第2話:楓の葉による石楠花のはなびら

 頭が痛い。

 低気圧の影響か、眼精疲労の影響かなにか知らないが、最近、頭痛がひどくて仕方がない。

 カエデは、こめかみを押さえながら、深いため息をつく。

「……おい、大丈夫か?」

 階段ですれ違い際、クラスメイトの男子学生、リン・春雪がぶっきらぼうに声をかけてきた。

「あ~……大丈夫大丈夫、いつもの片頭痛」

「……保健室で頭痛薬もらえよ」

「そうねーあとで行くわ~」

 お気遣いどーもと軽口をたたきながら、部活があるらしい彼と別れ、カエデは再度ため息を吐く。

 保健室には、頭痛薬をもらいについ最近行ったばかりで、おまけに現在、おかしな幻覚に苛まされているのを相談しにも行ったばかりだった。

「ライラック……」

 今も視界をちらつくのは、確か紫丁香花ともいう、紫色の花。


 花言葉は、思い出。


 遠ざかるリンの背中に重なるように、紫色の花が視界に咲き乱れる。

 なんでこんなものが見えるのか。

 おまけに触れないし、どうやらこの花が見えているのは自分だけのようで。

 なにかの病気かもしれないと、保健室に行って相談したところ、白髪の保健医――ル=ジャルダン・スクレに「それは、幻影花だね」とあっさりした口調で言われた。

 どうも、思春期の生徒によくある現象らしく、今学園内で流行っているらしい。

 原因と見えなくする方法を聞いたところ、なんでも「主に、片思いを拗らせた子に見えるらしい」「幻影花は、“深紅の薔薇”が見えたら、それが最後って噂」との回答を頂いた。

 意味が分からない。

 片思いしている自覚もなければ、拗らせているつもりもない。

 まぁ、他の人には見えない花が見えるってだけで、特に害はない、といえばないのだが。


 ***


 頭が痛い。

 誰もいない放課後の教室に、忘れ物を取りに戻ったカエデは、頭痛が治まるまで一休みしようと自分の席に座った。

 西日が眩しい窓際の席。

 視界にちらつく紫色の花が、こめかみの鈍痛とともに何かを訴えかけてくる。

 頭の奥が痛い。

 不意打ちのように訪れる頭痛、それだけではなく、知らないはずなのに、何故か初めて会った気がしない、前から知っているような、よくわからない懐かしい感覚に陥ることが、時々ある。

 それから、脳裏にチラつく、赤い、炎、が、――


「どうしたの? 何か悩み事?」


 ふいにスッと伸びてきた指先が、ぼんやりしていたカエデの顎を掴んで上向かせた。

「――!」

 見上げた先で、艶っぽく微笑む中性的な顔立ちには見覚えがあった。

 臨時講師であるシャクナゲ・ロード=デンドロンだ。

 常に金色のカナリヤを肩に乗せている、ミステリアスな雰囲気を纏う女講師だ。

 彼女の授業で、喋るカナリヤが教室上空を飛び交うのは一種の名物でもある。

「シャクナゲ、先生」

「できれば、ロード先生って呼んでほしいところね」

 目を瞬かせて呟いたカエデに、シャクナゲは微笑みとともに小首をかしげた。

 カエデは、この講師が嫌いではないが、正直好きでもない。

 強いて言うならば苦手だった。

 何故かと言われれば首を傾げるしかないのだが。

 ただ何となく苦手なのだ。

 極力関わらないようにはしているのだが、学園内では何かとよく遭遇する、というか、絡まれる。

 一体自分に何の用だろうかと思考を巡らせていると、ふいに頬に触れていたシャクナゲの指先がピタリと止まった。

「あらやだ。何この肌質。しっとりスベスベ。どんなスキンケアをしているの?」

 見上げた先で、シャクナゲの眼の色が変わったのがわかった。

 そうだこの先生、女子力高い、めちゃくちゃ美意識高い系の人だった。

 肌触りを確かめるように頬を撫でられる。

「でも、顔色は悪いみたいね。寝不足かしら?」

 目元をなぞるように指で撫でながら、カエデの夕日色の瞳の奥を覗き込むようにシャクナゲが顔を近づけてきた。

 されるがままに、抵抗するのを忘れていたカエデだったが、シャクナゲの顔が目前に近づいてきたのには、さすがに目を瞬かせた。

 先生、顔が近いです。

 戸惑っているのを見かねたのか、シャクナゲの肩に乗ったカナリヤが言葉を発した。

「……ロード。その辺にしておいたらどうですカ。彼女が困っていまス」

「あら、ごめんなさい。つい」

 カナリヤに言われて、すぐさま身を引いたシャクナゲは、名残惜しそうにしながらも手を離した。

 直後、何故かシャクナゲはチラリと窓の外へ視線をやった。

 だが、二階の廊下から見えるは、背の高い銀杏の樹木だけだ。

 枝葉がかすかに揺れているように見えたのは風のせいか、気のせいか。

「……ロード。どうやら長居しないほうがよさそうでス」

 シャクナゲはいつも肩に金色のカナリヤを乗せている。

 授業中も、普段もずっと。

 カナリヤが喋ったくらいでは、この学園の生徒であれば、もはや誰も驚かない。

 自らのことをイヌとかオオカミとか自称する生徒を知っているくらいだ。

 この学園にはそういう、ちょっとおかしな不思議な事柄で溢れかえっている。

 ただ、普段はカタコトで話すカナリヤの話し方が、今日はいつもと違うなと、カエデは気が付いた。

 普段のカナリヤはもっと愛嬌があるというかペットらしいというか、それに比べたら今のこのカナリヤからはなんだか言葉にしがたい不気味さを感じた。

 刹那、ズキリと頭の奥に鈍痛が走る。

「――ッ」

 いつもの頭痛だ。

 ぞくりと寒気が這い上がってくるような感覚とともに、鈍器で殴られたようにこめかみが痛む。

 ピンク色の花びらが、ひらりひらりと視界をちらついた。

「本当に大丈夫? 具合が悪そうよ」

「ピンクの石楠花……」

 偶然にも、目の前の臨時講師と同じ名前の花だ。

「え?」

「――ッ、何でもないです。あの、あたし、帰りますんで」

 鞄を掴んでそそくさと教室から出ていくカエデを、あらそう気を付けてね、とシャクナゲはヒラヒラと手を振りながら見送った。

「ピンクの石楠花、ね……」

 花言葉は確か、と記憶の中の知識を探っていたシャクナゲは、わずかに目を見開いた。


 シャクナゲ、その花言葉は――「警戒」


「あら、まぁ……記憶はない、って話だけど……――心は覚えている、ってことかしら」

 小さく呟かれたシャクナゲの言葉は、すでに退室していたカエデには聞こえなかった。


         <石楠花と楓:終>

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