現象
松長良樹
現象
――世界が発狂しそうな暑い日だった。
熱帯の太陽がそのまま都会に引っ越してきたような真夏だ。
ぼさぼさ頭に無精ひげの男が血相変えて派出所に駆け込んできた。息を切らし、その瞳はまるで魔物でも見たように怯えている。
「大変だ! えらいものを見ちまった!!」
男はかすれた声で大仰にそう叫んだ。
「まあ、落ち着きない」
警官は目で
「どうしたんですか、そんなに慌てて。事故ですか、事件ですか?」
一呼吸おいて男が話し始める。
「そこで私は見てはいけないものを、見てしまったんです!」
「なんですって?」
「とんでもないものですよ」
男は心細そうに周囲を一回みまわした。
「とんでもないものって。いったい何を見たんです?」
警官が僅かに眉をしかめた。
「そこの交差点で、この近所の交差点です」
「交差点でなにがあったんです?」
「人と車がぶつかったんです」
「交通事故ですか?」
「それが、そうじゃないんです。人も車も無傷だったんです」
「なんですか、それは」
「交通事故なんていう、そんな生易しい事じゃないんです!」
「……」
男はそう言うと派出所の黒板から右手でチョークを取った。
「これが人だとしましょう」
今度は黒板消しを左手に取って
「これが車だとして」
男はそう言って、チョークと黒板消しを交差させて見せた。すると信じられないことが起こった。チョークがスーッと黒板消しを貫通してしまったのだ。
「ほら! 見ましたか。やっぱり夢じゃないんだ!」
男は蒼白な唇を噛みしめている。それから暫らくまったく二人は何もしゃべらなくなった。かなり長い沈黙。
しかし警官がゆっくりと立ち上がった時には、顔に異様な笑みが貼り付いていた。
「そんな事どうってことないですよ」
警官は暗い目をしたまま机の上のペンを無造作に床に落としてみせた。
――跳ね返るはずのペンは床にスーッと……
消えた。
了
現象 松長良樹 @yoshiki2020
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