5.片桐さんの負担

「彼は、いつも何時くらいに夕食を食べているの?」


「うーん、九時くらいとか、それより遅くなる場合は食べてない時もあるみたいだよ。仕込みとか、翌日分のスイーツを作ったりもあるから……俺も、もっと手伝えることがあればいいんだけど、料理の腕がないからさ……」


 カフェの閉店後や御入居者の方達の夕食が済んだ後に、悠馬さんが片桐さんと厨房に籠っている姿を私は幾度となく目にしてきた。

 悠馬さんはウェイターの仕事だけでなく、ルミエールの業務全般に気を配ってくれていた。


「そうなの……それじゃあ、彼が体調を崩してしまったら大変ね」


 子供を案じる母親にも似た声色で石川様が言う。


「私も片桐さんへの負担は以前から気になっていて……叔母に相談してみようかと思っていたところです」


 このまま片桐さんに負担をかける訳にはいかない。

 私達は彼に甘えすぎている……


 夕食を終え、石川様が御自分のお部屋に戻られたので、悠馬さんと私は食べ終わった食器を持ち厨房に行った。


 厨房では、片桐さんが翌日のカフェ提供分と店頭販売分のスイーツを作っていた。


「片桐さん、お疲れ様です」


 小声でそっと話しかける。

 片桐さんは余程、作業に集中していたのか、全く私達の存在に気づいていなかったようで、少し驚いたようにこちらを見た。


「あっ、お疲れ様です。お二人とも夕食は済まされましたか?」


 自分はまだ仕事をしているのに、私達のことを気遣ってくれる。


(優しすぎるよ……)


 献身的な彼の姿に心が痛む。


「はい、お先に頂いてきました。このカヌレは、あとラッピングすれば完成ですか?」


「えーと、ですね……」


 片桐さんからカヌレの仕上げの手順を聞く。

 型から外し冷ましておいたカヌレを、湯煎して溶かしたチョコレートに浸けていく。

 その上にローストして砕いておいたアーモンドを載せ、冷蔵庫で冷やし、チョコレートが固まってからラッピングをするという。


 スイーツは購入すれば食べ終わるまで、あっという間だけれど、自分で作ってみると如何に多くの工程を経て出来上がるものなのかがよく分かる。

 こういう作業を毎日黙々と取り組む片桐さんは、一流の料理人でありながら生粋の職人でもあるのだろう。


「片桐さん、俺と環ちゃんで作業しておくから、夕食、食べてきて。ラッピングは明日の朝にでも一緒にやりましょう」


「すみません、ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えて……」


(そういえば……田村様が帰られたことを片桐さんは気づいているだろうか)


「片桐さん、田村様、お待ちになられていたんですが片桐さんが忙しいだろうからってお帰りになりました。また、お電話されるようなことを仰ってましたよ」


「そうでしたか……分かりました」


 片桐さんは素っ気なく返事をする。


 どうしてだろう。

 友達同士、気を許しあっている雰囲気がお二人から感じられないのだ。


(本当に友達というだけなんだろうか……)


「ねえねえ、片桐さん。田村さんにさっき何か言われたの?」


 探るような目付きで悠馬さんが聞く。

 彼も二人について何か思うところがあるのだろう。


「いえ、あまりに突然の再会だったので……彼女とは、もう何年も会っていなかったですし。どういう態度で接したらいいのか……以前と同じようには、なかなかね……」


 確かに片桐さんは饒舌ではないし、人間関係を築くことが得意そうとも思えない。

 かく言う私もそうだ。


 分かります。私も中学校の同窓会で当時の友達と、どう話したらいいのか分からなかったですもん」


 あの独特の場の雰囲気が未だに忘れられない。


「翠川さん、中学生の時から、あまり変わってないんでしょうね。フフ……」


 片桐さんは当時の私を想像して笑ったようだ。

 言葉少なな彼の頭に浮かんだ中学生の私は、一体どんな子だったんだろう。


「なんで笑うんですか! それって私が、その時から成長してないってことですか?」


 私は、からかわれた気恥ずかしさと悔しさで思わず声を大きくする。


「環ちゃん! しーっ!!」


 普段は誰よりも賑やかな悠馬さんが気にするほど私の声は響いていたようだ。


「では、すみませんが見本を一つ置いておきますので、こちらと同じように作っていただいたら冷蔵庫に並べておいてください。その作業が終わったら、お二人も上がってくださいね。僕も今日は夕食を食べたら失礼しますので」


 片桐さんは素早くカヌレの見本を作り上げると、ようやく夕食用のビーフシチューをレンジで温める。


「はい、片桐さんも夕食後は、ゆっくりされてくださいね。最近、特に忙しいので……」


「環ちゃ~ん、俺には何も言葉は無いわけ?」


 片桐さんへの言葉が余程、私の感情がこもっていたのか、悠馬さんは拗ねた顔で私に言葉をせがむ。


「はいはい。悠馬さんもゆっくりしてね」


「俺には雑っ!」


 レンジの音が鳴り、片桐さんは私達のやりとりに目を細めながら、ビーフシチューの湯気を燻らせ食堂に出て行った。


 悠馬さんと私がカヌレ作りの作業を終え厨房を出ると、片桐さんは食堂の片隅で、スマートフォンを片手に何やらひそひそと話しをしていた。


 私達は邪魔にならないよう、静かに食堂を離れた。


「環ちゃん、片桐さんが今、電話してた相手って田村さんかな?」


 通路に出るなり、悠馬さんが言う。


「うん、多分……話し足りないことがあったんだろうね」


 田村様がルミエールを訪れたのは、きっと片桐さんと直接話したいことがあったからなんだろう。


「俺はあの二人、ただの友達じゃないって睨んでるんだけどね」


 悠馬さんが自信ありげに言う。

 何か根拠でもあるんだろうか。


「どうなんだろう……私がエントランスに戻っている間はどんな様子だったの?」


「あの後、片桐さんは、すぐに厨房に戻ってきたよ。少し沈んだ顔してた……それから田村さんはスマホ見たり、たまに俺と話したりで、片桐さんとは、それっきり話しをしてなかった。片桐さんが、また席に来るの待ってたみたいだけどね……」


(沈んだ顔?)


 片桐さんが彼女と話しをすることに、あまり乗り気でないようなのは私も感じていたけれど、まさかそこまでとは思わなかった。


「気になるね……でも、お二人の問題だし」


 気になって仕方がないけれど、どこまで踏み込んでいいことなのか私には分からなかった。


「二人に少しでも関わった者として気がかりっていうかさ……片桐さんに気づかれないように何か分かったことがあったら、お互い報告し合おうよ。」


 田村様とは今日が初対面なのに、悠馬さんの中では、もう他人事ではないようだ。

 野次馬的な興味とはまた違う、彼の優しさが覗く。


「……うん、そういうことなら。お二人に御迷惑はかけないようにしようね」


 私は初めて片桐さんに、もう一歩深く関わってみようと心に決めた。

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