番外編 女神の罪状(2)

 気配が近くなってくる。とても強力な力だ。ジョブゼでは敵わないはずである。


「近いぞ」


 イットーに注意を促しておいた。


 遭遇した悪霊の親玉。それは、先程の悪霊よりは一段と豪華で立派な民族衣装を身にまとい、大きな曲刀を両手に握りしめた、堂々たる戦士だった。敵意を向けた眼差しでこちらを見据えている。


「お前が『族長』か?」


 ウィーナは問う。


「いかにも。我こそは大地の部族族長・グランスである」


「お前の部下は全員あるべきところへ帰った。あとはお前の魂だけだ」


 ウィーナは静かに、しかし力強くグランスに語りかけた。


「何を言う。あの者達の魂は常に私と共にある。我らの故郷、この大地を連合の侵略から守りきるまで我ら部族は死なんのだ!」


「ここは死者の眠る世界、冥界だ。お前達が守ってきた大地ではない」


 ウィーナが言うが、相手には通じていないらしい。剣を構えた姿勢を崩そうとしない。


「黙れ! 連合の好きなようにはさせん。我らの誇りまでは決して好きにはさせん。来い! 貴様に決闘を申し込む」


 ウィーナに申し出を受ける気はなかった。自分と決闘が成立する相手ではない。ジョブゼが言っていた。この部族は勝利の女神であるウィーナに救いを求めていたと。戦士として、決闘を引き受けたらからには手を抜いて戦うことは相手に対して礼を失することとなる。自分にすがる者を、どうして斬り伏せることができようか。


 ウィーナは剣を抜かずに、歩いてグランスに接近した。イットーは固唾を飲んでその様子を見守る。


「どうした!? 剣を抜け!」


 グランスが叫ぶ。追い詰められた者の、悲鳴にも似た威嚇の叫びだ。


「断る」


「うおおおおっ!」


 構わずグランスは、丸腰のウィーナに向かって突撃し、剣を振りかざした。


 ウィーナは振り下ろされたグランスの剣を素手でつかみ、攻撃を受け止めた。


「ぐっ……!」


 グランスは渾身の力で剣を押し込もうとするが、ウィーナがつかんだ剣は寸分足りとも動かなかった。ウィーナは剣をつかんだ手に、わずかも力を入れていない。ただ、その位置に手をとどめておこうとしているだけだ。ウィーナとグランスの、次元の違う腕力差がそこにはあった。


 ウィーナはするりと刀身から手を離すと、グランスは勢い余って前方につんのめって、地面に崩れ落ちた。


 ウィーナはグランスに向けて手をかざし、結界を形成した。グランスは一瞬にして包まれる。


「安らかに眠るがいい」


 ウィーナが魂を浄化させようとしたとき、グランスが口火を切った。


「おのれ……アルテナ連合軍め! 覚悟しておくがいい。貴様らには必ずや女神ウィーナの裁きが下るであろう!」


「アルテナ連合軍……」


 ウィーナはその名を知っている。その昔、ウィーナが天界にいた頃、加護を与えていた地の一つであったシャムカラズド大陸を統一した連合軍である。大国が手を組んで組織したアルテナ連合軍によって大陸の統一は進み、昔からその土地に根差して生活をしていた部族の多くが連合に取り込まれるか、滅ぼされた。大地の部族はその中の一つだったのだ。


 そして、当時、ウィーナはシャムカラズド大陸の調和の為、アルテナ連合軍に微笑みを投げかけていたのだ。


 その為に、この部族は冥界の底の底で長いこと恨みを募らせて、ついに悪霊へと変身し、結果今となってこの冥界の表層に現れ、自らの大地を守る為にさまよい歩いていたのだ。


 ウィーナは心の中で大地の部族に詫びた。


すまない。


だが、これは女神の務めを果たす上で必要なことだったのだ。許せとは言わない。せめて、私自らの手でその魂を鎮めよう。


「……おそらく、女神ウィーナも、お前達に勝利を与えなかった己の愚かさを悔いていることであろう」


 ウィーナは結界の中のグランスに言った。


「黙れ、侵略者が! 知った風な口を聞くな。我らが信ずる気高き勝利の女神・ウィーナ様は常に天から我らの行いを見守っていて下さる。我々の信仰あるかぎり、必ずやウィーナ様は我々に祝福をお与え下さる!」


「お前達は誇り高く戦った。それは、必ずや天にいる勝利の女神にも伝わっているであろう」


「黙れと言っている!」


 グランスは怒りに顔を歪めた。ウィーナは優しく、静かに結界を収縮され、魂の浄化に入る。


「あれ? ウィーナ様って、ウィーナ様ですよね?」


 イットーがきょとんとした顔でウィーナに語りかけた。


「ん?」


 ウィーナは突如口を挟んできたイットーの方を向く。


「コイツの言う勝利の女神ウィーナって、ウィーナ様と同一人物ですよね? いや、何かウィーナ様がまるで自分のことではないように仰るもんですから、ちょっと混乱しちゃって」


「な、何だと? 今、私の目の前にいるのがウィーナ様?」


 結界の中のグランスが驚愕する。


「そうだ! ウィーナ様は天界にはいない。今、俺達の目の前の、この冥界にいるんだよ! お前ら邪悪な悪霊共を退治するためにな!」


 イットーが得意げに言った。


「よせイットー!」


 ウィーナはイットーを言葉で制止しようと試みた。


「なぜ、なぜウィーナ様が、我ら部族を滅ぼすのだ……。なぜ我らの同志を……」


 グランスが失意の表情でウィーナを見据える。


「何をさっきからわけの分からんことを言っている! テメーら雑魚悪霊ごときがウィーナ様に勝てるわけねーだろ!」


 イットーが調子に乗った様子で怒鳴り散らしながらホバー走行で滑走し、グランスに急接近して、彼を包む結界を蹴っ飛ばした。


「イットー!」


 結界はごろごろと転がって、側にあった木の幹に衝突して止まった。


「ぐわああ! おのれ! なぜだ! なぜだ! なぜ神は! 我ら戦士は女神ウィーナの祝福あるこの大地を侵略者の手から守るために命を落として言ったのだぞ!」


「貴様あ! まだ言うか! 女神であるウィーナ様にとっては、貴様ごとき悪霊風情、ものの数ではなーい! ワルキュアカンパニーの最終兵器、イットーがウィーナ様になりかわり成敗してくれるわ! ヒャーッハッハッハー!」


 イットーが酷く興奮した様子で声を張り上げた。


 結界の中でグランスの力が急激に強くなるのを感じる。悪霊は恨みの力が増せば戦闘力も合わせて増す。イットーの言葉がきっかけとなってグランスはより強大な悪霊へ変貌したのである。しかし、それでもウィーナの結界から抜け出すことは敵わない。ウィーナはいたたまれない気持ちになって、急激に結界を収縮させ、半ば強制的にグランスの魂を浄化させてしまった。


 ウィーナはほぼ反射的にグランスを浄化してしまったことに気付き、結果的には適切な行動だったとはいえ、冷静さを欠き、感情をむき出しにした自分の醜態に恐怖した。


 悪霊が自分に向けた糾弾から逃避するかのような、耳をそむけるかのような行い。自分がそのような行いをしてしまったことが、ウィーナの女神としての誇り、プライドを傷つけた。そして、その様子を部下のイットーに見られた。


 自分の裁断で敗北の運命を与えられた者の嘆きの声に動揺して、まるで口封じするかのように永遠の眠りにつかせてしまうなんて。


 ウィーナはショックから足元がよろよろとおぼつかなくなり、思わず地面に崩れ落ちた。


「あ、あの……ウィーナ様?」


「私は、何という浅ましいことをしてしまったのだ……」


「その、申し訳ありませんでした。私が余計なこと言わなければ。その、ちょっと調子に乗ってしまいまして」


「そうだイットー。なぜもっと私の強さを標榜し、あいつを挑発しなかった? そうしてくれれば、グランスの力は増大し、私の結界を撃ち破った。私は私の罪から目をそらさずに済んだのだ!」


 ウィーナは語調強くイットーを叱り飛ばした。まったくお門違いの、不条理な、八つ当たりに近い説教だということは自分でも分かっていた。こんなヒステリックな行いを他人にしたのは酒が入っていないときを除いては久しぶりだ。


「ええっ!? そっちで怒るんですか?」


 イットーのツッコミを聞いて、ウィーナは自分の感情がクールダウンしていくのを感じ、静かに息を吐いた。


「……もういい。戻ろう」


 ウィーナは静かに踵を返し、来た道を引き返し始めた。


「ウィーナ様。あんま気を落とさないで下さい。さっきのは、私、見なかったことにしますんで。まあ、だれだってヘタレるときはありますし、いくら神だって誰からも恨みを買わないようにするなんて不可能ッスよ」


「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」


 ウィーナはイットーに微笑みを投げかけた。供として同行させたのがシュロンではなくてこの者でよかったとウィーナは思った。


 村に戻ると、診療所からジョブゼが消えていた。


 何と、診療所を抜け出し、ドライブドラゴンでどこかに飛び去ってしまったらしい。おそらく、ウィーナの屋敷に戻って次の任務を求めるつもりなのだろう。傷はどうするつもりだろうか。




 ◆




 結局任務は一日で終了した。ウィーナは屋敷に飛んで戻り、私室で休息を取った。


 翌日、幹部従者のヴィクトを執務室に呼び、冥界民間軍事契約組織調整委員会のことについてなどを話し合っていた。


「ところでウィーナ様。お耳に入れておきたいことが」


「どうした?」


「……ファウファーレが委員会の上層部の屋敷を出入りしているそうです」


 ヴィクトが小声で話す。


「それは私も知っている」


 ウィーナの言葉が意外だったようで、ヴィクトは少しばかり銀髪を揺らした。


「ウィーナ様の目と耳を忍ばせているということですか」


 ヴィクトは今のウィーナの言葉だけで、ウィーナが独自にスパイを潜り込ませていることを悟ったようだ。


「そうだ」


 ヴィクトはならば話が早いといった風に言葉を続ける。


「目的を調べて、もしクロであったら、予防線を張るべきですね」


「ヴィクト、お前に頼みたい。ファウファーレが相手では私の潜り込ませている者では少々荷が重い」


「了解しました」


 何にせよ、策略に関してはヴィクトに任せれば問題ない。ウィーナはそれほどヴィクトに信頼を置いていた。いかにファウファーレが急速に管轄従者に昇進した有能な人物とはいえ、ヴィクトが委員会の幹部に収まっている以上、彼の目をごまかして動くことはできない。


 ウィーナは思った。昨日の悪霊退治の一件でもそうだったが、ウィーナ一人では駄目だ。支えになる部下の力が多く必要である。この組織がここまで大きくなって以上、ウィーナの尋常ならざる力に依存したワンマン営業である体制は何とかしなければならない。


 ヴィクトもそうだが、シュロンやジョブゼなど、多くの部下の支えがなければやっていけないことをひしひしと感じていた。


 そして、ウィーナは後に女神としての力を失い、図らずも部下に導かれていく数奇な運命を辿ることとなる。


<終>

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やるせなき脱力神番外編 女神の罪状 伊達サクット @datesakutto

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