魔戦士ウォルター54

 馬蹄が高らかに鳴り響く。空は陽が沈む頃合いだった。馬はウォルターの無茶な要求にも応え、疾駆し続けた。

 夜の帳が降りるとちょうど里の影が見え、ウォルターはもう一息だと馬を励ました。

 東門に辿り着く。番兵は夜の来客に不審さを覚えたようだが、ウォルターの顔を松明で照らして頷いた。

 門が開けられ、ウォルターは馬を下り、手綱を引きながらアスゲルドの家を目指す。

 傭兵達の町だ。酒場は盛り上がっているとは思うが、通りは静かなものだった。出歩くのもほとんど巡回する治安警備兵だけだった。

「ウォルター殿ではないですか!? 出発されたのでは?」

 出会う度に当然、止められ、顔を確認され、そう言われて解放される。仕方の無いことだ。しかし、夜だ。夜分に訪れてアスゲルドは気を悪くはしないだろうか。何せ大切な話だ。

 アスゲルドの家の門番らに面会を頼み、普段なら断るところだがと、前置きされて、ビアンカが出て来た。板金鎧に身を包み、大斧を腰に提げている。彼女も驚いたように目を丸くしていた。

「ビアンカ、夜分にすまん。アスゲルドに頼みがあって来た。会わせてはもらえないだろうか?」

 ウォルターが頼むと、大柄な彼女の隣に、当の本人が現れた。ビアンカよりは背は低いが偉丈夫だ。アスゲルドは笑った。

「よぉ、ウォルター。何だ、馬が合わなかったか?」

「いや、そうじゃない。実は」

「まぁ、中に入れ。酒でもどうだ?」

「ああ」

 アスゲルドに招かれウォルターは家に入る。春になったばかりだ。まだ夜や早朝は冷える。暖炉が煌々と燃えていた。気付かなかったが、天井からシャンデリアが下がり、幾つもの蝋燭の灯りが一室を照らしていた。

 ソファーを勧められ、ウォルターは頷いて腰かける。

 アスゲルドが対座する。

「それで用件は?」

「ああ。ゴブリンがすぐ隣のオーガーの領土を手に入れた」

「ゴブリンがか。先を越されたが奪い返すまでだ。さて、そういうわけではないようだな。本題に入ろう」

 アスゲルドが促した。ワインをグラスに注いでくれたがウォルターは口をつけなかった。

「ゴブリン達はアスゲルド、ここと同盟を結びたいらしい」

「同盟か。久しく聴かない名だな。何か俺達に得があるか?」

 アスゲルドの顔は微笑んでいたが、目は笑っていない。

「有事の際は四百五十のゴブリンの戦士が駆けつける」

 アスゲルドは顔色を変えなかった。

「駄目か?」

 ウォルターはたまらず尋ねた。

「俺達は精鋭だと自負しているが、人数はいない。遠征の際に背後を任せられる軍勢がいるなら心強い」

 ウォルターは今更ながらオーカスの書状を懐から抜いて手渡した。

「拝見する」

 アスゲルドはそう言い封を切って書面を眺めていた。

 おそらく一分だった。

「誠心誠意の籠った文章だ」

 アスゲルドは隣で佇立しているビアンカに渡した。

「素直な子は私は好きだな」

 ビアンカもそう感想を漏らした。

 アスゲルドがニヤリと微笑んだ。

「分かった。お互いの戦力を頼みとしてこの同盟は成立した!」

「ありがたい」

 ウォルターは大きく息を吐いた。

「何だ、緊張したか?」

「するさ。断られたらゴブリンと全面戦争になる」

「なっては困るか?」

 アスゲルドは面白いものを見るような表情で尋ねて来た。

「困る。俺の仲間にはゴブリンがいる」

「狼牙の魔戦士。お前は優しいな」

 アスゲルドは笑い声を上げてワインを勧めた。

「やれやれ」

 ウォルターはついそう漏らしてしまった。やはり緊張していたのだ。必死だったし、念願が叶わなかったらどうしようかと思い悩んでいたところだ。

 ワインを呷る。喉元を甘美な旨味が流れて胃へと回る。

「どうする、ここに泊まるか?」

「いや、厚意はありがたいが、宿を探す。だから」

 と、アスゲルドは手でウォルターを遮った。

「俺も筆を取ろう。誠意には誠意で応じなければな」

 こうしてどうにか今はまだ口約束だが同盟を締結させることに成功し、ウォルターは厩舎へ馬を預け、宿へ向かっていた。

 だが、その移動の最中、不審な音色を聴いた。例えるなら風を切る音色だ。そして軽やかに着地する音。見上げると、満月の下、家屋の屋根に数人の影があった。アスゲルドの家へと向かっているようにも思える。

「おい」

 ウォルターが声を掛けると、そいつらは慌ててこちらを振り返り、跳び下りて来た。

 人数は九人。これで全員だろうか。

「お前ら、ここの仲間じゃないな。アスゲルドをやりに来たか」

 刃が掠める。

「良い答えだ」

 ウォルターはニヤリと笑った。

 四方八方から刃が襲う。

 ウォルターは避けながら斧を引き抜いて、薙ぎ払う。

 三人の刺客の得物を持った手が黒い鮮血の影と共に夜を舞う。

 ウォルターは目を瞑り、静寂の中に身を置いた。沈黙の中、か細い呼吸の音が幾つも聴こえる。

 と、殺気を感じ、目を見開き斧を振り下ろした。

 一人目の刺客を脳天から真っ二つにし、もう一人の胴を分断した。

 残った刺客達は頷き合い、立ち去ろうと動いたが、ウォルターはその中に飛び込み、斧を振るった。

 たちまち六人の刺客が胴を寸断されて、残る一人の手を握り、引き寄せ頭突きを見舞った。そしてよろめくそいつの頬を斧の平で打った。刺客は倒れた。

 さて、また用事が出来ちまったな。

 ちょうどいいところに治安警備兵が現れた。

 ウォルターが事情を知らせると、気絶した生き残りを拘束した。

 アスゲルドの館をそのまま再び訪ねると、彼は部下から事情を聴き、頷いた。

「こうも容易く侵入されるとは」

 さすがのアスゲルドも苦い顔をしていた。引き渡した刺客は黒い覆面をしていた。

「申し訳ございません」

 警備兵が謝罪する。

「ウォルターが居合わせてくれて助かった。貸しにしといてくれ」

「お前から貸しを取るだなんて思わない」

 ウォルターが言うとアスゲルドはかぶりを振った。

「これは俺と里の住人全ての名誉に関わることだ。お前はそれを救ってくれた」

「まぁ、アタシとアスゲルドがいればどうにかなったかもしれないけど、そういうこと」

 ビアンカも同意する。

「分かった」

 ウォルターは従った。そしてアスゲルドの家から出た。

 この屈強な住人達のいる町を窺う奴もいるのか。だとすれば、相当な馬鹿だ。ビアンカの言う通り、彼女とアスゲルドなら十人程度の刺客などうにでもできた。

 貸しか。

 これは大きいな。いつか返してもらう時は俺にとってどんな時だろうか。また困窮しているときか。

 今のところ大きな貸しを返してもらう予定は無かった。

 アスゲルドの家からビアンカの尋問する声が聴こえていた。門番二人も不安げに家を振り返り委縮している様子だ。

 後は彼らの仕事だ。ウォルターは再び宿へと歩んで行った。

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