35. 翔子と樹洞

「翔子君、大丈夫か?」


「は、はい、大丈夫です」


 心拍数が少し上がってるけど思考回路は正常。

 チョコも熊の方を警戒しつつ近づいてきた。


「良かった。すいません、本来なら私が一番最初に気づくべきなのに」


「いや、私も油断していた。もう少し様子を見てから進んでいれば、壁を挟んで対峙できたはずだ」


 そう悔しそうに話す智沙さん。

 油断してたのは、私もチョコもなので反省しないとだよね……


「それで、そいつは『もう死んでいる』と言っていたが、どういうことか教えてもらえるか?」


「あ、はい。わかりやすく言うと、ゾンビとかそういう感じです」


 チョコが言ったセリフなのでチョコが説明。

 一度死んでしまったが、何らかの理由——大抵は怨みとかだけど——で動いてる死体。

 智沙さんもゾンビは知っているようで、その説明だけでおおよそ理解はしてくれた模様。


「ふむ。では、今は『完全に死んだ』のか?」


「はい。気配感知の魔法で意思を伴う魔素を感知できますが、今このあたりには私たちしかいません」


 アンデッドなら間違いなく気配感知で察することができる。それがとても不快を伴う感知だから。

 そして、それが全くないということは、そこのレッドアーマーベアは不死から逃れることができたんだろう。


「わかった。では、改めて向こう側の通路に注意しつつ進もう」


「「はい」」


 智沙さんが警棒を縮めてホルスターにしまうと、双眼鏡に持ち替える。

 少し先を歩くチョコがブラッドホーネットの死骸を見てげっそりしている。


「焼き払いたい」


「我慢しなさい」


 気持ちはわかる、私だし。

 ただ、神樹と呼ばれているもののそばで火を使うのはどうなの? チョコもそう思っているから口に出しただけだろうけど。


「まるで食べ終わったリンゴの芯みたいだね」


 神樹の枝にぶら下がっていた蜂の巣。全長三メートルはあったはずだが、徹甲弾で削がれまくって、今は一メートルほどの残骸がぶら下がっているだけだ。

 足元には削がれた破片が飛び散っていて、そこには当然蜂の子もいるわけだけど、跡形もなく消し飛んでいる模様。衝撃波とかのせい?


「向こうの通路は……ひとまず問題はなさそうだな。その先が下への階段となっているようだが、あの熊は下の階から来たのか……」


 智沙さんが双眼鏡を覗いてそう報告してくれる。

 この階の通路は明るいので奥まで見通せてるみたいだけど、地図の通りなら、その先が階段となっているはずなので、おそらくその通りなんだろう。

 あの熊、上にいた熊に会いたかったんだろうか……


「さて、この巣の残りも地面に落としておきたいが、樹を傷つけずにできるか?」


「それなら私が。天空の白銀」


 槍持ち遊撃の天空タイプに換装したチョコ。ああ、なるほど、そういうことね。


「智沙さん、驚かないでくださいね」


「む?」


 その次の瞬間、チョコの背中に白銀の翼が生える。


「なっ!?」


 慣れてきたとはいえ、これには驚くよね。

 天空の白銀は翼人よくじん族の女性なんだけど、それを実装したらこうなりましたって感じなのかな。

 翼で一扇ぎしてふわっと浮き上がったチョコが、巣と枝の接続部分に槍を突き刺してこじると、残っていた巣の残骸はあっさりと地面に落ちた。


「巣を壊さずに持ち帰れてたらお金になったかな?」


「ああ、商売繁盛の縁起物なんだっけ」


 降りてきたチョコが翼を収納したところで智沙さんが再起動した模様。


「今のも魔法なのか?」


「まあ、そうですね」


 チョコ自体が魔導人形っていう魔導具なんだし、変形は魔法のうちということで。

 それにしても……


「すごい大きさだよね。さすがだな神樹って感じ」


「縄文杉って樹齢五千年とかだっけ? それぐらいあるよね」


 幹の直径が十メートルはある大樹。何の樹なのかは不明。というか、こっちの世界にある樹には見えないんだけど。


「翔子、こっちこっち」


「ん? どうしたの?」


「この樹洞うろ、かなり深いっぽいよ」


 しゃがみ込んだチョコが指さす先に、バレーボールが通るぐらいの樹洞うろが空いている。

 ん? この先っていったい……


「まさか?」


「そうそれ」


「智沙さん、ちょっと相談があるんですが……」


 この樹洞うろの中がどうなってるか確認したい。

 けど、手を突っ込んで、その先だけ次元の狭間に飛んでいってしまうとかは……怖すぎる。

 建設会社ならこういう狭いところを探るカメラ、内視鏡のようなものを持ってるんじゃないかと。


「なるほど。本社の耐震部署にあるはずだ。戻ったら手配をしておこう」


「「やった!」」


 チョコとパチンとハイタッチ。

 残念ながら人が通れるような大きさではないけど、これが次元の壁を突破できてるようなら、ゼルムさんたちやイケメン兄弟が向こうの世界に無事帰れる算段がつくかもしれない。


「じゃ、今日はここで終わり?」


「かな? 向こうの階段まで見ておきます?」


「そうだな。さすがにもう熊はいないだろうし、階段までを確認して終わりにしよう」


 そう言って向こう側へと進み始める智沙さんをチョコが追い越して行く。

 私も遅れないように、と思ったところでふと気になって振り返る。何度見ても威厳がある樹だけど、半分になってるのは見てて気の毒になる。


「ちょっと待って」


 銃を地面に置いてから、二礼二拍手一礼。なんか違う気もするけど、敬う気持ちがあれば通じる気がする。明日ちょっと失礼なことをするかもしれないし。

 そう思っていたら、チョコと智沙さんも同じように二礼二拍手一礼していた。


「注連縄をあつらえたいところだが、向こうとは違うのだろうな」


「戻ったらゼルムさんあたりに詳しいことを聞いてみます?」


「ふむ、そうだな」


 向こうの神様のことはほとんど調べてない。蔵書部屋にある本を全部読めてはいないし、そもそもその手の本はほとんど無かった。

 チョコの慈愛タイプもそこがネックになってて神聖魔法は発動できないまま。ローブは私が今も有効活用させてもらってるけど。


「こっちの通路も半分になってる感じだね」


 チョコがコンコンと壁を叩く。その壁の向こう側があちらの世界なんだろうけど、音とか届いてないよね? というか、この壁を掘ったらどうなるんだろ?


「これが次の階への階段か」


 通路をまっすぐ行って左側。次元の壁とは反対向きに階段がついている。もともとこういう感じの接続だったっぽい?

 それにしても、暗くて不気味な感じのする階段……


「照明の非常用装置も無いね」


「ふむ」


 智沙さんがバックパックからLEDランタンを取り出して点けると、眩い光が奥を照らしてくれる。

 どうやら途中に踊り場があるようで、そこまでは見えるが、その先はまた左へと曲がっているようだ。


「私が先に」


 そう言ってランタンを借りたチョコが慎重に階段を降りていく。

 足元に明かりがないと怖いので、私たちも間を空けずについていくことにする。

 が……


「チョコ、戻ろう。悪寒がやばい……」


「同感だ。これはまずい」


「了解」


 チョコがまだ階段下を覗き込んでるけど、特に何かいるわけじゃないよね?


「戻ろう。この先は危険すぎる」

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