14.不安そうな長谷川様
――金曜日の夜。
会社から帰宅された長谷川様が、私の座るコンシェルジュ・デスクに近寄ってくる。
心なしか弾むような足取りだ。
「おかえりなさいませ」
私が声をかけると、長谷川様は満面の笑みで、
「翠川さん、ただいま。今日も寒かったね~。ここ冷えるから気をつけなね」
と、いつもどおり優しい言葉をかけてくれる。
だけど今日は何かが違う……
声色がいつもより明るいのだ。
「はい、ありがとうございます。長谷川様、今日は何かいいことでもおありになったんですか?」
「うん、あったというか、これからかな……フフフ」
と長谷川様は意味ありげに言い、嬉しい気持ちを抑えきれないのか小さく笑い声を漏らした。
長谷川様から、「聞いて欲しい」というオーラが溢れていて、私は、お望みどおりに訊いてみることにする。
「気になります~。お休み中に何処かに、お出かけされるとか?」
「よく分かったね、実は明日、田村さんとね……」
長谷川様は、そう言うと、ビジネスバッグから封筒のような物を大切そうに取り出し、丁寧に開いて見せた。
中身は美術展のチケットだった。
「この美術展に行かれるんですか?」
「そうなんだ。この間、明子さんと出かけた時に丁度、美術館の前を通ってね。田村さんもアートとか好きそうだし、駄目元で誘ってみたんだ。そしたら、あっさり『いいですよ』って」
長谷川様は、今まで見たことのないハイテンションで捲し立てた。
「お二人でですか?」
私が気になったのは、そこだ。
「うん、二人で……こんなおじさんとじゃ、迷惑かなと思ったんだけどね」
「迷惑だと思っていたら、女性は二人きりで出かけたりしないと思います」
長谷川様を励ましたい思いもあったけれど、これは女性としての本音でもあった。
「だといいんだけど……ありがとうね」
長谷川様は先ほどとは打って変わって言葉少なになり、やがて目を伏せた。
恋は時として人を臆病にする。
いつもは御自分に自信がありそうな長谷川様も、田村様のこととなると、言葉や態度に気弱な部分が見え隠れしていた。
その日、石川様と長谷川様は御一緒に夕食を取られていた。
食堂に田村様の姿はない。
この頃、田村様は外で、お食事をされることが多くなっていた。
片桐さんと何か気まずくなるようなことがあったのか、それとも他に何か理由があってのことなのだろうか。
私は食堂の片隅で、そんな事を考えながら、販売用スイーツをクリスマスの包装紙でラッピングする作業に取りかかっていた。
石川様と長谷川様の会話が聞こえてくる。
「田村さん、今日も、お昼に一度会ったきりよ。最近は夜も外出されてるみたいね」
「そうですか……日本にいても丸々、お休みって訳ではないのかもしれないね。フランスのお店と連絡でも取り合ってるのかな」
「でも、それならここのお部屋ででもできるんじゃない?」
「そうだよね……」
それきり二人は黙ってしまった。
長谷川様は明日、田村様と美術展に行く約束をされているから、余計、不安になるだろう……
私は声をかけに行きたい気持ちを抑えて、黙々と作業を続けた。
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