いつもの朝

「起きて、岡部」


自分を呼ぶ声で目が開くより先に意識が浮上したが、ベッドの温もりが心地よく毛布を頭まで被り直す。すると、今度はベッドがギシリと音を立ててわずかに沈んだ。


どうやら同居人・谷口が自分の頭横に手をついているようだ。声の方向的にも自分の上に覆いかぶさるようにしている体勢なのだろう。

…どこぞの少女マンガの起こし方だ。


「...オレは姫か」

「あながち間違いでもないんじゃない?」


たしかに、普段谷口に身を守られているという意味ではあながち間違いではない。だが、この男、姫扱いなどしてくれた試しはないではないか。いや、してもらってもこちらとしては居心地が悪いのだが、最近自分への扱いが雑になってきたように思えてならない。


毛布から頭を出すと、案の定天井を背景にこちらに覆いかぶさっている谷口がいた。顔の作りは普通だし少し猫背気味なのだが、その表情、所作、掴み所のない雰囲気でモテる部類に入る不思議な男だ。今だって静かに「おはよ」なんぞと言っているが、細められた目から溢れる色気には男の自分でも心がざわつく。これが甘い夜を過ごした女だったらもう朝からトキメキが止まらないことだろう。


「…オレ、女じゃなくてよかったわ」

「どういうこと?」

「なんでもねぇ」


谷口を押し退けながら起き上がる。リビングダイニングに出るとすでにトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダが用意されていた。いつもと同じ光景。朝は谷口が朝食を作り自分を起こしに来るのが日常だ。


岡部は冷蔵庫から麦茶を出して席に着き谷口を待つ。谷口が席に着くのを確認して手を合わせる。


「「いただきます」」


これを合図に各々が食事に手をつける。同居を始めた当初谷口は無言だったのだが、岡部の習慣に合わせる形となったのだ。


むしゃむしゃと頬張ったものを飲み込んで岡部は谷口に視線をあげる。


「なぁたっちゃん、今日ってなんか予定あったっけ?」

「本部へ行くんじゃなかった?定期報告会」

「げ、そうだった…山南さん、今日は機嫌良いといいな…」

「あの人は機嫌が悪いか、超悪いかしかないでしょ」


岡部はハァーとため息をつく。


本部とは岡部と谷口が所属する異形対策組織の本部のことだ。表向きは一般的な大手製薬会社だがその内部には私設の異形対策組織が存在している。その存在は一部の人間にしか知られていない。


「…遅刻すると余計面倒だから早めに出ようぜ」

「ん。りょーかい」


昨日異形に追いかけられ死と隣り合わせだったことが無かったかのような平和でいつも通りの時間。岡部は仕事のあった翌朝いつも思う。これは長い夢なのではないかと。1年前、平凡な大学生だった自分がこんな非日常的な生活を送るだなんて想像もしていなかったのだ。


「たっちゃん」

「ん?」

「今って現実だよな?夢じゃなく」

「うん。少なくとも、俺は現実だと思ってるけど」


谷口はブラックコーヒーを啜りながら平坦に答えた。

そうだよなぁ…。岡部は夢のような現実感の無さをまだ若干感じながら、残りの朝食を口に詰め込んだ。

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