やるせなき脱力神番外編 女神の罪状

伊達サクット

番外編 女神の罪状(1)

 冥界の王都より北へ十日ほど歩いた距離にあるマダラン地方。


 勝利の女神・ウィーナはそこに激しい力を持つ悪霊の力を感じ取った。


 ウィーナは、ふと屋敷の執務室を出て、屋敷の屋上から北の方角を見据えた。


 目をつぶって精神を集中させると、彼女の頭の中に、かすかにだが負の力を持った恨みの声が響いてくる。


「ウィーナ様。何でしょうか?」


 背後から声が聞こえた。ウィーナが振り返ると、青い鎧姿の凶悪な顔つきをした灰色の肌の男、幹部従者ジョブゼが立っていた。先程ウィーナが屋上に来るように呼びつけたのである。


「……北の方角からとても力の強い怨念を感じる」


 ウィーナは静かに口を開いた。


「ほう?」


「私の感じたところだと、おそらくはマダラン地方の辺りだろう」


「退治するというわけですか?」


「そうだ」


 ウィーナはそう答えて、数歩ジョブゼに歩みを進めた。


「ジョブゼ、お前には北へ向かって私が感じた力の正体を確かめてきてほしい。そして、民に害を及ぼすような存在であれば、その場での退治を許可する。お前が見極めろ」


「了解しました」


 ジョブゼがニヤリと笑って答えた。この者は戦う気だろう。ウィーナは思った。


「遠い地だ。ドライブドラゴンをレンタルして行くがいい。領収書をもらってマネジメントライデンに渡すようにな」


「分かってますって」


「あれほど遠いマダラン地方でも気配を感じるということは相当強い悪霊だ。だからこそ、我が部下の中でも最も力強く戦うお前を差し向けるのだ。その意味をよく理解し、心して行くがいい」


 ジョブゼは不敵に笑って一礼し、ウィーナの元を後にした。


 ウィーナが察知した悪霊を、先手を打って捕縛して浄化する。


 これでは誰かから依頼を受けた仕事にはならない。だが、こちらから自発的に動いて悪霊を退治し、後ほど冥王にその旨を報告すれば、働きに応じた報酬がこの冥界政府から支払われる仕組みになっているのだ。







「ジョブゼの力を感じ取ることができなくなった。そして、北の悪霊の力は未だに衰えない」


 四日後、ウィーナは執務室にハチドリを呼び寄せて、自分の机の上に立たせた。


 小鳥の如く小さな体のハチドリが卓上に立つと、仕事用の机が普段より広く感じられた。


「さすがですな。この間、握力大魔王が冥界に戻ってきたときも、あれほど遠く離れた地の気配をウィーナ様はハッキリと感じ取られた」


「……どう思う? 私のこういうところを。お前達からすれば私の力は恐怖すべきものなのだろうな」


 ウィーナは何気なく問いかける。おそらく、ハチドリでなければこんなことは話さないだろう。何故ハチドリには話す気になるのか。ウィーナ自身も分からない。


「確かに、ウィーナ様のその力は異常なものだと、私個人は思っとります。悪霊になっているとはいえ、かつて魔界を治めていた者を、まるで赤子の手をひねるように倒してしまったところをこの目で見ました。しかし、その力は恐怖より安らぎを感じます。少なくとも私は」


「お世辞は言わなくてよい。今、ジョブゼの安否が危ぶまれているときだ」


「いや、ウィーナ様から話題振りましたよね?」


 ハチドリがすかさずツッコミを入れる。ウィーナは思わず口元を綻ばせた。


「確かに。私がそんなことを話している場合ではなかった。すまない」


 ウィーナは卓上のハチドリを見下ろして言った。彼は色鮮やかな羽で逆立つトサカをポリポリ掻いた。


「まあ、あいつに限って死ぬなんてことは……。何かの間違いじゃないですか?」


「このウィーナの感覚を疑うのか?」


「いつも思うんですが、なんか私だけには結構言葉キツくないですか?」


「それだけ心を許していると解釈しろ」


「了解。急ぎマダランへ飛びます」


 ハチドリは小刻みにうなずいた。


「違う。私自らが行く。数日開けることになる。後のことはお前に任せる。他の幹部やマネジメントライデンのピエールとうまくやってくれ」


「……お言葉ですが、ウィーナ様のお手を煩わせることではないかと。私だったらマダランくらいひとっ飛びですよ」


 ハチドリが面倒臭そうな表情をしてクチバシを開く。


「私が飛んで行った方が速い。ジョブゼでも手に負えなかった悪霊だ。私が出るしかない」


 ジョブゼのことが心配だ。


 あの死を恐れぬ戦闘狂だ。ウィーナがその気配を感じられなくなったということは、最悪、戦死したということも十分あり得る話だ。


「承知しました。ではジョブゼ隊の指揮は当面私の方で代わっておくって流れでいいですか? 取りあえず我が隊の指揮下に組み込んで……」


「その必要はない。すでにエルザに隊長を代行するよう命じておいた」


「エルザベルナに? 大丈夫ですか?」


「何がだ」


「他にもジョブゼのもとでもっと長い間やってる管轄も大勢いる中、その者達を差し置いてエルザベルナなんですか?」


「そうだ。何故かというと、あの隊の管轄従者の中でエルザが群を抜けて、飛び抜けて優秀だからだ。だから任せてみた」


「しかし、他の連中が反発しませんかね? もっと歳いったベテランにした方がよかったのでは」


「心配ない。見事に務まって隊をまとめ上げているぞ。後でジョブゼ隊の様子を見てくるといい。お前の言うベテラン連中もエルザを信頼して力を貸している」


「そ、そうなんですか? あの若さで、あの一癖も二癖もあるジョブゼ隊の猛者達を?」


「ああ」


「ちょっと意外ですね。だとしたら、少々エルザベルナのことを侮っていたかも……」


「本当にそうだぞお前。さすがはあのグランハルド家の娘といったところだ。まあ、あの隊は元々一枚岩だ。普段からしっかりジョブゼが統制していたし、隊員は誰もジョブゼが死んだなどと信じていない」


「なるほど」







 ハチドリに後を託し、ウィーナは身支度を整えて、屋敷の玄関を出た。


 両脇にいる警護の平従者が、彼女に頭を下げる。ウィーナは軽く手を振って応えた。


「ウィーナ様!」


 背後から幹部従者シュロンの声が聞こえた。


 白いローブに身を包んだ、ウィーナの部下の中でも一番の魔力を誇る呪術師。若い女性で、魔術に関しては非凡な才を見せ、その容姿も極めて恵まれたものを授かっている。


「シュロン。どうした?」


「是非ともわたくしもお連れ下さい」


 シュロンはこちらに期待の眼差しを光らせて訴えた。


「いや、あのジョブゼがやられたとなると、相当な強さを持った悪霊のようだ。どうやら離れた場所ゆえ、私が正確に悪霊の力を測り損ねたらしい。私自身が片をつけたいのだ」


「そのような強敵ならばなおさら」


「いや、イットー一人だけで十分だ」


 シュロンはそれでも、上気した様子で口火を切った。


「イットー!? イットーって、あのイットーでございますか?」


「イットーと言ったらイットーだ。他にどんなイットーがいるというんだ」


「なぜイットーは供に選別して、私は駄目なのでしょうか? 今の、今のわたくしだったら必ずウィーナ様のお役に立てますわ!」


「今の?」


 妙に引っ掛かる物言いだ。シュロンは人に隠れて秘密特訓でもして強くなったのだろうか。


「い、いえ、何でもありませんわ」


「シュロン、なぜお前ではなくイットーなのか。それはイットーよりお前の方がはるかに優秀だからだ。私と行動を共にするよりは、お前は独立して手ごわい悪霊を退治する任務をこなしてほしい。その方がワルキュリアカンパニーにとっては良いのだ」


「それは分かっております。しかし、後学の為に、ウィーナ様の戦いを見たいのです。是非ともわたくしをお連れ下さいまし!」


 シュロンが頭を下げた。ここまで熱心に頼まれたら連れて行かないわけにもいかないだろう。シュロンが自分を神として崇拝しているのは重々分かっている。昔からそうだった。だからこそ、一緒に歩くのは少しばかり煩わしいのだ。


「分かった。支度をしてこい」


「あ、ありがとうございます!」


 シュロンは満面の笑みを浮かべて喜んだ。


「そうだ。その前に、先程『今の私は』と言ったな」


「ええ……」


 かすかにシュロンの表情が強張ったような気がした。気のせいだろうか。


「悪いが、少しばかりお前の力に触れさせてもらう。お前がどれほど腕を上げたか確認しておきたい」


 何となく、シュロンからは以前とは違う質のようなものを感じ取ってはいた。少し気を感じただけでは、今までとほとんど変わらないようだが、何か彼女の底に潜在的な力が眠っているような、底知れない感じはあるような気がする。


 おそらく、人目を忍んで魔法の特訓でもしたのであろう。人の上に立つ者としては、そういった向上は評価してやらないとならない。


 どのみち、ウィーナはシュロンの体に直に手を触れれば、彼女の内に秘める気、魔力、パワーを一瞬で正確に感じ取ることができる。


 ウィーナは右手をシュロンに伸ばした。


 しかし、咄嗟にシュロンは後ずさりして、ウィーナが触れるのを拒絶した。


「どうした?」


「やはり、私だけこんな我儘を言っては下の者達に示しがつきませんわ。今後の予定だって調整し直さなくてはならなくなりますし。結構です。無理を言って申し訳ありませんでした」


 シュロンは今度は謝罪の意を込めて、再び頭を下げた。


「そうか、では後は頼んだぞ。明日には終わらせるつもりだ。遅れるようなら、報告しに戻ってくる。私が飛べば数時間だ」


 ウィーナは言った。シュロンが聞きわけてくれたら願ったり叶ったりである。


「了解しました」


 話がまとまったところに、玄関から白い鎧に身を包み、腰の左右に鞘を携えた二刀流の男、管轄従者イットーが姿を現した。足は動かさず、鎧の各所に付いているノズルから魔力を放出し、足を動かさずにホバー走行で滑りこんでくる。


「ヒャッホー! おーまーたーせーしーまーしーたウィーナ様!」


 砂煙を上げて滑走し、目にもとまらぬスピード(ウィーナの動体視力では止まって見えるが、普通の者からすれば目にもとまらない)で高速スピンしてウィーナの前にやってきた。


「随分元気だなイットー」


 ウィーナが眉をしかめて声をかけた。


「そりゃあそうですよ。だってジョブゼ殿がやられたってことは俺戦力になりませんもん。とすると、俺は戦闘要員じゃなく、雑用パシリの非戦闘要員! 戦うのはウィーナ様お一人! 超楽なんですけどおおおお!」


 イットーが有頂天な様子で言った。


「イットー! どういうつもりなのかしら、その態度は?」


 シュロンが静かな怒りを見せながら図に乗っているイットーに詰め寄った。


「おはようございます」


 脈絡なく意味不明なイットーの挨拶。


「ふーん。わたくしを馬鹿にしているのね。少々お仕置きが必要ですわね」


「シュロン、よせ。イットー早く向かうぞ。私の背中に乗れ」


 ウィーナはシュロンを制止し、イットーを片手でヒョイと軽々持ちあげ、乱暴に背負った。鎧を着た男の重量など、ウィーナに取っては何も感じない。


「おおおおっ!? ちょ、ちょ!」


 イットーはうろたえて声を漏らすが、構わずウィーナは光の翼を展開しながらシュロンに「行ってくる」と言い、全速力で冥界の漆黒の空に舞い上がった。


「飛ばす!」


「うわああああ!」


 イットーがあまりのスピードに悲鳴を上げた。




 屋敷の玄関の前には、シュロンと、警護の平従者だけが残った。


 そんなところに、頭から二本の角が生えた、顔の横半分が鱗に覆われ、爬虫類の目を持つ男、幹部従者・レンチョーが歩いてきた。


 レンチョーはその冷たい瞳でシュロンを睨む。


「お前、よっぽどウィーナ様のことが好きらしいな。少々調子に乗り過ぎているようだが……」


 シュロンは言い終わるか言い終わらないかの内に、レンチョーを鋭く、そして彼以上に冷たく見据え返した。


「わたくしは既に冥界人の領域を超えた。お前など、歯牙にもかけなくってよ」


「何をわけの分からんことを……、ウッ!? お、お前、何だ……」


 レンチョーはにわかに顔色を青くし、怯えた様子で尻ごみした。


「何かしら?」


 シュロンは柔らかく冷笑を浮かべる。


「いや、何でもない! 非番だったらさっさと帰ったらどうだ、いても意味ないんだからな!」


 レンチョーは苦し紛れの捨て台詞を吐いて、そそくさとその場を後にした。


「……いけないわ。わたくしとしたことが、少々しゃべりすぎてしまったかしら?」


 シュロンは何気ない様子で独り言をつぶやいた。その様子を、玄関を警備している平従者は狐につままれた様子で眺めていた。







 ウィーナが冥界の空を北へと飛び続けて数時間程が経った。


 眼下にはマダラン地方の広大な草原が広がっている。


「近い。生きている」


 ウィーナははっきりとジョブゼの気配を感じ取った。それから更にしばらく飛び続けると、草原の真っただ中に佇む村を見つけた。


 少しずつ減速、下降し、ウィーナは静かに村の入り口に降り立った。


「あなた方は?」


 村の入り口に立つ、赤い肌の亜人タイプの村人がウィーナに尋ねた。


「私は城下町のワルキュリアカンパニー代表取締役・ウィーナと申します。この村に、私の部下が立ち寄っているのではと思い、お伺いしました」


 ウィーナは背中のイットーを降ろしながら村人に言った。イットーはウィーナの高速飛行を数時間味わってすっかりやつれ、すでに満身創痍の状態であった。急いでいるとはいえ、悪いことをした。


「ああ、この前やってきたジョブゼって人でしょ? 凄い傷だらけで落ち延びてきたもんだからさ、村の診療所に担ぎこんだんですよ」


 村人が心配そうに説明した。


「ありがとうございます」


 ウィーナは深々と頭を下げた。


「いや、礼なら診療所の先生に言って下さい。俺達はただ運んだだけなんで」


 村人は苦笑した。




 ウィーナとイットーは小さな診療所に足を運んだ。木造の質素な作りの建物だ。


「失礼します」


玄関を開けると、椅子に座って机に向かう白衣を着た初老の男がいた。


「いらっしゃいませ」


「ウィーナと申します。私共の仲間を診て頂いていると聞きまして」


「そうでしたか、彼は奥の部屋にいます」


 医者は立ち上がってウィーナとイットーを奥の部屋へ案内した。ベッドが数台並んだ病室で、彼は鎧を脱がされ、至る所に包帯を巻かれた状態で寝かされていた。


「ウィーナ様」


 ジョブゼが上体を起こす。


「いい」


 すぐにウィーナが制止したが、ジョブゼはそのままの姿勢を崩そうとしないので、ウィーナは彼の後頭部に手を回し、胸部を押して再びジョブゼを寝かせた。


「ちょっ! マジで死にかけじゃないっすかジョブゼ殿、やべぇ!」


 イットーがへらへらしながら大きい声で言ったが、ウィーナもジョブゼも医者も無視した。


「敵は強かったか?」


 ウィーナはジョブゼに問う。


「はい」


 ジョブゼはその悪人面の眉間にしわを寄せ、固く口を結んだ。内心の悔しさが見て取れる。


「東の森にいるのだな?」


 先程、上空から確認したところでは、この村の東に森が広がっていた。その森から、ウィーナは凄まじい悪霊の力を感じ取っていた。それも複数。


「そうです。奴らは部族……」


「部族?」


「戦いに生きる者達です。奴らは大地の部族と名乗った。強い、あいつらは」


 ジョブゼは真上を見つめた。病室の天井ではなく、もっと遠くを見定めているようだ。


「お前が言うならよほどの悪霊だろう。そのような悪霊と果敢に戦い、よく生きて戻ってきた。私が最初に言った『お前を遣わす意味』をよく分かっているようだな」


 ウィーナはジョブゼに微笑みを投げかけた。


「ウィーナ様。もう一度やらせて下さい。次は勝ちます」


「つまりは、今私に回復魔法をかけてほしいと。そうすれば再び戦えると。そういうことだな」


「はい」


「お前の傷を治すことは容易い。もう一度戦うことも構わない。ただし、それは私がついていくという条件付きだ」


 ウィーナは仰向けに寝転がるジョブゼの真上に身を乗り出し、ジョブゼの顔を真っ直ぐに見つめて言った。下を向くことで、セミロングの黒髪が、肩を伝い真下に垂れ下がる。


「それはつまり、私が危なくなったらウィーナ様の助けが入るいという?」


「そうだ。私の子守り付きでいいというのなら、再戦してもいい。どうだ?」


「それじゃあ意味がありません。一人でやらせて下さい」


 ウィーナは真顔に戻り、静かにジョブゼの包帯の巻かれた傷口に指を滑らせ、少し力を入れて押した。


「……ぐっ!」


 一瞬、痛みで苦悶の表情を浮かべるジョブゼ。


「ちょっとあなた!」


 医者が慌ててウィーナに注意する。


「……やはり相当な深手だ。ここまで戦い抜いて生きて帰ってきたことで十分評価に値する。だが、お前の傷を治すわけにはいかない」


 ウィーナは財布から金貨を取り出し、医者に相応の治療費を支払った。


「先生、この者をよろしくお願いします」


「分かりました」


 医者が金を受け取りながら頷いた。


「ウィーナ様! お願いします!」


 ジョブゼが再び訴えかける。


「大人しく休んでいろ。お前を信じていないわけではないが、無理をさせるわけにもいかない。これは命令と心得よ」


「……はい」


 ジョブゼの表情から力が抜け、それ以上は話そうとはしなかった。もう既に、傷が治った後の鍛錬のことにでも思いを巡らせているのであろう。


「それでは、よろしくお願いします。行こう、イットー」


 ウィーナは医者に頭を下げ、イットーを引きつれて病室を後にしようとした。


 出がけに、ジョブゼが言った。


「ウィーナ様。奴らは生前、ウィーナ様に救いを求めていました」


「分かった。ありがとう」


 ウィーナは報告してくれたジョブゼに礼を言い、イットーと共に診療所を後にした。




 村を出て、暗い冥界の森の中を進んでいると、周囲の木々の隙間から、何者かの気配、息遣いを多く感じ取った。悪霊ではない。魔物だ。見られている。狙われている。


 既にイットーも剣の鞘に手をかけ、臨戦態勢を取っている。


 魔物が姿を現した。前方の木々の間から、わらわらと集団でやってくる。


 緑色の鱗に覆われた、金色の瞳を光らせる冥界リザードが三匹。鋭い鎌を持つ巨大カマキリ、エッジマンティスが二匹。銀色の体毛に、鋭い牙を持つ獣、サーベルウルフが二匹。


「奴ら、普通の魔物以上の獰猛さを感じ取れる。どうやら強い悪霊の影響で凶暴化しているようだ」


 ウィーナがイットーに警告した。


「よっしゃあ! 上等じゃねーか!」


 イットーは双剣を抜き、足首を踊らすと、鎧の各所から魔力を推進剤として噴出し、前方の魔物の群れへと滑走した。


 イットーは飛びかかる二匹のサーベルウルフを、左右に持つそれぞれの剣で二匹同時に切り裂いた。


 サーベルウルフ達が地面に倒れると、そのままイットーは背後に構える冥界リザードとエッジマンティスをすれ違いざまに切り捨てる。滑るように弧を描いてホバー走行する姿はまるで舞っているかのようである。


「イィィィヤッホオオオウ!」


 イットーが魔物の返り血で白い鎧を染め上げ、甲高い咆哮を上げた。


 残りはリザード二匹、マンティス一匹。リザードがイットーに飛びかかる。イットーは素早くターンして回避、加速して左右ジグザグにスライドし敵を撹乱する。そして、リザード達が戸惑った隙をついて双剣を振るい、二匹を真っ二つに切断した。


 最後のエッジマンティスはウィーナに襲い掛かっていた。ウィーナは剣を抜き、エッジマンティスを一撃でなぎ倒した。


 魔物は全滅した。


 新たな敵は間髪置かずに出現した。


 青白く光りを放つ、どこぞの部族らしい民族衣装に身を包んだ戦士達が剣を構えて現れたのだ。


 間違いなくジョブゼが遭遇した悪霊達であろう。


「貴様ら……。連合の兵士だな……」


 悪霊の一人が言った。


「はあ? 連合?」


 イットーが首をかしげる。


「我らは……この地を守る……。連合の好きにはさせぬ……」


 恨みがましい口調で、悪霊達はつぶやくように言った。


 それを聞いたイットーが笑いを噴出させた。


「所詮は血迷った悪霊。さあウィーナ様、こいつらをやっちゃって下さい! お願いしまーす!」


 言われるまでもない。ウィーナは剣を持った右手を降ろし、左手を頭上にかざした。


 軽く念じると、イットーを含んだ周囲の悪霊達――数にして十三人――は一瞬にして透き通る結界に拘束された。


「ええええっ! ちょ、ちょ、ちょ、ウィーナ様、俺まで結界張られてるんですけど?」


 イットーが顔を引きつらせてわめいた。構わずウィーナは頭上に掲げた手を伸ばしたまま、静かに腕を正面に突き出して、ゆっくりと力強く握りしめる。


「う、うううっ!」


「ぬううっ! 族長!」


「どうしたというのだ、この……心地よさは……」


「ひゃああー! ウィーナ様ああ!」


 悪霊達はそれぞれ狼狽の声を絞り出し、結界の収縮と共に自らの輪郭をおぼろげにぼかしていく。そして、彼ら悪霊の体は少しずつ、霧のように音もなく霧散していく。


 イットーの結界だけは収縮せずそのままにしておいた。実はウィーナは、イットーをからかうためにわざと彼も結界に包んだのである。


「あああ……」


「大地の……風を感じる……」


 悪霊達は安堵の表情を浮かべながら、眠るように結界と共に消滅していった。


「ひゃあああー! 俺はまだ成仏したくねえええっ!」


 イットーだけはびびりまくった様子で叫んでいた。


 周囲に悪霊はいなくなった。ウィーナはイットーの包まれた結界に顔を近づけて、パニックになっているイットーをじっと見つめていた。


 そんなウィーナに気付いて、ようやくイットーは我に返る。


「あ、あれ、ウィーナ様、敵は倒したんですか?」


「倒したのではない。冥界に来てなおも憎しみに縛られる哀れな魂を浄化させ、安らかな眠りにつかせたのだ」


「そ、そうですか……。っていうかウィーナ様、何で俺までこんなことになってるんでしょうか?」


 イットーが結界の内壁に両手を当て、泣きそうな顔で語りかけた。


 ウィーナが結界を見つめ念じると、結界は一瞬で消え去り、イットーは自由の身となる。


「お前を敵から守るために結界を張ってやったのだ」


 本当はふざけて少し意地悪をしてみたのだが、ウィーナは適当にデタラメな回答をした。語尾に若干笑いが混ざってしまった。


「ええっ……!?」


 イットーが明らかに釈然としないといった表情で首をかしげた。


「人は窮地に陥ったとき、その本性が現れる。お前が窮地に陥ったときにどういう態度を取るのか見ることができた」


 そう言いながら、ウィーナはイットーの頬の左右をつまみ、引っ張った。


「フガガ! ほうなんれふか? ふいまへん!」


 ウィーナはイットーの頬から手を離し、先に続く道を見据えた。


「これで終わりなのでしょうか?」


 イットーが言う。


「いや、今のは雑魚だ。親玉は奥にいる。行くぞ」


「はい」


 二人は森を更に奥へ歩いていった。

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