君がぼくを殺めるときは

翠川 閏 / ミドリカワ ジュン

ごちそうは逃げる

駅前、雑居ビルの路地裏。


風景に溶け込むエアコンの室外機達は轟々と音をたて、換気扇達からはそれぞれから僅かな光と人々の話す声、そして美味しそうなにおいがあふれ出し道に充満している。


そんな暗闇を一人の男が息を切らしながら駆け抜けていた。20歳前後に見えるその男はボアコートを靡かせてまるで何かから逃げるかのように走り去る。


「くそ、アイツっ…どこ行ったんだよっ…」


男はかれこれ20分ほど路地裏を走り続けている。人通りのある道は周りを巻き込む可能性があるため通れない。パイプやらデカいゴミ箱やら自転車やらがごちゃごちゃしている細い道を選んで走り続けるのは普通に走るよりも何倍も疲れるものだ。


男は目下行方を探している相方に連絡をとろうとポケットのスマホに触れる。その瞬間も辺りの気配を探ることを忘れはしない。周りに何もいないことを確認するとスマホを耳に当て、コールが3回なったところでようやく相手に繋がった。


『はい、こちらタニグチ〜』


のんびりとした声色の男、谷口がいつも通り電話に出る。こちとらゼェハァいっているというのに…涼し気な様子に大声で声を荒げたいところではあるが、声を潜めその分スマホを握る手に力を込めた。


「たっちゃんっ…お前、どこにいるわけっ…!?」

『東口の先にある山下製鉄所。岡部こそどこよ?』

「えっと…とんとん亭の裏っ!」

『だいぶ息切れてるねぇ』


他人事のようにのたまう相手に、お前のせいだろ!と言い切る前に背後から気配。振り向きざまに左へ避けると、大型犬程の何かが勢い良く通過していった。それはまさしく岡部を走らせている原因だ。


『まぁ、ソレ連れて来なよ』

「はぁ!?駅の反対口とか遠回りで線路下くぐらなきゃ行けな−−−」


グルルル…といううめき声に視線をソレに向ける。パッと見ドーベルマンに見えなくもないが、姿形は自然界でなかなか目にすることのない異形だ。

四足こそ犬と同じだが、その筋肉や関節のゴツさはさながらケロベロスのようだし、目は頭上、顎、左右に1つずつで計4つ。口は四方に裂けこちらに開きっぱなし、牙という牙が列をなすことなく口内に無数に生え広がり、涎がダラダラとアスファルトに滴っていく。あの口の形でどうやって咀嚼するんだ?と思うが、やつは器用にも口周りの筋肉をうねらせるように動かし、咥えた肉を食らう。何度か見ているが気分の良いものではない。


そんなこいつを始末するには悔しきかな、電話の向こうにいる谷口に頼むしかないのだ。


「くそっ!行きゃあいいんだろ行きゃあ!切るぞっ!」

『ん、早くおいで。待ってるから』


岡部は軽く舌打ちをして通話を切った。そして異形に相対すると片口角をあげて腰を落とす。


「腹減らしてるとこ悪ぃけど、オレもまだ殺られるわけにはいかないんでね」


腰ベルトに引っ掛けておいた煙幕玉に手をかけて、異形が踏み込むと同時にそれを相手の足元に叩き込んだ。特注の異形のみに効く催涙煙だ。目の多い異形に効果が高い。ギャウン!という声と共に異形の動きが止ったのを確認し、岡部は東口へ向かい走り出す。…今度マラソン大会出たら優勝できんじゃね?そんなことを思いながら。




山下製鉄所は水間駅の東口から1km程の距離にある廃工場だ。岡部も何度か通りかかったことがあるが、サッカーコート2面分はありそうな敷地に錆びついた外壁の建物と雑草が生え放題の駐車場があり、ひと目で何年も人が手を付けていないことが分かるような場所。


谷口がなぜここに来ているのかは分からないが、意味もなく行動するような男ではない。きっと何かしているのだろう。


岡部は走る勢いそのままに、中学校の校門に似た分厚く重い門を飛び越した。着地と同時に走り出すとすぐ背後で異形も門を飛び越えた音がする。工場内に入ろうと思っていたが、思ったよりも近づかれていたため予定を変更、岡部は枯れた雑草が生い茂る駐車場で振り返り異形と相対した。異形は様子をうかがうように少し距離をおいて止まり唸り声をあげている。


催涙玉はあとひとつだけ。なおかつこちらは相手を殺傷する武器は持っていない。この距離まで詰められて逃げ出せるのはこれが最後だろう。異形も先の催涙玉から学んだのかむやみには近づいてこない。


均衡状態が続く。


張りつめた緊張は唐突に崩れた。突然異形が側頭部から血の雫を散らして倒れたのだ。岡部はすぐさま周りの気配を探る。異形を倒してくれた者が味方とは限らない。つい先日、警察の駆除隊にどさくさに紛れて撃たれそうになったのだ。


しかし、暗い草むらに目を凝らすと見知ったシルエットが見えたため、岡部は杞憂かと体の力を抜く。ひょろりとした躯体、足音がほとんど鳴らない歩き方は少しばかり気味が悪い。


「…遅ぇよ、たっちゃん」

「これでも急いだ方なんだけど?」


右手に銃を握った男、谷口。この男こそ岡部の命を握る相方であり同居人だ。谷口は額をくすぐる前髪をかきあげると銃をスラックスの腰元に仕舞い込む。谷口のコートの裾を見ると、所々濡れたように色が変わっていた。人間の血の色に似ているが少し緑がかっている。…岡部を追っていた異形以外にも別の個体がいたのだろうか。


「たっちゃん、コイツ以外にもいた?」

「うん。この工場が巣になってたみたい」


岡部はここでなるほどと理解する。谷口が自分をここへ一緒に連れて来たがらなかったのは…


「…子どもも、いたのか」

「うん」


表情を曇らせる岡部に対して何事もなくただうなづく谷口。


以前、岡部は巣の掃討を行った際に子どもの異形を助けられないかとごねた。それが今回谷口が岡部をここに連れて来なかった理由だろう。


納得したと同時、ふつふつと疑問と苛立ちが沸き起こってくる。それにしても、説明くらいあっての良かったのではないだろうか?こちらは何も分からず、ただなけなしの装備で異形から逃げ回り続けたのだ。


「にしても、俺一人で異形の相手させるとかなくね?」

「んー、大丈夫かな〜って。死ぬ気で俺のところに来ると思ったし」


岡部は俺のこと大好きだもんね〜と軽口をたたきながら谷口はスマホで誰かに通話しようとしている


「だ〜れがお前のこと大好きだっ---」

「あ〜、もしもし、タニグチでーす。駆除終わったので回収よろしく。成体2、幼体13くらいで」

「聞けよ」


谷口は死骸処理班に連絡を入れたようだ。


「さて、お仕事おーわり。晩飯どうする?牛丼?」


このグロテスク異形を見た後でよく晩飯のことなど考えられるな…。谷口のペースを崩さない姿勢にはある種尊敬すら覚える。


「野菜メインで…」

「外食だとムズいね。今から帰って作ると時間かかるよ?」

「いいよ。むしろ時間空けてくれたほうが助かる。てかその服で外食は無理だろ」

「うーん、確かに」


ナスの煮浸しでも作るかねぇ。谷口は頭の後ろに手を組み歩き始める。

岡部はもう動く気配のない異形をちらりと見やりすぐに後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る