4話:私達の恋のキューピッドは

「やあ、まこちゃん。その後どうだね例の彼女とは」


「あ?んだよまた来たの…か…?」


 ある日のこと。いつものように鬱陶しい奴が来たなとうんざりして顔を上げると、そこに居たのは彼女ではなく、男子生徒だった。いや、違う。スカートを穿いている。


「なんだよ。ぽかんとして。…まさか髪切ったくらいで幼馴染の私が認識できなくなったわけじゃないよね?」


 彼—いや、彼女は、海菜の声で苦笑いしながら言う。しばらく顔を見つめて、彼女が鈴木海菜その人であるとようやく理解できた。人は、髪型を変えただけでこうも印象が変わるのか。


「お、お前…髪切ったらまじで性別迷子だな…」


「でも、この方が私らしいでしょう?」


「いや…うん…恐ろしく似合ってる…けど、なんで急に?ばっさり行き過ぎだろ。ずっと伸ばしてたくせに」


「私の髪の毛は過去と共にばっさり葬られたのだよ」


「あぁ?」


「まぁ、つまり、失恋したから切ったというわけだ」


「はぁ!?失恋!?お前が!?」


「叶うと思ってくれていたの?ありがとう。けど、私の恋が叶ったら代わりに君が失恋してたんだよ?」


「あぁ?どういう意味だよ」


「…放課後、時間くれない?君と二人で話したい」


 俺の疑問には答えずに、唐突に真面目な空気を醸し出す彼女に戸惑ってしまう。


「えっ、な、何?何の話?」


「ふふ。告白だよ」


「あぁ!?」


「…冗談だよ。間に受けないでくれる?」


 冷めた目をして舌打ちをする彼女。なんなんだその態度は。勘違いさせるようなことを言ったのはそっちのくせに。


「まぁとにかく、放課後、私、待ってるから。一緒に帰ろうね」


 冷めた顔から一変してパッと笑顔になり、彼女は言う。しかしその笑顔はすぐにスッと消えて冷たい表情に戻る。


「無視しても家までついて行くから」


 今日はやけにコロコロと表情が変わる。まるで多重人格だ。


「お、おう…」


 なんだろう。訳がわからないが、様子がおかしいことだけは伝わった。彼女が居なくなると「お前何したんだよ」と友人に怯えるような様子で聞かれたが、俺にもわからない。心当たりなんていくら探しても見つからなかった。

 見つかるはずも無かった。俺は彼女のことを何一つ分かっていなかったのだから。





 そして、その日の放課後。校門前に人だかりができていた。


「えっ!?王子めちゃくちゃイケメンになってる!なに!?」


「あはは。ちょっと、イメチェンしてみました」


「そっちの方が絶対良いよ!」


「でも、髪短くなったらガチで王子になったね」


「その辺の男子よりイケメン過ぎて彼氏できなさそう」


「それなら大丈夫ですよ」


 囲まれているのは海菜だ。周りより頭ひとつ抜けてデカイから人に囲まれていてもすぐに分かる。彼女は俺に気付くと柔らかく笑って手を振った。そして「待ってたよハニー」と言う。彼女を囲んでいた女子達が俺と彼女を見比べてまさかという顔をする。


「誰がハニーだ。勘違いさせるようなこと言うんじゃねぇよ…」


「あははー。そう怒らないでよハニー」


「お前なぁ…言っておくけど、俺とこいつは付き合ってないからな!」


「ふふ。君が好きなのはみぃちゃんだもんね。…分かってるよ」


 そう笑うが、目は笑っていないように見える。やはり彼女は俺に怒っているのだろうか。


「…まこちゃん、二股かけてんの?」


「いや、どっちとも付き合ってねぇから。てか…お前どうした?今日ちょっと様子おかしくないか?」


「…来て、まこちゃん」


「お、おう」


「先輩達、また明日ね。私これからまこちゃんとデートなんで」


「デートって言うなって…」


 俺の手を引き、取り巻きを振り切って校門を出る彼女。やはり様子がおかしい。

 物凄い力で握られている手が痛くて仕方ない。


「お、おい…海菜…なんか…苛ついてる?」


「…そう見えちゃう?」


「そうとしか見えねぇよ…俺何かした?」


「…何もしてないよ。…誰も悪くない」


「じゃあ何」


 公園に着くと、ようやく彼女の足が止まる。振り返った彼女は泣いていた。

 珍しい顔に言葉を失ってしまう。彼女の泣き顔を見たのは幼少期以来だった。


「…言ったじゃん…失恋したって…いくら私でも昨日の今日じゃ立ち直れないよ」


「そう…か…悪い」


「…構わないよ。私の恋は叶わないって、分かってたんだ。自覚した時から、ずっと。は私をだけを見てはくれないって」


「そう…か…。…ん?」


 聞き間違いでなければ、海菜は今、彼女と言った。


「…彼女?」


 思わず聞き返してしまうと、彼女はふっと力無く笑って「みぃちゃんのことだよ」と言う。


「は…?みぃちゃん…って…」


 彼女がみぃちゃんと呼ぶのは一人だけだ。俺の好きなあの子だけ。

 彼女はよく俺を揶揄う。だけど今回ばかりは本気だと分かる。その俺を妬むような冷たい視線も、涙も、演技には見えない。それが演技なら物凄い才能だ。


「空美のこと…好きなのか…」


「…そうだよ。だから私はずっと、君が羨ましくて、妬ましくて、憎かった。今も、妬みを必死に、必死に抑えて君と話しているんだ。抑えないと、君に殴りかかってしまいそうだから」


「な、なんで…俺が…」


「…はぁ…本当に鈍いね。みぃちゃんが君のこと好きだからに決まってんじゃん」


「空美が…俺のこと…」


 じゃあ、つまり、空美の好きな人は俺で、俺は空美が好きで、それってつまり両想い…。


「あ、ちなみにみぃちゃんには伝えておいたよ。まこちゃんがみぃちゃんのこと好きだって」


 けろっとして放たれた彼女の一言で思考が停止する。

 処理が追いついていない頭に、彼女はさらにたたみかけた。


「昨日、告白したときについでに」


「は…はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 彼女に対する同情が一瞬にして消え去る。告白した時についでにってなんだよ。なんで、なんで勝手に…


「いいじゃない。どうせいずれは告白するつもりだったんでしょ?」


「い、いいわけないだろ!なに勝手なことしてんだよ!」


 へらへら笑う彼女に思わず掴みかかってしまうが、彼女は一変して氷のような視線を俺に向けた。その視線が突き刺さり、気圧されて思わず手を離す。


「…いいじゃない。両想いなんだから。…付き合いたかったんでしょ。…早く付き合いなよ。早く連れ去ってよ。彼女を。私の手の届かないところまで」


 冷たい目で俺を見下ろしたまま、ぽつりぽつりと彼女は呟く。そして、俺の方に倒れ込んできて俺の肩に頭を置いた。


「ねぇ…私が告白したら彼女…なんて言ったと思う?」


「…なんて言われたんだ?」


「『私はまこちゃんが好きなんだ。きっと、うみちゃんが従姉妹じゃなくても、同性じゃなくても、この想いは変わらなかったと思う』ってさ。…君みたいなののどこが良いんだろう…私にはわかんないよ…」


 俺の肩でぽつりぽつりと呟く彼女。空美がそう言ったのだろうか。本当にそんなことを?


「ねぇ…ここまで言われてもまだ告白するの怖い?どうしたら…どうしたら付き合ってくれる?どうしたら私の邪な恋心を粉々に砕いてくれるの?ねぇ…まこちゃん…」


「海菜…」


 彼女は、一体いつからこんな想いを抱えていたのだろうか。俺は全く知らなかった。海菜の想いも、空美の想いも。

 俺の肩に頭を埋めたままの彼女の背中に腕を回す。


「…まこちゃん…誤解されるよ」


「…空美が好きなんだろ。お前は。…女が好きなんだろ」


「…そうだよ。君にこんなことされたって惚れたりしない。でも君は、異性愛者でしょう?」


「…お前のことを女としてみたことなんかねぇよ。…俺はずっと、空美しか見てなかった」


「…キモいなぁ…」


「うっせぇよ。大人しく慰められてろ」


 海菜がずっと俺に対して早く告白しろと煽っていた理由がようやく分かった。終わらせたかったのだろう。叶うことのない不毛な恋を。諦める理由が欲しかったのだろう。そうでもしないと諦め切れないほどに彼女のことが好きなのだろう。

 それなのに俺はフラれたらどうしようなんて、自分のことしか考えていなかった。同じように彼女を好きな人の気持ちなんて、考えていなかった。


「…ごめんな。海菜」


「ありがとうって言えよ…余計に惨めになんだろ…」


「…ごめん。…ありがとう。…今から、告白してくる」


「…私のこと信じちゃうんだ?全部嘘かもよ。本当はみぃちゃんの好きな人は、君じゃないかもよ。君を惨めにさせるために、期待させるような嘘ついてるかもしれないよ」


 冷たく笑って、彼女は言う。


「…俺の知ってる海菜は人を貶めることはしない」


「ははっ。何も知らなかったくせによく言う」


「…うん。何も知らなかったよ。お前がそこまで悩んでるなんて、全く気づかなかった。それはすごく反省してる。…だけど…だからこそ、俺はお前を信じたい。罪滅ぼしのつもりじゃないけど…」


「…ああそう。ならさっさとフラれてこいよ。バーカ」


 そう言って彼女は俺を突き放し、冷たい表情のままふっと鼻で笑った。

 背を向け「ありがとう」と一言伝えて空美の家に向かって走る。「彼女を泣かせたら社会的に殺す。死ぬより辛い苦しみを味合わせてやる」という物騒な低い呟きは聞こえないふりをして。

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