9.デザートはタルトタタン

 それから暫くしても片桐さんの言葉が頭から離れず、私は御入居者の方々がお食事される光景を、ただぼんやりと眺めていた。


 悠馬さんが皆を見事なまでにもてなしており、私の果たした役割と言えばシャンパンをお出しすることくらいのものだった。

 私がこんな心境のまま、お料理をサーブしていたら、何か粗相をしてしまっていたかもしれない。


 悠馬さんはメインのお肉料理をサーブし終えると、デザートのサーブに備え、厨房に戻って行った。


「田村さん、料理の味は如何ですか?」


 と長谷川様が聞く。

 長谷川様は田村様がレストラン経営者で、片桐さんの古くからのお知り合い(というか恐らく元恋人)ということを、まだ誰にも聞いていなかったようだ。


「とても美味しいです。やっぱり彼の作るお料理は絶品ですね」


 田村様は頬を緩ませ、感嘆の声を漏らす。


「田村さんは、昔から片桐さんのお料理を召し上がっているの?」


 と石川様が聞く。


「彼が作るお料理を頂くのは、とても久しぶりです。私が彼の料理と初めて出逢ったのは、フランスで……もう8年前のことです」


 田村様の言葉を聞き、先ほどまでショックで、ぼんやりとしていた私の意識が一瞬で目覚める。


(フランスで? 片桐さんもフランスにいたことがあるの⁉)


「ええっ!!」 「嘘っ!!」


 石川様と長谷川様が同時に声を上げる。

 二人の抜群なリアクションを受け、田村様が話を続ける。


「二人とも同時期にフランスのレストランで修行をしていました。お店は別々の所でしたが、片桐君の噂は私が修行していたレストランのシェフから、いつも聞いていました。『とても腕のいい日本人の料理人が友達の店で修行している』と……」


 皆、口を挟むこともせず、彼女の話にじっと耳を傾けていた。


「それから私は仕事がお休みの日に、彼がいるお店を訪ねてみたんです。彼も修行先で私のことを聞いていたみたいで……その日から彼は私の良きライバル、良き相談相手になりました。彼の方は私のことをライバルだなんて意識していなかったかもしれないですけど……」


 田村様は、ふと遠い目をした。


 日本から遠く離れた異国の地で、同じ日本人の料理人同士が出逢えば、必然的に強固な絆が生まれるだろう。

 田村様と私では、片桐さんと過ごした時間があまりにも違いすぎて、焼きもちを妬くことさえ無意味な気がしてしまう。


「それで片桐さんは日本のレストランで働く為にフランスから帰ってきたんですか?」


 と長谷川様が聞く。


 田村様がフランスでレストランの経営者にまで登りつめたということは、彼女はそのままずっとフランスに残り、片桐さんは何らかの理由で日本に帰国したのだろう。


「ええ、まぁ……いろいろあったんです」


 そう言って田村様は言葉を詰まらせた。


 長谷川様も片桐さんと田村様の間に過去に何かあり、そのことに触れてはいけないと感じたのか、それ以上、彼女に尋ねることはなかった。


「若い時は、いろいろあるわよね……でも、私みたいな年になると、楽しかったこと辛かったこと、どちらも貴い思い出になるわ」


 石川様は田村様の表情や口調から心情の変化を察したのか、彼女の気持ちに寄り添うように、そう言った。


 石川様の言葉に田村様は安らいだ顔で頷くと、何事もなかったように、また,

 お料理を口に運び始めた。


 悠馬さんは皆がメインのお肉料理を食べ終えるタイミングを見計らい、デザートを載せたトレイを持ってテーブルに現れた。


「本日のデザートはタルト・タタンでございます」


 悠馬さんは、そう言ってデザートのお皿を並べると、タルト・タタンの誕生秘話を語ってくれた。

 タルト・タタンは、19世紀後半のフランス、『タタン』という名のホテル経営を営む『タタン姉妹』の調理担当ステファニーの手によって生まれた。

 諸説あるようだが、いずれもステファニーがりんごを使用したお菓子作りの過程で失敗してしまったことから誕生したという点は共通している。

 そのお料理が生まれた背景を知ると、より一層、食することが楽しく感じられる。


 皆が笑顔でタルト・タタンを口に運ぶ。

 片桐さんはお料理で、悠馬さんはテーブルサービスで、ルミエールを訪れる全てのお客様に至福のひと時を提供する。


(私もルミエールで働く者として負けてはいられない!)


 改めて、そう思った。


「片桐さんの作るスイーツって上品な味よね。決して濃い味ではないの。そのせいか後を引くのよね」


 石川様が、うっとりとした表情で言う。

 片桐さんが作るスイーツは、まさにそういう味なのだ。


「彼は紅茶やコーヒーとの相性も考えながら、スイーツの味を調整しているそうです。私も昔は、よく彼にスイーツ作りのコツを聞いていました」


 長谷川様は田村様が片桐さんのことを語る時の瞳の輝きに気づいていたらしく、少し複雑な表情を浮かべている。


「片桐さんはパリジェンヌにもモテたんじゃないですか?」


 長谷川様が、やけ気味に田村様に尋ねる。

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