12.寝不足気味の午前中に
――翌日の朝。
寝不足気味の腫れぼったい目を少しでも誤魔化したくて、久しぶりにアイラインを引いてみた。
鏡の中に映る自分の顔は、時節柄なのか、ここ何日かの心労からなのか、かなり疲れて見える。
――もうすぐ、クリスマス。
去年の今頃は、まだ派遣社員としてオフィス街で働いていた。
会社帰りにコンビニで、小さなリースの飾りが付いただけで普段から売っているのと何ら変わりのない2個入りのショートケーキを買い、イブとクリスマス当日、二日に分けて、一人寂しく家で食べた。
イブやクリスマス当日に特別な予定を入れるカップルは意外に少ないというアンケート結果をテレビ番組で見たことがある。
しかもイブの深夜に視聴者のクリスマス不幸話を募って、司会のお笑い芸人が面白おかしく紹介する人気番組もあるくらいだから、本当に充実したクリスマスを過ごしている大人は、ごく僅かしかいないんじゃないかとさえ思ってしまう。
ルミエールで働いている今、私の中でクリスマスは『書き入れ時』という意味しか持たないくらい、自分のプライベートを二の次に考えていた。
マイナス思考に陥りがちな自分を鼓舞する為、いつもより少し明るい色の口紅を選ぶ。
この前、久しぶりにデパートの化粧品売り場で購入した海外ブランドの高価な物だ。
たまには、こうして自分自身に細やかな贅沢でもさせてあげないと、背筋が伸びない日だってあるのだ。
メイクを終えた顔を鏡で、もう一度よく見てみると、口紅の発色のせいか、肌が光を帯びたように美しく見えて嬉しくなった。
今年もクリスマスは仕事だけど、ルミエールには御入居者を始めとするお客様や、従業員の皆もいる。
(私は、一人じゃない……)
ジャケットを羽織ると、コンシェルジュである自分が、やっと目を覚ました。
◇
正午近くになり、ビニールの手提げ袋をガサゴソ言わせて、叔母さんが現れた。
「はい、環ちゃん。これ何処か、いい場所に飾って」
デスクに置かれた手提げ袋から、鮮やかな赤い葉が覗く。
――ポインセチアだ。
「わあ! ありがとうございます。これどうしたんですか?」
「この間、他の物件をチェックしに行った時に、そこの御入居者の方に頂いたの。イケメンの美容師さんでね、育て方が分からないから良かったらって……」
叔母さんは心底、嬉しそうな顔をする。
ポインセチアを頂いたことが嬉しいのか、頂いた相手がイケメンの美容師さんだったことが嬉しかったのかは、敢えて聞かないでおく。
「そうだったんですね。確かに男性って、お花を育てるの苦手な人が多そうですよね」
と私が言うと、いつの間にか長谷川様が背後から現れて、
「それは勝手な思い込みだよ~。男性だって植物に興味がある人は結構いるんだよ……ポインセチアって開花時期は冬なんだけど、実は寒さに弱いんだ。だから玄関とか窓辺は避けて、温度が10℃以上ある場所に置いてあげること」
と饒舌に語る。
私は思わず手元のノートに書き留めた。
「じゃあ、そこなんてどうかしら」
叔母さんがエアコンの温風が届きそうな暖かそうな場所を指さす。
すると長谷川様が首を振り、
「あー、駄目だよ。ポインセチアは極端な湿気も嫌うけど、かといって温風を直接当てちゃ駄目なんだ。水を与えすぎずに暖かい場所で育てるのがベストだよ」
と、簡潔にアドバイスをしてくれた。
(長谷川様、アートなどに精通しているのは知っていたけど、植物にまで……博識な方なんだなぁ)
「なるほど、ポインセチアって、いつも
そう私が言うと、叔母さんが『私も初めて』という意味合いなのか、大袈裟に頷いている。
すると今度はキャメル色のロングコートを羽織り、チェーンストラップのショルダーバッグを肩に掛けた田村様が階段から降りてきて、
「長谷川さん、お花にも興味がおありなんですか?」
と声をかけ、彼の傍に近寄った。
長谷川様は突然のことに驚きながらも、
「あっ! ど、どうも……花は好きですよ。部屋に飾ったりもします。今は多肉植物なんかもいいなぁと思ってます」
と答え、目尻を下げて田村様の顔を見つめる。
「多肉植物、お洒落ですし、品種ごとに個性があって素敵ですよね」
田村様の言葉に、長谷川様は、まるで自分のことを褒められたかのように頬を赤らめた。
「環ちゃん、あの方がもしかして?……」
珍しく人の会話に口を挟まず、二人の様子を窺っていた叔母さんが私の耳元で囁く。
私はタイミングを見計らい、長谷川様とのお話しを終えた田村様と叔母さんに声をかけて、初対面同士の二人を引き合わせた。
二人は挨拶を交わすと、経営者同士、意気投合したのか、ルミエールのインテリアや料理について、暫くの間、エントランスのソファに腰を下して話をしていた。
一方、二人の会話が気になって仕方のない長谷川様は、ポインセチアの鉢植えを持ち、置き場所を探るふりをしながら聞き耳を立てていた。
その行動が何とも言えず、見ていて切なくなる……それなのに何処かユーモラス……
私は彼にサイレント映画の登場人物の姿を重ね合わせていた。
「すみません……私、そろそろ出かけなくてはならないので、また今度、ゆっくりお話できませんか?」
と、漸く田村様がソファから腰を上げると、叔母さんは同性にも関わらず、うっとりした顔つきで、
「ええ、勿論」
と一言だけ口にした。
田村様が外出された後、叔母さんは長谷川様と私に、
「田村さん、バリバリ仕事してそうなのに、
と同性の先輩に憧れる後輩の女子生徒さながらのテンションで語った。
叔母さんも田村様の魅力に惹きつけられたようだ。
「明子さん、ずるいよ。私も話に入りたかったのに……」
長谷川様は感情を抑えることもなく、素直に悔しがる。
「あらあら、そんな風に言っちゃっていいわけ? せっかく協力してあげようと思ったのに……」
叔母さんは長谷川様の気持ちに、やはり気づいていたようで、大人気なく
「ごめんごめん、だって田村さん2週間しかルミエールにいないんでしょ。私は平日は仕事で、朝と夜しか話す機会がないからさ」
平日のこの時間帯、いつもなら長谷川様は会社で仕事をしているはずだ。
「そういえば、今日、お仕事は、お休みなんですか?」
と私が口を挟むと、
「うん、今日は私用で役所に行かなきゃならなくて……特に他にこれといった用事もないんだけど、ついでに有給消化しちゃおうと思ってね」
と長谷川様は答えた。
「もぉ……それなら田村さんを食事にでも誘ってみれば良かったのに。クリスマス前だし、食事じゃなくても街中で、何かイベントとかやってるんじゃない?」
と叔母さんは何でもないことのように軽く言う。
流石、叔母さん……さばさばした物言いが清々しい。
「クリスマス前じゃ、意識して却って誘いにくいよ……」
長谷川様の表情が、みるみるうちに沈んでいく。
「あー、面倒くさい! じゃあ、これから私が仕事を終えたら、何処かデートできそうな場所でもリサーチに行く?」
そう叔母さんが提案すると、長谷川様は子犬のようなキラキラした目で、大きく頷いた。
短い間にくるくると変わる彼の表情は、やはりサイレント映画の住人のそれだった。
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