第3話:飛べない鳥は太陽に焦がれる


 そう、あの太陽みたいな、君の、金色の、瞳、が――


 ***


 激しい運動ができない病弱体質で、学園の保健室には、毎度お世話になっている身であると言うのに。

「……そーらーをじゆ~うにーと~べたーらな~」

「はい、熱さまシート」

 保健室のベッドでぐったりとしながらも、おのれの願望ともいえる歌を口ずさんでいたアスカの額に、ひんやりとした冷たいシートが貼られる。

「先生~……そこはさー、俺に空飛べる絨毯とか、空飛べる竹とんぼとかを渡してくれるとこじゃない?」

「ごめんねー。先生はランプの青い魔人でもなければ、未来から来た青いロボットでもないからねー」

「俺、今なら飛べる気がする。なんかふわふわする」

「それは熱が上がってきたせいかもしれないねー」

 大人しく寝ていなさい、と苦笑するように言われるがままアスカはうとうとと眠りに落ちる。

 そして夢を見た。

 見覚えのない、けれどもどこか懐かしさを覚える、よくわからない夢。


 ***


 目を覚ましたアスカは、ぽつりと呟いた。

「先生……もしかしたら、俺、前世は鳥だったのかもしれない」

「はいはい、それは良かったね。うん、熱は下がったみたいだ」

 近頃、アスカは、おかしな幻覚に悩まされるようになった。

 自分にしか見えない、触ることのできない花の幻が、ふとした時に視界に現れるのだ。

 そして、よくわからない夢のようなものも見る。

 なにかの病気かもしれないと、いつも通り保健室にお世話になったついでに相談してみたところ、白髪の保健医――ル=ジャルダン・スクレに「それは、幻影花だね」とあっさりした口調で言われた。

 どうも、思春期の生徒によくある現象らしく、今学園内で流行っているらしい。

 原因と見えなくする方法を聞いたところ、なんでも「主に、片思いを拗らせた子に見えるらしい」「幻影花は、“深紅の薔薇”が見えたら、それが最後って噂」との回答を頂いた。

 正直、意味が分からない。

「先生……俺、わりと真面目に相談してるんだけど」

「うん? 私も真面目に答えてるけど」

 傍に控えている保健委員の女子学生に視線を向けてみれば、「嘘ではありません」と肯定される。

 スクレ先生は胡散臭いが、彼女が真面目な保健委員であることは知っているので、ひとまず嘘ではない、と信じることにする。

 しかしながら、片思いと言われても、心当たりは……まったくないとも言い切れないが、それを認めるわけにもいかない、複雑な事情もある。

「ねぇ先生……片思いってさ、……夢オチ、とかもありえるの?」

 ――顔も姿もよくわからない、ただハッキリと覚えているのは、太陽みたいな金色の綺麗な瞳だけ。

「詳しく聞こうか!」

 やや食い気味に、新しいおもちゃを前にした子どもみたいに目をキラキラさせて身を乗り出してきたスクレに、アスカは逆にのけぞった。

「いや、やっぱいい。なんかヤダ」

「いやいや、そう言わずに! ほら、素直に薄情してごらん! 例え君が、現実にいない架空の誰かに恋していようと、私は最後まで笑わずに聞いてあげるよ!」

「全力で断る」

 相談どころか笑い話、いや下手したらいじられる気しかしない。

 卒業まであと一年とはいえ、保健室に来るたびにその話で、この白髪の保健医からいじられ続ける未来が見えた。

 保健室常連のアスカとしては、そんな状況好ましくない。

「……熱下がったから帰る」

「えぇ~残念。言いたくなったら、いつでも聞くから!」

「言わねぇよ!」

 鞄を掴んで保健室を出て行こうとした時、保健委員の女子学生に呼び止められる。

「あの、先輩」

 名前は確か、サクラ・秋乃、だったはず。

「……えっと、裏庭に寄ってみたらいかがですか? そのまま裏門から帰宅できますし、少しは気分転換になるかと思います」

「……裏庭?」

「今ちょうど見ごろなので……あっ、でも無理はしないでください」

 体調がすぐれないようでしたら、まっすぐにお帰り頂いた方がよいかと、と付け足すサクラに便乗するように、スクレが声を上げた。

「あぁ! それはいい! 行ってみる価値はあるよ!」

 二人の言葉を真に受けたわけではないが、ちょっと息抜きをしてから帰ろうとは思っていたところではあるので、アスカは表玄関ではなく裏門を目指して歩いた。

 そう、この学園の裏庭は、ちょっとした庭園になっているのだ。

 学園長の趣味だか、なんだかわからないけれども、どこのお屋敷ですかと言いたくなるような立派な庭園がある。

 裏庭に出たアスカは、目の前の光景に足を止めた。

「あぁ、そういう……」

 花を愛でる趣味はないが、今ちょうど時期だという、大輪の薔薇の咲きぶりは、確かに見事といえた。

 咲き誇る鮮やかな赤に、この学園に在籍して三年目になるが、思わず目を奪われた。

 だが、それよりも、花よりも、目が釘付けになったのは、その花の“色”だ。

 真っ赤な薔薇。

「……こんな感じの薔薇の幻が見えれば、終わりってか」

 そう呟くアスカの視界に、ひらりと黄色い花びらが舞い降りてきた。

 また、始まった。

 名前の分からない黄色の花が、薔薇園を眺める視界に乱入してくる。

 これは幻だ。

 触れられない、幻の花だ。

「おい、ここでかよ……」

 なにがきっかけだ、とアスカは考える。

 今回対象は人ではない、この薔薇園か、この赤い薔薇が何だっていうんだ。

 幻の黄色い花が、視界にちらつく。

 直後、目の前に咲き乱れる現実の薔薇の、鮮やかな赤色に、眩暈を覚えた。

 ズキリ、と胸の奥に痛みが走る。

「くっそ……なんだこれ」

 風に流れてきた、むせかえるような薔薇の香りにクラクラする。

 現実の花と幻の花が、アスカの視界を惑わす。


 急に、呼吸の仕方がわからなくなった。


 まずい、いつもの発作だ。

 息の仕方を忘れたかのように、急に上手く息が吸えなくなる。

 吸っても吸っても、全然酸素が入ってこない。

 苦しい。

 今までどうやって呼吸していたんだっけ。

 息ができない。

 陸に上がった魚の気持ちが、今ならわかるかもしれないと、酸欠の頭で現実逃避をする。

 ふいに、脳裏をよぎる知らない映像。

 見たことない、知らないはずの光景なのに、知っているような懐かしいような気持ちの悪い感覚。

 そして。

 あの太陽みたいな金色の綺麗な瞳が、今にも泣きそうに歪んでいる。

 ――キミは、誰なんだ。

 息苦しさに、思わず膝をついた時、そっと背中を撫でられた。

「……大丈夫?」

 清んだ透明な声音が、耳に届いた。

 これが大丈夫なようにみえるのか、と脂汗をにじませながらも、視線だけ巡らせると青い瞳と目があった。

 空の色だ、と頭の片隅で思う。

 少女の色素の薄い長い髪が、風に揺れる。

 こんな子、学園にいたっけか、とぼんやり考える。

 少なくとも、クラスメイトではないのは確実だ。

 どこの誰だか知らない少女に、構わなくていいからと、呼吸の途切れ途切れに訴えたが、彼女はフルリと首を横にふる。

 名前も知らない彼女は、咳が落ち着くまで優しく背を撫でてくれた。

 知り合いに見られていなくてよかったと思う。

 この状況は、だいぶ恥ずかしい。

「……ありがとう、もう、たぶん大丈夫」

 彼女の小さな手に背を撫でられていると、不思議と呼吸が楽になってきた気がした。

 アスカは、この少女を知らない。

 知らないはずなのに、何故か初めて会った気がしない、まるで前から知っているような、懐かしい感覚に、眩暈がする。

 もしかしたら、彼女なのか。

 刹那、脳裏にチラつく、赤い、炎、が、――

「……ごめんなさい」

 声をかけられ、ハッと我に返った。

 その声が少女のものだと理解するのに、少し時間がかかった。

 突然謝られる理由がわからなかった。

「……貴方が探している人は、私じゃない」

 続いた少女の言葉に、一瞬心を読まれたのかと思ってしまった。

 いやでも、少女の言葉の通りだ。

 違う、彼女ではない、彼女の瞳は空色だ。

 時折、アスカの脳裏をよぎる〝誰か″の瞳の色は、空色じゃなくて――太陽のような金色の瞳だ。

「君は、俺を知ってる……?」

 言葉にしてから、いや初対面だわ、と冷静になった頭が訴える。

 下手したらナルシストに取られかねない自意識過剰な発言をした自分が、だいぶ恥ずかしい。


「……アスカ!」


 名前を呼ばれて、顔を上げれば、見慣れた顔が駆け寄ってきた。

 クラスメイトで友人のイブキ・冬理だ。

「どうした? 大丈夫か?」

「……なんとか」

 まだ立てそうになかったので、膝をついたまま片手だけ挙げて見せる。

 近づいてきたトウリは、アスカの傍らに佇む少女をチラリと一瞥してから、淡々とした口調で告げる。

「あとは、俺が付いてるから、いいよ」

 なぜだろう、アスカはトウリの言葉に、小さな棘を感じた。

 少女は何も言わずに、踵を返したので、アスカは慌てて声を上げた。

「あっ、キミ……! ありがとう!」

 少女はペコリとお辞儀をしてから、校舎の方へ戻っていった。

「……あれは番犬付きだからやめとけ」

 いつもより低い声音で呟かれた言葉に顔を上げれば、渋い顔をしたトウリと目が合う。

「知り合いなのか?」

「新入生代表の挨拶やってた女子」

 新一年生だったのか、とアスカは納得する。

 悲しいかな、大事な学校行事関連は大体、保健室で過ごしている。

「おまえ、なんかさっき棘あったよ」

 何か彼女と嫌な思い出でもあるのか、と問いかければ、「やらかした…」という意味不明な呟きと深いため息を返された。

「それより、保健室まで運んでやろうか?」

 追及を避けたいのか、露骨に話題を変えたトウリに、アスカはそれ以上問い詰めるのはやめることにした。

「いや、今まさに保健室から帰るとこなんですわ……」

 さすがにまた保健室に戻るのは憚られた。

「玄関反対だぞ?」

「裏門から帰ろうと思って……そういうトウリは、なんでここに?」

「俺は、今からアトリエに行くとこ」

 さらりと告げられた言葉に、アスカは首をかしげる。

 確かトウリは、もう引退しているが弓道部で美術部ではなかったはずだが。

「アトリエ? 何しに?」

「……後輩と約束があってな」

「うわ~あれか、彼女か、自慢か」

「違ぇよ。勘違いすんな、そんなんじゃない」

 家まで送ってやろうか、と心配顔のトウリの申し出を断り、アスカはアトリエへ向かう友人を見送ってから、一人帰路に着いた。



 ***


 彼が見たその黄色い花びらを持つ、花の名前は、オンシジウム。

 花言葉は――印象的な瞳。



           <飛べない鳥は太陽に焦がれる:終>

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