7.此処はアパルトマン
「慣れない仕事って大変そうですね」
「そうですね。これからの事なんて、なんの確証もないですし、日々精進するしかないかなって」
「私、絵を描くって事以外、何ができるのかも全然分からなくて……今日キャンパスを見学してみて気づいたんです。私みたいな特別な絵の才能もなく漠然とした夢を追い続けてて、画家としてやっていけるのかなって思ったら、今までの自分は間違いだったんじゃないかって思ってしまって……」
「……そうですね。現実的な話をしてしまえば、芸術家の方は必ずしも、その道で生計を立てられるとは限らないですもんね。……だけど遠藤様の10年間積み重ね、努力してきた事は、誰にでもできる事ではありません。もうそれだけで充分に自信を持っていいのではないかと思います」
「…………」
彼女は、まだ少し沈んだ表情で宙を見つめている。
「芸術家以外の職業だって、この先ずっと安泰かなんて誰にも分りません。私だって……だけど何か一つに打ち込める力って、その人自身を強くするはずですし、遠藤様はすでにその強さを持っている方だと私は思います」
「……そうかな」
「芯が強い人は、他の道を選ばざる負えない状況になったとしても、いつか、その強さに助けられる日が来るのかなって。未来が見えず怖さを感じるという事は、どんな立場、環境の人でも同じではないでしょうか」
気がつけば私は、彼女と私自身を鼓舞するかのように前のめりに話をしていた。
横で静かに聴いていた彼女の表情に、僅かに光が差したようだ。
「強いなんて言われたの初めてです。私、人と話したりも苦手で……だから、ご飯を食堂で食べなきゃいけないって知った時、それが嫌で…せっかく声かけて貰ったのに、すみませんでした」
彼女は何度も申し訳なさそうに私に深々と頭を下げる。
そんな彼女の両肩にそっと触れ、少し身を屈めて声を掛ける。
「遠藤様、食堂とは言え、無理にお話したりする必要はございません。美味しいお料理を召し上がって頂くだけでいいんです。だって此処は、アパルトマンですから」
そう、此処はアパルトマン。
ホテルや高級レストランではない。
ゆっくり自分の家のように寛いで欲しい。
それだけだ……
彼女は緊張から解放されたのか、少し眠たそうな表情を浮かべる。
一日気を張り続けて疲れてしまったのだろう。
「では、今日はそろそろ失礼しますね」
「あ、あのコンシェルジュさん」
「はい」
「明日の朝、食堂は何時からですか」
「6時30分から9時30分まで開いておりますので、ご都合のいい時間にどうぞ」
「ありがとうございます……それと、この辺で一番お勧めの美術館は何処ですか?」
「双葉近代美術館でしょうか。宜しければ、周辺のお勧めスポットの地図もコピーご用意しておきますね」
ドアを閉めようと振り返る私に、彼女は眼鏡を外したまま、真っすぐに私を見つめ笑顔で大きく頷く。
――明日に備えて、もう少し美術館の事、調べておかなきゃ。
階段を降りる私の足取りは、いつにも増して軽かった。
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