31.長谷川様とお話しして
田村様が御自分のお部屋に戻ろうと階段を上りかけた時、エントランスドアが開き、長谷川様が御帰宅された。
「長谷川様、おかえりなさいませ」
「あっ、ただいま~。ああどうも、こんばんは」
「こんばんは、おかえりなさい」
田村様は階段の途中で足を止め、エントランスにいる長谷川様の方へ向き直った。
「今日は一段と冷え込んでるね。手袋、部屋に忘れちゃって……まいったよ」
よく見ると長谷川様の両手指が赤色を通り越して青紫色がかっている。
「それは大変でしたね……良かったら、これ使ってください」
先ほどまで自分の手を温める為に使っていたミニサイズのカイロを長谷川様に差し出す。
年季の入ったルミエールの建物内は大幅にリフォームし、暖房を付けているものの、エントランスや食堂などの広いスペースでは、自分でも防寒対策を講じないと身体が冷えてしまうのだった。
「ああ……助かる。ありがとう~」
長谷川様が
「この時間まで、お仕事ですか?」
田村様は上りかけていた階段を下り、話に加わった。
「あ、はい……。年内に処理しておかないといけない案件が、まだ結構残ってまして……」
「あちらでは20日くらいから休暇を取る人が多いので、日本は少し冬期休暇が短いですよね。もっとお休みを増やしたらいいのに……」
「ええ、せかせかと忙しない国ですよね……ハハ」
長谷川様は苦笑いをしながら、カイロを両手の平で包みこむように持ち、身体を激しく震わせていた。
「あの……長谷川様、大丈夫ですか?」
そう私が尋ねた瞬間、長谷川様は二階まで響き渡るような大きなくしゃみをし、肩を竦めた。
「ごめんごめん……風邪ひいちゃいそうだから、そろそろ部屋に帰るね」
(長谷川様にも今日中に予定を伺っておかないと……)
「すみません、長谷川様……少しお話ししたいことがあったので、後ほど内線電話をお掛けしてもよろしいでしょうか?」
「あっ、えっ? はいっ……じゃあ皆さん、おやすみなさい」
そう言うと、長谷川様は何度もくしゃみを堪えながら、御自分のお部屋に帰っていった。
「ふふ、さっきの長谷川さんの驚いた顔、見ました? 今頃、翠川さんの電話の用件を想像してドキドキしてるんじゃないかしら……」
田村様が面白がって私に訊く。
「えっ⁉ そんなお顔されてました? 私の言い方、そんな意味深に聞こえちゃってましたか?」
「長谷川さん、ピュアそうだから……翠川さんみたいな若くて可愛い女性から『話したいことがある』なんて言われたら……ね?」
田村様は楽しそうに口元を両手で隠すようなポーズを取り、ニヤニヤとしている。
(田村様もふざけたりするんだ……綺麗なうえに飾らない人柄、男性が放っておくわけがない!)
天は二物を与えてるんじゃないだろうか。
それどころか、三物でも四物でも……
私が、そんなどうにも仕様のない嫉妬心に危うく駆られそうになっていると、いつの間にか田村様はコンシェルジュデスク前のカウンターに頬杖をついて、私の顔をしげしげと見つめていた。
「えっ?! あの、どうされました?」
同性なのに彼女に見つめられると、どうしてこうも動揺してしまうのか……
「……ああ、ごめんなさい。翠川さん、私の友達に少し雰囲気が似ているの……その子のこと思い出しちゃって」
田村様は私から視線を反らすと、そっと足下の方に目を伏せた。
◇
田村様が私を御友人に似ていると言った時の様子が、少し気になったものの、私は自室に戻り、数分置いてから長谷川様に内線電話を掛けた。
最初のうち、長谷川様は妙に声を上擦らせながら、過剰に相槌を打っていた。
どうやら田村様の予想されたとおり、私は何か彼に誤解させてしまっていたようだった。
「なんだ、そういうことね……勿論、参加希望です。だけど、何時までやる予定? 残業が長引くと、帰ってきたら、もう終わってたってことになりかねないからさ」
「そうですね……途中参加、途中退席もOKにしようと思います。もし長谷川様が残業で御参加できない場合、お料理は冷蔵庫で保存しておきますので……」
「うん、ありがとう……片桐さん特製のクリスマス料理は絶対食べたいもんね」
田村様のことで一時期、片桐さんにライバル心を燃やしていた長谷川様も、今は気持ちが落ち着かれたのか、はたまたお料理に対する心持ちはまた別物なのか、その声は清々しく感じられた。
長谷川様との電話を終え、無事、お誘いした方全員のクリスマスパーティーへの参加が決まった。
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