【裏話】:秘密の花園
これは偏頭痛持ちの女子学生が、保健室に頭痛薬を求めに来た、ある日のこと。
「――っていう感じなんだけどさ。ねぇ先生、これなにかの病気?」
少しだけ不安そうに瞳を揺らした女子学生、コウヨウ・楓の言葉に、白髪の保健医――ル=ジャルダン・スクレはあっさりとした口調で言う。
「それは、幻影花だね」
「げんえいか?」
この言葉を聞いた大抵の生徒は同じような反応をするので、もはや慣れてしまったスクレはさらりと解説してやる。
「どーも、思春期の生徒によくある現象らしくてねー。今、学園内で流行っているんだよ」
半分嘘で半分は本当。
幻影花が見える生徒には、条件があるが、スクレがそれを口外することはない。
「マジで言ってる? あたしの他にも、なんかこの、花? が見えてる人がいるってこと?」
「いるってこと」
目を丸くする楓に、スクレはへらりと笑って見せる。
スクレとしては人畜無害そうな笑みを心がけているつもりだが、だいたいの生徒に胡散臭いと言われる。
「これ原因はなんなの? 見えなくなる方法とかあんの?」
この質問も大抵の生徒が聞いてくるので、スクレはいつも同じ答えを告げる。
「これはねー……主に、片思いを拗らせた子に見えるらしくてね」
「誰が恋バナしろって言ったよ」
まぁまぁ最後まで聞いて、と楓を宥めながらスクレは続ける。
「この幻影花は、“深紅の薔薇”が見えたら、それが最後って噂だよ」
「噂とか、どーでもいいから。つまりは? すぐには治らないってこと?」
ふざけてんのかてめぇ、とばかりに楓の鋭い眼光がスクレを見上げてくる。
しかし残念ながら凄まれたところで、答えは変わらない。
「う~ん、治るとか、治らないとかいう問題じゃないんだよねー」
「じゃぁ、どういう問題よ?」
それは彼女自身にしかわからない。
彼女の心が求めるモノ。
彼女の魂が知っている、大事なモノ。
「君の想い人は、一体誰だい?」
スクレの静かな問いかけに、一瞬ポカンとした表情になった楓だが、すぐに柳眉を逆立てた。
「……ッ、そんなん、いるわけないでしょっ! いたとしても、先生に教える義理はないしっ! もういいわ、帰るっ!」
鞄をひっつかんで荒々しく保健室を出て行こうとする彼女の背中に、スクレは声をかける。
「おーい、頭痛薬は?」
もともと彼女は、偏頭痛持ちで、その頭痛薬を貰いに来ていたのだ。
保健室に来た本来の目的を思い出したのか、ぴたりと動きを止めた楓が、くるりと振り返る。
それから無言でスクレの手から頭痛薬をひったくるようにして奪い取ると、扉をぴしゃりと閉めて出て行った。
あらら、思春期の女の子の扱いは難しいなー、とスクレは困ったように肩をすくめた。
***
これは、授業中に倒れた男子学生が保健室に担ぎ込まれてきた、ある日のこと。
「実は……何日か前から、花の幻覚みたいなのが、見えてて……」
「――それは、幻影花だね」
「……はい?」
ついに彼にも見えてしまったか、と内心で嘯きつつ、白髪の保健医――ル=ジャルダン・スクレはあっさりと告げる。
おそらく聞きなれない言葉だったのだろう、体調不良で運び込まれてきた男子生徒、リン・春幸が首をかしげる。
この言葉を聞いた大抵の生徒は同じような反応をするので、もはや慣れてしまったスクレはさらりと解説してやる。
「今結構、学園内で流行ってるんだよねー」
「そう、なんですか……」
これは流行るような現象なのか、とばかりに眉を顰めた春幸に、思春期の生徒にはよくあることだよ、と補足してあげる。
流行っているのは本当だが、よくあるというのは嘘だ。
「でね、これ主に、片思いを拗らせた子に見えるらしいんだよね」
「そうですか…………って、え?」
スクレの言葉に、自分は確実に該当しない、と彼の表情が告げてくる。
そうだろうとも、自覚のない生徒はだいたいそう言う。
特に彼の場合は、今までの子とは異なるだろう。
「心当たりはない?」
「ありません」
即答する春幸は、きっと真面目な男子学生なのだろう。
「と、みせかけて実は無自覚だけど、本音は――」
「……スクレ先生。ふざけるのも大概にしてください」
からかうような口調になったスクレを、サクラが止めに入った。
サクラ・秋乃は、保健委員の女子生徒で、ただの一般人である。
彼女が、幻影花を見ることはないただの一般人であるからこそ、スクレは彼女を傍に置いている。
それに彼女はとても真面目な生徒で、スクレの意味深な話はだいたい法螺話として聞き流してくれるところもすごく良い。
サクラはスクレのふざけた対応に慣れているため、彼に代わって春幸へ真面目に問いかける。
「何か、最近変わったことはありませんでしたか?」
「……。特にないです」
「些細なことでも構わないよ」
ニッコリと笑みを浮かべてスクレがつけたす。
スクレとしては人好きのする笑みを心がけているが、だいたいの生徒はそれを胡散臭いという。
顎に手を当ててしばらく考え込んでいた春幸が、ふとどこか遠くを見るような目つきになって呟く。
「……夢を、みます」
その反応もスクレの想定内である。
やはりか、と内心で呟きながら、スクレは続きを促す。
「それが……覚えてなくて」
「まぁ、夢って起きたら忘れちゃうものだしね」
そーすると手がかりはなしか、と呟いたスクレに、春幸が不安そうな表情になった。
「……もしかして、一生見え続けるものだとか?」
「いや、いつかは見えなくなるはずだよ」
不安そうな声に、スクレはあっさりと答えてやる。
スクレの言葉に、春幸はほっと安堵した様子を見せる。
しかし残念ながら、これはそう簡単な話でもないのだ。
「と、言っても、例えば普通の風邪みたいに、薬飲んでどうこうってわけにはいかないのが困りものだよね~」
正直なところ、怖い護衛が目を光らせている彼には、あまり深く踏み込んだことが言えない。
「つまり?」
首をかしげた春幸に、スクレは真剣な表情になって告げる。
「幻影花はね……“深紅の薔薇”が見えたら、それが最後って噂なんだよね」
スクレを見返す春幸の瞳が、ふと遠くを見るように虚ろになる。
「……ぁ」
「……何か見えた?」
そっと尋ねるスクレに、春幸は、花が見える、と答える。
「どんな花だい?」
スクレはじっと春幸を見る。
今この場に、彼は何を見出したのか。
彼の心が求めるモノ。
彼の魂が知っている、大事なモノ。
「……なんだっけ、これ」
瞬きをした春幸の瞳が、スクレを見返す。
それにスクレは、へらりと笑い返した。
「さぁ、それは君にしかわからない」
「スクレ先生」
ちらりと窓を見やったサクラが、スクレに声をかけてくる。
その間に、そろそろ帰ります、と春幸が鞄を手に立ち上がる。
退室際にふと足を止めた彼が、あぁそうだ桔梗だ、と小さく呟いたのを、スクレは聞き逃さなかった。
***
春幸が保健室を退室した後、サクラは窓に歩み寄るとをガラリと開け放った。
「そこにいるのは、わかっていますよ」
サクラが窓の外へ向かって言い放つと、クラスメイトの苦々しげな舌打ちが返ってきた。
「おっと、盗み聞きとはいただけないね、シュンセツくん」
窓の方に視線をやったスクレはへらりと笑う。
彼は、リン・春雪。
サクラのクラスメイトであり、先ほど診察にきた春幸の血のつながらない弟でもある。
そして、スクレのことをよく知っている昔の関係者でもある。
「黙れヤブ医者」
低く呟くと共に舌打ちを返した春雪は、開いた窓から保健室へと侵入した。
おおよそ、兄である春幸の体調を心配して盗み聞きをしていた、といったところだろうが。
スクレは、春雪から要注意人物として警戒されている。
スクレとしてはここではそこまで警戒しなくていい、と何度も弁解してはいるのだが、昔のことを考えれば仕方のないことでもある。
「ハルユキに余計なことをするなよ。したら、ただじゃおかない」
宣言通り目が本気なところが、この子の怖いところ。
「わお、怖ッ。……前にも言ったと思うけど、ここでの僕はただの傍観者だ」
自分は無害だ、とアピールしたいスクレは両手を上げながら、春雪にニッコリと微笑んで見せる。
「で、何の用かな?」
「――“深紅の薔薇”を見たら最後、ね……」
おどけた口調で話しかけたスクレに、春雪はボソボソと低い声音で不愉快そうに呟いた。
「……何故あんな嘘をついた?」
「嘘は言ってないよ?」
春雪の鋭い眼光に睨まれて、スクレはさっと視線をそらす。
サクラは、われ関せずとばかりに保健室内の整理整頓を始めた。
それを恨みがましげに見やるスクレを見下ろして、春雪がため息をつく。
「そうだな。嘘は言ってない。…………ただ、言葉が足りないだけで」
「ふむふむ。経験者は語る、だね」
おどけた調子で言ったスクレを春雪は睨み付けたものの、何も言い返さなかった。
スクレの言葉が、事実であるからだ。
彼も過去、幻影花に悩まされていた経験者だ。
そして、幻影花から解放された、全てを思い出した者でもある。
視線を落としたスクレは、淡々と語る。
「――“幻影花”の根本的な改善法は、未だ見つかっていない。ただし、心から望む想い人に出会えた時“深紅の薔薇”が見えて、それ以来、幻影の花を見ることはなくなる」
一変して真面目な表情になって目を細めたスクレに、春雪が眉間に皺を寄せて舌打ちする。
苛立たしげに睨んでくる春雪を横目に、スクレはクルリと椅子を回転させると、保健室に備え付けてある洗面台に視線をやった。
「ねぇ……君は、彼の想い人に、心当たりはあるかい?」
振り返って静かに問いかけたスクレに、今度は春雪が視線をそらした。
一瞬だけ表情を歪め、苦々しげに吐き捨てる。
「…………そんなの、決まってんでしょう」
そうだろうとも。
彼が、彼であるのなら。
彼の魂が求めるモノは。
彼の心が望むモノは。
彼の想い人は、この世でたった一人しか存在しえない。
***
***
春幸に何かあったらすぐ連絡寄越せ、と言い捨てて出て行こうとした春雪を、スクレはふと呼び止める。
「あー、わかってるとは思うけど、一応言っておくよ。……君が警戒すべきは、僕だけじゃないってこと、頭の片隅にでも置いておいてくれるかな」
そう注意すべきは、スクレの他にも暗躍している者がこの学園にいるということだ。
「……言われるまでもない。俺はあんたを信用してない……今も昔も」
そう低く吐き捨てて、今度こそ春雪は、保健室を出ていく。
睨まれたスクレも、肩をすくめるだけで呼び止めることはしなかった。
「う~ん、シュンセツくんは、ほんとブラコンだなぁ~。サクラくんもそう思わない?」
「黙秘します」
サクラの素っ気ない返答に、スクレはつれないな~といじけてみせる。
しばらくクルクルと事務椅子で回っていたスクレだが、ふと先ほど診察にきた春幸が、退室際に呟いた言葉を思い出した。
「桔梗、か……。ねぇ、サクラくん。君は、桔梗の花言葉を知っているかい?」
唐突なスクレの問いかけに、眉を顰めながらもサクラは小さく首を振る。
「……いえ、そこまで詳しくありません」
サクラの返答に、スクレはどこか遠くを見るような眼差しをしながら、窓の外に見える青空に視線をやって、静かに呟いた。
「桔梗の花言葉はね、……――“変わらぬ心”」
***
「変わらぬ心?」
繰り返したサクラにスクレが頷く。
「変わらぬ愛、といってもいい」
スクレが窓の向こうに見える空へと手を伸ばす。
届かないとわかっていても思わず手を伸ばしたくなる、そんな感覚だろうか。
「僕の推測が正しければ……彼の想い人は、ここにはいないんだよ」
彼、というのが誰を指すのかは言うまでもない、先ほど診察にきた春幸のことで間違いないだろうと、サクラは察した。
「故人、ということですか?」
「いや、……なんて言ったらいいかな。そもそもこの世界にいないと言うべきか」
「存在しない人物だとでも?」
まさか架空の人物に思いを寄せているとでも言いたいのか。
眉を顰めたサクラを見て、スクレが首を横に振る。
「ううん……〝彼女″は、確かに存在した。この世界ではない、“あの世界”で」
そう語るスクレの透き通った瞳は、ここではない、どこか違うところを見つめているかのようで。
サクラは、またいつもの法螺吹きが始まったな、と頭の片隅で思いつつ、顔をしかめるしかない。
「言っている意味がわかりません。もっとわかりやすく話してくださいスクレ先生」
「サクラくんは、自分の“前世”を覚えているかい?」
いつものへらへらしている雰囲気とは違う、何もかもを見通すような静かな眼差しがサクラを見据えた。
唐突な空気の変化にサクラは戸惑う。
「はい? ……そんなもの、覚えているわけないじゃないですか」
「だろうね。普通はそうなんだよ。それが正しい」
「何が言いたいんですか?」
スクレの言いたいことがわからない。
そんなサクラの困惑を理解しているのか、スクレが透明な眼差しのまま小さく微笑んだ。
「僕にはね、前世の記憶があるんだよ。だからね、わかるんだ。今の彼が無意識に求めているのは、前世の彼が愛した、前世の“彼女”なんだろうな、って」
一瞬、サクラは目の前にいるのが誰なのかわからなくなった。
日ごろから脳内花畑な発言をすることは多いが、この白髪の保健医はついに頭がおかしくなったのか。
「とある国の王様が隣国の女帝に恋をした。けれども当時、四つの国同士での戦争が勃発している最中だった。二人が幸せになれる未来など限りなく存在しない世の中だった。結末を言うと、四つの国の内三つは敗北して滅び、終戦間際で彼女は別の国の王に討たれ、その王も彼によって討たれた。残った彼の国が三つの国を吸収する形で国は一つにまとまり、めでたしめでたし」
語り口は軽いものだが、その声音は少しも楽しそうではないし、弧を描いた瞳はまったく笑っていない。
目の前にいる人物が自分の知るスクレではなく、まったくの別人を相手にしているかのような気分に陥ったサクラは戸惑いながら呟く。
「あの……一体何の話をしているんですか?」
「そうだね……これはずっと、ずっと昔の話――僕たちが、“王”だったころの話さ……」
もしも、彼が、私が彼の想い人を討った張本人だと知った時、今の彼は一体どういう行動を起こすだろうか、とスクレが呟く。
それから、スクレはそっと目を閉じると、次の瞬間、明るい口調で告げた。
「――なんてね。冗談だよ、ジョーダン」
そこには、サクラの知るいつもへらへらとしていて頼りない笑みを浮かべた白髪の保健医がいた。
<秘密の花園:終>
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