30.エントランスで二人を待って

 ◇


 ……どうしてだろう。

 季節によって同じ時間帯でも、こんなに心持ちが違うのは……

 エントランスの窓から見える、葉を落とした木々の細く伸びた枝が冬の寂寥感を一層深めた。


 壁掛け時計の針は、午後21時を少し回ったところだ。


 食堂で石川様、悠馬さん、片桐さんの予定は確認済み。

 叔母さんからも、さきほどメールで返答をもらった。


(あとは長谷川様と田村様……)


 コンシェルジュデスクの下に、こっそり置いてあるヒーターのスイッチを入れ、インターネットをしながら、お二人の帰りを待つ。


 お二人は私の誘いに応じてくれるだろうか……


 長谷川様はともかく、田村様とは、あれから殆ど会話らしい会話を交わしていない。

 少し不安になりながらも、お二人に、どう話を切り出そうかと考えていた。


 ――それから数分して、エントランスの正面ドアがゆっくりと開いた。

 外気の冷たさで頬を赤くした田村様が、ヒールの音を忍ばせるようにして歩いてくる。


「田村様、おかえりなさいませ」


「……戻りました。翠川さん、まだお仕事ですか?」


「いえ……」


 私は田村様にパソコン画面を向け、閲覧していたクリスマス向けの特集ページを見せた。


「もうすぐですね……翠川さんはクリスマス、何処かに出かけたりするんですか?」


「いえ、残念ながら……今年はルミエールで仕事です。田村様は毎年、どんな風にクリスマスを過ごされているんですか?」


「そうね……彼の実家で、彼のお母様方とクリスマス料理を作って、皆で食事したり、プレゼントを交換するくらいかしら……」


「素敵ですね……そういうクリスマス、憧れます」


 田村様のお話では、フランスのクリスマスは日本でいうお正月の感覚に近く、家族で過ごすことが多いのだという。

 私もいつか大切な人と、そんな風に年末年始を過ごせる日が来るんだろうか……


「そんな……憧れられるようなものじゃないですよ。いたってのクリスマスなんだから……」


 そう言うと、ここ何日かの気まずさが嘘のように、田村様は朗らかに笑った。


「田村様、先日の……」


 私はお互いに蟠りを残したくなかったので、片桐さんの引き抜きの件を切り出そうとした。

 ところが……


「翠川さん、もう聞いているかもしれないけど……私、はっきり片桐君に断られちゃいました……」


 と、田村様は口籠る私を気遣ってか、自らその話題に触れ、何でもないことのように微笑んでみせた。

 田村様は時々『片桐さん』を『』と呼ぶ。

 彼女の心の何処かに、昔のままの彼が存在しているのだろう。


「……はい、片桐さんに伺いました」


「ふふ、もうちょっと押したら一緒に来てくれるかなとも思ったんだけどね。昔から一見大人しそうだけど、頑固者だから……」


 田村様は肩を竦めながら苦笑いする。

 片桐さんのことを『頑固者』と評しながらも、そう語る瞳は温かかった。


「……片桐さんに、お二人がフランスで同時期に修行されていた時のことも伺いました。田村様とお互いに励まし合って逆境を乗り越えたんだって……」


「嫌だ、そんな話まで……私も片桐さんや当時の仲間と過ごした時間は、大切な思い出であり、貴重な経験です。実は経営者になった今でも泣きたくなるような辛いことが結構あるんですよ。彼氏の前では弱音ばかり……私、周りの人に思われているほどタフじゃないんです……」


 田村様は遠い異国の地で、長年レストランを経営してきたのだから、並々ならぬ苦労があっただろう。

 完璧で隙がないように見えた田村様も、決して華美な生活を送っている訳ではなく、時には仕事のことで弱音を吐いてしまうような、一般的な働く女性に近い一面を持っていた。


「あの……田村様、私……田村様と、こうしてまたお話ができて嬉しかったです」


「ええ、私も……翠川さんと、またお話しできて良かった。完全に嫌われてしまったと思ってたから……」


 暖房で温まってきたのか、田村様の頬に、いつものつややかさが戻ってきていた。

 同性の私でも、うっとりしてしまうほどに……


「嫌うだなんて、滅相もないことです……どうお話ししていいか分からなくなってしまっただけで……本当に申し訳ございませんでした!」


「そんな、頭なんて下げないでください……私が気まずくさせちゃったんですから。私こそ、ごめんなさい!」


 今まで田村様と私は全く別のタイプの人間だと勝手に思い込んでいた。

 彼女のようなルックスも、キャリアも、素敵なパートナーと共にある暮らしも、全て私が持ち合わせていないものだ。

 けれど、今夜――彼女との距離が確かに縮まっていくのを感じていた。


「田村様、突然のお誘いで申し訳ございませんが……」


 私がルミエールの御入居者とオーナーを含めた従業員だけが参加する、ささやかなクリスマスパーティーに彼女をお誘いすると、意外そうな顔をしながらも、喜んで応じてくれた。


 



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