第3話 悪くないんじゃないか
百山に案内されて廊下を歩く篠山は視線を感じていた。それもかなり多い。廊下の曲がり角の先、両側の襖の開いた隙間から赤い般若の目が篠山を追っている。見かける障子の向こう側の影もこちらの気配をうかがっているようにじっとしていた。それから篠山が用を足している時にドアがガタガタッ! と動いたことについては、外で待っていた百山にもわからないらしい。
そしてさっきまでいた和室に戻る。
篠山と百山は座布団に腰を下ろし、
「ふう。……で、なんで百山さんがトイレの場所知ってるの」
「うん、まだ言ってなかったけどね、ここ私の家なんだ」
「いやいやいやいやいや! それはかなり最初に言っとくべきことだと思う! 百山さんも連れてこられたんじゃなかったっけ」
「そう、連れてこられたよ。別の部屋から」
「わかんないって! じゃああの仮面の人は?」
「家族だ」
「むちゃくちゃ恐かったよ! 事情はわからないけどみんな赤い格好だし。じゃあここに閉じ込められてるのは僕だけってこと?」
「いいや、二人ともこの家から出るのは無理だろうと思う。外に結界が張ってあったから、外に出てもまた戻されることになる」
「結界? まじないか何かの」
「そうだ。百山家の家業はあんまり一般的じゃないから変わったことのできる人が多いんだ」
「だいぶ一般的じゃないよね、それ。……で、それでなんで僕らはここに閉じ込められちゃってるんだろう」
「まあ、そうだな。……おそらくは私が学校に行かないからだろう。今日篠山を見た時からだいたい察しはついていたんだけどね」
「ご家族は百山さんを学校に行かせたがっていると」
「そういうことだな」
「……それでなんで一緒に閉じ込めるんだろう。逆のような気もするけど」
「押し入れとかに閉じ込めるお仕置きみたいなものじゃないか」
「なんで僕も一緒!?」
「まあそれは冗談だけど。クラスメイトと一緒の空間に置けば私が学校に行きたくなると考えたのかもしれないな。それか、巻き添えの罪悪感を感じさせるためか」
「なるほどねー」
篠山は襖の方へ顔を向け、
「ちょっとやり方ひどいんじゃないですかねー」
と言ってみた。
すると襖が開いて仮面の人物が姿を見せる。
篠山は「うわっ」と驚き、
「嘘です嘘です! いやあ家族思いだなあ」
と誤魔化してみた。
すると襖が閉じて部屋に平穏が戻る。
篠山がため息をついて向き直ると百山は腕を組んでいた。
「百山さんどうしたの」
「ふーん、家族思いねえ」
「いやいや、ご家族の味方をしたんじゃないよ」
「ああ、怒ってはいないんだ。たしかにそうだなと思って」
*
「あ、そうだ百山さん。ちょっとゲーム進めててくれる?」
コントローラーを百山へ差し出す。
「どうしてだ。正直気乗りがしないんだが」
「今のうちに宿題やっちゃおうと思ってさ。この部屋から出られるかはわかんないけど、やったけど出せませんでした! って言えるようにはしておこうかなと」
「篠山は真面目なんだな」
「ちんけなプライドの致すところにございます」
「それは悪かったよ。わかった。すぐ死ぬかもしれないからちゃんとセーブしておくんだぞ」
「ありがとう」
百山はコントローラーを受け取りゲームを進める。
篠山はテレビに背を向けて座卓に広げた宿題と向き合う。
プレイヤーキャラクターの「アアアァァ!!」という断末魔が、何度も何度も室内に響き渡る。
「百山さん、大丈夫?」
「問題ない大体わかってきた」
「お、おう……」
――アアアァァ!!
――アアアァァ!!
――アアアァァ!!
「百山さん!?」
篠山は振り向く。
百山は体を左右に大きく振りながら夢中で格闘していた。
*
断末魔が収まってきた頃、篠山は宿題を終えて百山の隣で画面を見る。
ちょうど一つのエリアをクリアしたところだった。
「おめでとう」
「このくらいなんてことはない。今ブランクが埋まったところだからな。これからどんどん上達していくことだろう」
「じゃあ本番前に休憩入れよう」
ペットボトルを差し出す。
「ん、悪いな」百山は手を伸ばす。
……が、
「ちょっと待て、その〈飲むビーフストロガノフ〉ってなんだ」
「新発売らしいよ」
「私はそういう挑戦的なのは好まんのだが」
「意外とクセになるかもよ。マズかったら僕がもらうからさ」
「……じゃあ、まあ、一口だけ」
百山は受け取りゴクリと一口。
「どう?」
「…………」
「ん、どうしたの」
百山は立ち上がった。
そして、ダッシュで部屋から出て行った。
残った篠山はポカンとして開いた襖の奥の廊下を見ていた。
が、駆け出す百山の様子を目撃したらしい仮面の人物が廊下に現れ、篠山の方に顔を向ける。そして刀を抜こうとし――
「いやいやさっきのは僕じゃないよ!! なんかジュース飲んだらいきなりどっか行ったんだって!」
じっと篠山を見つめる仮面の人物。固唾を呑む篠山。そこへ百山が額に汗を浮かべながら戻って来る。
「大丈夫だ。篠山は何もしていない」
*
仮面の人物が去ってから百山はゲームを再開する。
「思っていた以上に甘くて脳が混乱したんだ」
「ごめん、チョイスが悪かったね」
「いいんだ。大体どんな相手かわかったから落ち着いたらまた飲むよ」
「百山さんってやっぱり挑戦家なんじゃない」
「興味が湧けばな。でもそんなことは滅多にない。最近はずっとそうだ」
「……学校も?」
「まあ、そうだな。毎日制服を着て外に出ると、行ってまたここに戻るだけだと思うと興味がパッタリなくなる」
プレイヤーキャラクターの断末魔が響く。
「今はここにいるだけになったけどね……」
「そうだな」
百山は「ふっ」と笑う。
「まあ、興味が持てるゲームがあったのが幸いだよね。ソフトは他にもあるから終わったら面白いのを探そう」
「それもいいけどな、篠山、ポテチ」
「え?」
百山が口を開けている。
「手が離せないんだ。頼む」
「お、おう……」
割りばしでポテチを百山の口に運ぶ。
「……なるほど。悪くないんじゃないか、〈焦がしベーコンエッグ風味〉」
「それはよかった」
「よし、じゃあ――」
百山は襖の方へ顔を向け、
「学校、行くことにしたぞ」
襖が開く。仮面の人物がそこに立っていた。
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