10.昔の片桐さんて
「そうですね……あちらの男性は大人な雰囲気の方が多いので、片桐君は可愛らしい青年という感じで人気があったみたいですよ」
(確かに片桐さんは日本でも若々しく見えるから、外国では青年って感じなんだろうな……)
私がパリジェンヌに、ちやほやされている片桐さんの姿を想像していると、
「翠川さん、お疲れ様です」
と囁くような小さな声が私のすぐ後ろから聞こえ、振り向いてみると、その声の主は片桐さんだった。
「ひゃっ!」
私は若かりし頃の片桐さんの姿を思い描いている最中に声をかけられた驚きで、肩を竦め、小さく悲鳴を上げてしまう。
すると、片桐さんは人差し指を口に押し当て『シッー!』と私に顔を近づけた。
その姿に私の胸の鼓動は増々、激しくなった。
「もうすぐ皆さん、お食事を終えられるみたいですね」
私は精一杯、平静を装って片桐さんに言う。
「そうですね、そろそろ声をかけてみましょうか」
片桐さんは、そう言うと、テーブルから一歩離れたところにいる私も、一緒に挨拶をするよう促した。
二人でテーブルに近づくと、田村様が初めに口を開いた。
「ご馳走様でした。久しぶりに片桐さんのお料理が食べられて嬉しかったです」
田村様は御自分のお話の中で、片桐さんのことを『片桐君』と呼んでいたけれど、本人を目の前にすると『片桐さん』と呼び方を変えていた。
田村様は、片桐さんがまだ昔のような距離感で彼女に接していないことを気にしているのかもしれない。
「喜んでいただけて良かったです。石川様、長谷川様は如何でしたか?」
片桐さんは、お二人にも気配りを忘れない。
「ええ、とっても美味しかったわ。それと悠馬君のタルト・タタンのお話も楽しかったわね」
そう石川様が言うと、その言葉を聞いた悠馬さんが満足げな表情を浮かべる。
勝手に片桐さんをライバル視している長谷川様は、
「ええ、いつもどおり美味しかったですよ。流石にフランス仕込みのシェフは違いますね」
と少し棘のある言葉を口にした。
片桐さんの顔が、ほんの一瞬だけ曇る。
けれど、すぐに表情を戻して、
「私がフランスに行っていたことをお聞きになられたんですね……美味しく召し上がっていただけたのなら幸いです」
と、いつもの穏やかな顔で言った。
片桐さんは、昔、フランスで修行していたことを私達に知られたくなかったのかもしれない。
田村様は、皆に、そのことを話してしまった罪悪感からか、気まずそうな顔をした。
「田村様は今日、ルミエールにいらしたばかりで、お疲れのことと存じますので、今日はこの辺で、お開きといたしましょうか」
雲行きが怪しくなり始めた気がして、私は思い切って口を挟んだ。
すると、悠馬さんが私を後押ししてくれるように、
「そうだね、俺も少し疲れちゃったかな……って従業員の俺が言っちゃダメか! ハハハ」
と笑いながら言い、場の空気を和ませた。
「これから悠馬君達は明日の準備もあるんだものね……長谷川さん、そろそろ私達もお部屋に戻りましょ」
石川様は私に目配せし、やや強引に長谷川様の腕を取る。
長谷川様は、まだ何か言いたげに、口をもごもごさせながらも、渋々、石川様と食堂を出て行った。
今度は田村様が、
「翠川さん、悠馬さん、今日は素敵なお食事をありがとうございました。私も今日はこれで失礼しますね。じゃあ、片桐さん、後でね」
と言い残し、食堂を去って行った。
「さあて、後片付けしちゃいましょうか!」
テーブルに残された食器類をトレイに載せながら、悠馬さんが言う。
彼は『疲れた』と言いつつも、いつも笑顔で仕事に取り組んでいて、頭が下がる思いだ。
私は悠馬さん、片桐さんと連れだって厨房に向かった。
「ねぇねぇ、片桐さん。さっきの『……後でね』って何ですか?」
悠馬さんは田村様の雰囲気のある声色を大袈裟に真似、片桐さんに尋ねる。
「これから、ちょっと田村さんと二人で話しをすることになってまして……」
片桐さんは私達の反応を気にしているのか、小さな声で言った。
「ええ! もしかして、どちらかの部屋で⁉︎」
悠馬さんが両手を重ねて口元を隠し、女の子のようなリアクションをする。
「そうですね。昔は、お互いのアパルトマンを行ったり来たりしてたんですが、久しぶりなのでどうも……」
(やっぱり、そういう間柄なんだ……)
私は、もうあまり驚きもしなかった。
20代後半にもなると、仕方ないと自分を納得させることが少しだけ上手くなる。
望んでもいないのに……
「うわっ! そうなんだ。 環ちゃんも気になるでしょ……ねぇ?」
「ええ、そうですね……」
悠馬さんお決まりのからかうような物言いに、いつもはムキになる私も、今日は無理矢理、笑顔を作って受け流した。
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