20.具合の悪い彼を訪ねると

 部屋をノックしてみると、悠馬さんの力のない返事が戻ってきた。

 暫くしてドアが開き、


「ああ、環ちゃん……今日は、迷惑かけてしまってすみませんでした」


 と、いつになく真面目な顔つきで、彼は詫びた。

 彼は先ほどまで寝ていたのか、少しだけ髭が生えている。


(悠馬さんも、やっぱり男性なんだ……)


 いつも小綺麗にしていて、女性から見ても『美しい』と形容詞がしっくりくる彼の顔に髭、結構な違和感だ。


「ううん、今日はオーナーもヘルプに入ってくれたから大丈夫だったよ。悠馬さん、いつもホールの仕事を殆ど一人で切り回してて凄いよね」


「そうかな? 慣れだよ、慣れ。だけど、たまに俺もウォーってなるよ。冷静に見えるように振る舞うのが得意なだけ」


 そう言って悠馬さんは謙遜したが、少し照れたように笑った。

 彼は何でもできるタイプの人だと勝手に思い込んでいたけど、こういう本音を聞くと私だけが緊張したり、狼狽えてしまう訳じゃなかったんだと気持ちが楽になる。


「そっか、悠馬さんもそういう時があるんだね」


「環ちゃんは俺が鉄の心臓でも持ってるって思ってるの!?」


「ごめんごめん、悠馬さん何でもできる人だから、焦ったりしないのかなって勝手に思ってたの……今回も、いろいろ頑張ってくれて体調崩しちゃったんだよね? ごめんなさい」


 オーナーの姪としては、この激務が続いてしまっている現状を本当に申し訳ないと感じている。


「それは環ちゃんのせいじゃないよ。それより、その手に持ってる美味しそうなの頂いてもいいかな?」


 悠馬さんは、いつもの悪戯っぽい笑顔で言うと、私の顔を覗きこんだ。


「あっ、ごめんなさい。叔母さんが握ってくれたの。即席のお味噌汁は、私のお手製だよ」


「お湯注ぐだけじゃん!」


 悠馬さんと一緒にこうしていると、自然体の自分でいられる。

 今日一日、仕事が思うようにいかなくて自己嫌悪に陥っていた私は、いつの間にか彼と笑いながら話をしていた。


「そうだ、悠馬さん。明日のホール業務なんだけど……日曜日だし、お客様も多そうだから、私、またヘルプに入ろうかなと思ってるんだけど、どうかな?」


 きっと人に気を遣い過ぎる悠馬さんのことだから、「体調はどう?」なんて訊いても素直に「きついよ」なんて答える訳がない。

 先ほど私が部屋をノックした時の彼の反応で、まだ身体が本調子でないことは十分に分かっていた。


「うーん……環ちゃんはコンシェルジュ業務もあるのに大丈夫なの?」


「私は大丈夫だよ。叔母さんに明日もコンシェルジュ業務を代わってもらえないか頼んでみるつもりなの」


「そうだね、年末だから、これからどれだけ混むか分かんないしね。環ちゃんに手伝ってもらえたら凄く助かる」


 悠馬さんは、わりとすんなりと提案を受け入れてくれた。


「じゃあ、私、厨房に戻るね。叔母さんにも明日の件、訊いてみるから……じゃあ、お大事にね」


 私が、そう言って悠馬さんの部屋の前から立ち去ろうと振り返った時、外出から戻られた長谷川様と田村様に偶然出くわした。


「あっ、長谷川様、田村様。お帰りなさいませ」


「ただいま、これ皆さんでどうぞ。田村さんと私から」


 長谷川様から手渡された手提げの紙袋は、この近辺で有名な和菓子店のものだ。

 このお店の大福とお饅頭は絶品で、私も、わざわざ電車に乗って買いに行くほどの大好物である。


「ありがとうございます。このお店の和菓子、私も大好きです。従業員、皆で頂きますね。美術展、混雑具合は如何でしたか?」


「やっぱり凄い人出だったよ。おかげで田村さんと沢山お話しできて楽しかったけど……」


 長谷川様は、さり気なく素直な気持ちを言葉にし、頬を赤くした。


「本当に凄い行列でしたよね。だけど、お話に夢中になっていたから、あっという間に感じました。今回の展示で初めて観られた絵もあったし、旅のいい思い出になりました」

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