していた金額よりも桁が一つ多かった……
(いけない、今日の目的はこれじゃなかった……)
女性陣にはボティケア製品の専門店でバスグッズ、男性陣にはコーヒーショップで限定販売されているマグカップを買う予定だ。
――まず、ボディケア製品のお店に向かった。
店内に足を踏み入れると、雑誌に載っていたお目当てのホリデーギフトは、うず高く棚の上にディスプレイされていて、すぐに見つけることができた。
レジで専用のショッパーに商品を入れてもらっている間、すぐ横に陳列されていたハンドクリームのギフトセットに目が留まった。
(……そうだ)
店内に流れるクリスマスのBGMに背中を押され、私は、そのセットを一つプレゼントに追加した。
その後、階下のコーヒーショップで無事、男性陣のプレゼントを購入し、ビルを出た。
腕時計で時間を確認すると、11時30分を過ぎている。
より賑わいを増し始めた大通りの人の流れをぬうように、私はルミエールへと帰りを急いだ。
◇
カフェは時間通りに閉店し、片桐さんと悠馬さんは厨房、叔母さんと私は食堂で、夫々パーティーの準備に取りかかっていた。
「環ちゃん、これでどうかしら?」
「はい、バッチリです! 素敵です!」
私がオーナメントやリースでアレンジしたキャンドルを中央に飾り、叔母さんがカトラリー、食器、ナプキンをセットし終えると、食堂のテーブルはすっかりクリスマスパーティーらしく姿を変えた。
食堂内には既にツリーも飾ってあるので、会場の準備はこれで充分だろう。
「じゃあ、後は時間まで御入居者の方がいらっしゃるのを待つだけですね」
「そうね、ちょっと私は厨房の方を確認してくるわね。まぁ、今日は
叔母さんの顔は、とても晴れやかだ。
片桐さんの引き抜きの件は無事、解決したし、年内に片付けておくべき他の物件の事務作業なども、全て滞りなく済んだからだろう。
◇
食堂の時計の針が19時を指そうかという頃、食堂のドアが開き、石川様と田村様が連れ立って入って来られた。
「環ちゃん、こんばんは。今日はお招きありがとう。これ、私達三人からね」
石川様から重そうな紙袋を受け取る。
「赤ワインと白ワインのセットなの。田村さんと昨日、一緒に選んだの……長谷川さんは残念ながら、お仕事で来れなくて……彼、ワインも詳しいから凄く悔しがってたわ」
「ふふ、電話口で『お勧めのお店あったのになぁ』って何度も言ってましたね」
石川様と田村様は顔を見合わせて楽しそうに笑っていた。
長谷川様がワインについて夢中で話されている様子が、ありありと目に浮かんで、私まで笑ってしまう。
「す、すみません。つい……」
平静を装うとすればするほど可笑しさが込み上げてきて話せなくなる。
「笑ってもいいじゃない……環ちゃん、今日はお仕事のことなんて忘れちゃいましょ」
石川様の横で、田村様も同意するように笑顔で頷いていた。
お二人をテーブルに御案内して、厨房に声をかける。
「皆さーん、そろそろスタートしてよろしいでしょうか?」
「大丈夫です」「りょーかい」
片桐さんと悠馬さんが調理をし、盛り付けたお料理は、配膳ワゴンの上に綺麗に並べられていた。
二人の横で真っ赤な唇の端を持ち上げ、女ボスさながらに叔母さんが頷く。
彼女の提案で、今日は堅苦しい雰囲気は抜きにして、いつもはおもてなしに徹している片桐さん、悠馬さんも、皆と席に座り、語らいながらパーティーを楽しもうということになった。
◇
悠馬さん、私、片桐さんの順に、夫々、シャンパン、ワイン、前菜を持って、石川様と田村様の座られているテーブルに向かう。
「片桐さん、悠馬君もお疲れ様。今日は皆で楽しみましょうね」
石川様は私達に気を遣わせまいと、早速、声をかけてくれる。
「はい、ありがとうございます。今日は、僕も厨房とこちらを行き来させて頂くので忙しないかもしれませんが……よろしくお願いします」
「もう……そういうのが堅いっていうの」
田村様が苦笑いしながら、片桐さんのコックコートの裾を引っ張る。
「いたたっ」
片桐さんは珍しくムスッとした顔で田村様の方に向き直った。
「あはは、片桐さんのこんな顔初めて見たよ」
悠馬さんまで悪ノリして片桐さんをからかい始める。
「翠川さん、助けてください」
そう言うと、片桐さんは急に私の背中に隠れるように肩を掴んだ。
「きゃっ!」
予期せぬ出来事に一瞬、慌てたものの、片桐さんの男らしい大きな手の感触に思わず顔が熱くなった。
悠馬さんが、わざとらしく口元に手を当ててにやついている。
彼の遣り口は、お見通しだ。
(いつもの中学生のようなやり取りは、今日はしないぞ……)
「安心してください! 片桐さんは私が守りますからっ」
冗談のつもりで私が言うと、却って彼らの興味を惹いてしまったようで、
田村様と悠馬さんはアイコンタクトまで交わしている。
「ご、ごめんなさい、もう大丈夫です」
片桐さんは慌てて私の肩から手を離すと、
「ちょっと料理の確認をしてきますので失礼しますね」
と言い、厨房に向かって早足で去っていった。
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