魔戦士ウォルター29

 闇夜をウォルターは駆けた。

 ギャトレイの馬車が東に行ったと信じたい。一番新鮮と思われる轍がそちら方面へ伸びていた。後は複数の足跡も。

 無事でいてくれよ、ギャトレイ!

 ウォルターは追跡を開始した。

 と、言ってもひたすら街道を駆けるだけだ。ギャトレイの馬車と出会えるまで。

 呼吸が荒くなる。胸が苦しい。肺は耐えず多くの空気を求めている。

 駆けに駆けたウォルターは、放浪の旅で鍛えられた足よりも、胸の方が悲鳴を上げ始めた。それでも常人を上回る持久力だ。朝日が昇り、泥水だらけの街道を照らし出す。

 いた。

 馬車が見えた。

 その前に一人が得物を振るい、オーガーどもを寄せ付けようとしない。

「ギャトレイ!」

 ウォルターは更に駆けた。

「うおおおっ!」

 斧を振り上げ、こちらに気付いたオーガーの頭に渾身の一撃を振り下ろした。

 脳髄が割れ、首元まで縦に裂けて斃れた。

「ウォルターか!?」

 ギャトレイが長剣を振るいオーガーを押し返してこちらを見る。

「正直これまでかと思っていたところだ。よく来てくれた!」

「ああ、間に合った!」

 オーガーが狙いを変えてウォルターに近づく。ウォルターは斧を薙いで頑健な首をどうにか半ばまで断った。

 オーガーは残り少ない命を激痛にもだえ苦しみながら沈んでいった。

 ギャトレイが一人の腕を分断し、剣を胸に突き立てた。

 残るオーガーはギャトレイ、ウォルターと交互に見た後、ウォルターに組しやすいと決めたようで襲い掛かって来た。

「泥濘よ! 我が敵の足を封じよ!」

 ウォルターが命じると、オーガーの足元の泥濘は沼のようになり、相手は沈んでいった。

 頑丈なオーガーを相手にすると言うだけで腕はもう使い物にならないほど震え、強張り、あるいは力が入らなかった。

 魔術の底無し沼が固まるのを見届けると、ウォルターとギャトレイはようやく再会の挨拶を交わした。

「逃げても良かったんだぜ」

「それじゃあ、番犬の意味がないぜ。とにかくよく間に合ってくれた、ウォルター!」

 ウォルターが言うとギャトレイは応じた。

 普段は狼牙と渾名で呼ぶが、ギャトレイはこの時ばかりは嬉しかったようで名前の方で呼んでいた。

「ああ。お前こそ、よく持ち堪えてくれた」

 二人は頷き合う。

「さて、どうしたものか。戻ってもオーガーが占拠した里だ」

「それなんだが」

 ウォルターの脳裏に大鍋の姿が過ぎる。オークが買ってくれた。

「戻りたいんだな、狼牙?」

「何故そう思う?」

 ウォルターが問いに問うとホブゴブリンの傭兵はニヤリとウインクした。

「鍋を買ってくれたオークに義理立てしてるんだろう?」

「まぁ、そんなところだ」

 ウォルターは頷いた。

 ギャトレイは腕組みした。

「しかし、どちらかは動けんぞ。ここで馬車を護らなきゃならん。お前が命じれば、俺はオーガーを討ちにも、ここに残ることもどちらでもしよう」

 ウォルターは初めから決めていた。魔術を使える自分の方が大勢を相手にするには有利だと。

 なので、荷馬車に近づくと常備していた魔力の回復薬の瓶を開けて腰のポーチに一本差した。

「気を付けて行けよ」

「ああ。しばらく頼む」

 ウォルターは馬車から馬を一頭選ぶと御者台からロープを解いて、鞍を乗せた。

 そして馬腹を蹴ってもと来た道を帰って行く。

 すれ違う旅人はいない。

 オーガーが現れたことに気付き、慌てて引き返したはずだ。

 朝から駆け正午過ぎにオークのものだった里に着いた。

 茂みに馬を隠し、ウォルターは堂々と正面から入った。

 見張りはいなかった。

 だが、大勢のオーガーがそこにはいた。

 オーガーは破壊の限りを尽くす生き物だ。味方となれば死を恐れない猛獣を手に入れたものだが、そう手懐けるのも難しい。なのでよほどのことでもない限りオーガーという種族に近寄る者はいなかった。

「エクスプロージョン!」

 ウォルターは魔術を放った。

 前方で火炎が爆発した。

 一瞬で燃え尽き灰となって同胞達の頭に降り注ぐ。

 ウォルターに気付いたオーガーは咆哮を上げてこちらへ駆けて来た。

 オークがいない上に視界も利く、思う存分魔術を放てる。

「エクスプロージョン! エクスプロージョン!」

 次々大地が炸裂し、炎が舞う。黒焦げの焼死体のにおいが風に乗って来た。

 ウォルターは瓶薬に口をつけてポーチに戻す。

 残るオーガーは十人前後。

 今でも肉薄している最中だ。

「大地よ、生え揃え! 竜の牙の如く!」

 ウォルターの足元から地面が隆起し尖った柱が駆けて行き、広がる。

 それらがオーガー達を片っ端から貫いた。

 終わった。

 これは復讐だ。

 ウォルターは歩んで行く。

 一人、身体を貫かれながらも生きているオーガーがいた。

 たてがみ、額から生えた二本の角。凶暴な顔つき。

「コロセ」

 オーガーが言った。

 ウォルターは斧を振り上げ、止まった。

 オーガーはこちらから目を放さない。最期まで憎い仇の姿を目に焼き付けようというのだろうか。

「ドウシタ、コロセ」

 流暢とは言えない共通語がウォルターの胸に突き刺さる。

 この世界は殺し殺され、奪い奪われ、強者が勝ち、敗者が負ける。そんな世界だ。俺は鍋を買ってくれたオークに義理立てしたが、純粋に結論を言えば少数で暮らしていたオークに敗因があった。戦場の勇オークだけに油断なのかはもはや分からない。

 俺はこいつを殺して何を得る?

 勝者となって何を得る?

 ウォルターは気を静めた。

 すると隆起していた大地が尖った先端から崩れていった。

「俺の復讐は終わった。あとは一人で何とかするんだな」

 ウォルターはそう言うとオーガーに背を向けた。

 結局、私怨で動いたに過ぎない。勝者となりたかったわけでもない。あとは残されたオーガーが自分達の行いを悔いてくれれば満足だが、そこまでは期待していなかった。

 焼け焦げた肉のにおいが支配する里を出て、彼は馬に跨った。

 すると、オーガーの咆哮が轟いた。

 悲しみなのだろうか。俺が屠った同士達を思い、悲しみと悔しさの涙を流しているのだろうか。

 何故だろうか、ウォルターは己の行いを後悔しているのを感じた。

 弱肉強食の世界に情を持ち込んだ俺はそうとうな愚か者だ。

 オーガーが強く、オークが弱かった。それだけだ。

 情に流され、手に入れたものはなんだ?

 見ろ、灰となった死体の山と、同胞の死を悲しみ嘆く一人のオーガーだけだ。

 人間で魔術という類稀なる素質を得たために、傲慢になっていたのかもしれない。

 もはや、終わったことだ。

 これを糧に今後を生きて行けば良い。

 そうして馬を走らせたのだった。

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