6.片桐さんからの電話と叔母さんへの報告
自室に戻り、テレビを観ながら一息ついていると内線電話が鳴った。
電話の声の主は片桐さんだった。
「翠川さん、お疲れ様です。今、ちょっとお話しできますか?」
電話で姿は見えていないのに、思わず姿勢を正す。
「は、はい。大丈夫です。お電話で大丈夫ですか?」
(私は、いつでもそちらに伺えますけど……)
「ええ、このまま電話で大丈夫です。お寛ぎのところすみません」
「いいえ、どうされたんですか?」
仕事の時間外に片桐さんが電話をかけてくることは殆どなかった。
彼が何を言い出すのか僅かな沈黙でさえ、緊張で逃げ出してしまいたくなる。
「明日、オーナーはこちらにいらっしゃいますか?」
「はい、経理関係の書類を受け取りに来ます。叔母に何かお急ぎの用件ですか?」
「ええ、先ほど田村さんから電話がありまして、こちらに短期滞在したいそうです。年末が近いですし、一度オーナーに許可を頂いたほうがいいかと思いまして」
ルミエールは通常、一週間以上の短期滞在も受け付けているが、年末年始は恐らくカフェも忙しくなるだろうから、片桐さんが言うようにお返事は叔母さんに確かめてからのほうがいいだろう。
「そうですね、片桐さんは朝から色々な準備でお忙しいですから、私が叔母に話をしてみますね。 田村様は、いつから御滞在を御希望ですか?」
「急で申し訳ないのですが、今度の日曜日から二週間、滞在希望だそうです。難しいようでしたら、僕から彼女に断りを入れますので……」
(まだ予定が決まっていないと仰っていたけど、田村様はどういう目的で日本に来られたんだろう……クリスマスに合わせて帰国することに決めたんだろうか)
「恐らく大丈夫だと思います。片桐さん、あの……」
(思い切って田村様とのことを聞いてみようかな……)
「はい、どうされました?」
片桐さんは言葉に詰まる私を待っていてくれる。
「あの……いえ、何でもないです。これから年末で、より忙しくなりそうだなぁって」
結局、無難なことしか言えない。
悠馬さんには思ったことを素直に伝えられるのに、片桐さんには、どうしてもそれができない。
「そうですね、夜は更に冷えますから暖かくして休んでくださいね」
片桐さんの穏やかな声の波長が私をじんわりと温めてくれる。
「あの、片桐さん。私、頼りないかもしれないですけど、何か困ったことがあれば遠慮せずにお話ししてください。仕事時間外でも構いませんので……」
私より精神的にも大人な彼に対して、こんなことを言っても意味がないかもしれない。
それでも力になりたいという気持ちがあることだけは、どうしても伝えたかった。
「ありがとうございます。頼りなくなんてないですよ……ルミエール初めてのクリスマスや年越しも控えてますし、翠川さんも無理のないようにね」
片桐さんは私の言葉を軽んじることなく、きちんと受け止めてくれた。
受話器の向こうで片桐さんは今どんな表情を浮かべているんだろう。
声を聴いていると、より一層、顔を見て話しをしたくなる。
「はい、気をつけないとですね。それでは、そろそろ……」
本当はもっと話していたかったけれど、朝が早い片桐さんのことを思うと電話を切らなければいけない気がした。
「そうですね、遅くまでありがとうございます。また明日、おやすみなさい」
「おやすみなさい……」
片桐さんとの電話を終えて暫くすると、部屋に漂う静けさが尚更、人恋しさを掻き立てた。
◇
翌日の午前中、私はコンシェルジュ・デスクで叔母さんが来るのを待っていた。
「環ちゃん、おはよ~」
陽気な声がエントランスに響く。
年末で他の所有物件の管理にも相当忙しいはずなのに、叔母さんは活力に満ちている。
「おはようございます。今日は、他の物件も回られるんですか?」
「そうね、年末も近いし……来年も気持ち良く入居者の方に過ごしていただけるように、いろいろとチェックしておきたいから」
叔母さんは定期的に所有している賃貸物件の環境面などを見て回る。
彼女の仕事に対する、その真摯な姿勢は、私が最も見習うべきものだ。
「お疲れ様です……でも、あまり無理はしないでくださいね」
私の言葉に叔母さんは笑顔で頷く。
「それと、昨日、片桐さんの御友人がカフェに御来店されました。今度の日曜日から二週間、ルミエールに御滞在されたいそうなんですが、お受けしてもいいでしょうか?」
「ええ、いいわよ。今度の日曜日っていうと……最終日は19日ね。それなら年末年始に重ならないし、従業員の皆さえ良ければ大丈夫よ。片桐さんの御友人なら尚更ね」
悠馬さんは快諾してくれるだろうし、片桐さんに良い返事ができそうだ。
「オーナー、実は、もう一つお話しがありまして……」
私は叔母さんにオーバーワークになっている片桐さんの現状を説明した。
「……そうね、片桐さんには、かなり負担をかけてしまってるって私も気になってたわ。年内は厳しいけれど、来年のできるだけ早い時期に人員を増やしましょう」
神妙な顔つきで叔母さんが言う。
「そうですね、それがいいと思います」
叔母さんに相談すべきことを全て伝え、胸のつかえが一気に下りたような気がした。
「そうだ、頼んでおいた書類を出してくれる? また来週、様子を見に来るわね。そうそう、今度、片桐さんのお友達にもご挨拶しなきゃ……」
と叔母さんは慌ただしく言うと、書類を受け取り足早に去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます