魔戦士ウォルター6

 二本の角を額から生やし、たてがみを振り乱しながら、追って来るのはオーガーだ。

 もうウォルターを除いて悲鳴すら聴こえない。

 だが、追うのだオーガーは。最後の一人でも逃がさない。それが奴らだ。

 オークと並ぶ戦闘民族の化身である奴らの里に攻め入ったは良いものの、人間はあまりにも非力過ぎた。死んだ里長も三倍以上の兵力を近隣から募ったが、血がたぎったオーガーは一人で十人を相手取る。

 オーガーの里を侵すことがいかに愚かな所業であったか、ウォルター自身も改めて思い知った。三倍であり、尚且つ五十人ほどの傭兵出身者がいたことについ軽くなった財布のためにと思い、腰を上げたのが間違いだった。

 魔法は使い過ぎた。瓶薬ももう無い。空になった瓶を持ち帰るほどの余裕すらない。

 俺はどこまで駆ければ良い?

 街道を外れて木々の並ぶ森が見えてきた。

 あそこで隠れてやり過ごすしか道はない。

 一抹の思いを賭けてウォルターは森へ森へと駆け込んだ。

 顔に当たる茂みを揺らし未だに駆けに駆け、ついに脚が悲鳴を上げた。

 魔術で速度を上げたが、それでもオーガー達の健脚の前では心許ないものだった。

 一つの大木の陰に身を隠し、荒れる呼吸をどうにか抑えようとした。

 すぐに幾つもの粗雑に草葉を鳴らす音が聴こえてきた。

 斧を握り締め、それでももう立てなかった。

「いたか!?」

「森のにおいと混ざってよく分からん」

「探せ、我らオーガーを蹂躙しようとした愚か者がどうなるか、最後の一人にまで思い知らせてくれる」

 オーガー達の声と茂みを揺らす音が静まった森の中に響き渡る。

 小鳥すら鳴いていない。秋の虫も、小憎らしい蚊すら飛んでいないようだった。

 相手は何人だ。

 音を聞き分けようと耳を傾ける。

 五人か?

 やってやれないことはない。

 俺は狼牙の魔戦士だ。

 魔術は使えるだろうが最後の一発だ。それも相当力を振り絞らなければならない。撃てば気絶するだろうか。

 悲壮な覚悟を決めてウォルターは這うようにして動き出した。

「足跡があるぞ!」

 オーガーの声がし、ウォルターは再び覚悟を決めた。

 窮鼠猫を噛むともいう。愚か者の意地を見せてやる。

 側の木に掴まり立ち上がろうとした時だった。

 突然、オーガー達が悲鳴を上げた。

「何だお前は!?」

 それが追っ手の最後の言葉になったようだ。

 森は静かになった。

 しかし、安心しては出て行けない。

 あのオーガー達に何があったのだろうか。奴らを凌駕する力を持った何者かがここにいる。

 ウォルターは息をか細くしながら、全身に伝わって来る心臓の鼓動を聴いていた。

 緊張している。

 森へ目を向ける。何処も彼処も木々と枝葉、草藪に閉ざされている。自分が入って来た道さえ分からない。

 その時だった。

 上から顔が下りてきた。

 ウォルターは度肝を抜かれた。

 黄色い中にある縦長の瞳孔がウォルターを見据えていた。

「ちっ!」

 訳が分からなかったがウォルターは斧を振ろうとした。

 だが、首は上へ引っ込み斧は空を斬った。

 それは一瞬だった、とてつもない力でウォルターは木を背にし縛り上げられていた。

「ガアアアッ!」

 このままだと腕が折れて、次は肺と心臓が潰れるだろう。

「お前から血のにおいがしない。なのに何故、血を纏った者達に追われていた?」

 野太い声が話しかける。少しだけ締め付けが緩んだ。

 今だとばかりにウォルターは抜け出そうとしたが、再びキツく縛り上げられた。

 それは蛇だった。蛇の胴体がウォルターを締め付けているのだ。

「抜け目のない奴よ。ずっとお前を見ていたが、かなり疲弊しているようだな。先ほどの一撃も力が入っていはいなかった」

「お前は誰だ?」

 ウォルターは呻きながら尋ねた。

「我が名はワイアーム。森の主だ。次はお前が答える番だ人間」

「ウォルター」

 締め付けが緩んだが、ウォルターはもう抜け出そうとは思わなかった。

 オーガーを斃した相手だ。それに相手の言う通り疲労が濃い。脚に至ってはもうしばらくは立てないほどだ。

「人間のウォルター、お前は何故追われていた?」

 顔が右側から回り込んで来た。

「他の人間どもと連中の里を攻めたんだよ」

 ウォルターの手から斧が滑り落ちた。

「ほほう、オーガーに勝てるつもりでいたとは無謀な」

「そうだな」

「逃げてくるほどだ。言わずとも敵の恐ろしさを知ったようだな」

「ああ」

「だが、不思議なことがある。あのオーガーどもからは血のにおいがした。だが、お前からはしない。お前は干戈を交えずただ逃げて来ただけか?」

「見くびるなよ」

 ウォルターは半ば捨て鉢になって大蛇、ワイアームに向かって言った。

「では何故だ? その武器には汚れが無い。染み付いた古い血のにおいは感じるが、真新しい血のにおいは一切無い。ここへ逃げて来る前までどうやって奴らと戦ったのだ?」

「魔術さ」

「マジュツ?」

 この賢しい蛇は魔術を知らないらしい。

 ウォルターは良い取引を思いついた。

「見てみたいか?」

「マジュツというものをか?」

「ああ、そうだ」

 ワイアームはこちらを凝視したまま応じた。

「見せてみよ」

「だったら、魔術を見せたら、俺を解放するか?」

「解放? 許すということか?」

「許すだと? 俺がお前に何かしたか?」

「平和な我が森に血なまぐさい者どもを連れ込んだ。お前がエルフでなくとも聴こえないだろう、森の住人達の声が」

 ウォルターが黙しているとワイアームは言った。

「良いだろう、マジュツと引き換えにお前の罪を許す」

「その言葉、忘れるなよ」

 ウォルターは炎をイメージした。

 森の主の前で森を焼く行為は無謀かもしれない。だが、マジュツとしての印象は強烈だろう。ウォルターは一か八かの賭けに出た。

「緩めてくれ。誓って俺は逃げない、森の主よ」

「その言葉、一人の男として信じよう」

 蛇の胴が緩まり、上の方へ上がって行く。

 ウォルターは思わず見上げた。

 蛇の様だが蛇では無い。木に巻き付く胴体にコウモリの様な両翼がついていた。

 これがワイアーム。

 ウォルターは、最後の力を振り絞り、炎をイメージし、手を向けた。

「エクスプロージョン!」

 天地が鳴動し正面の草木は燃え尽き、木々は吹き飛び炎に包まれながら圧し折れた。

「これがマジュツ。なるほど、これならオーガーどもを相手にしようと気が大きくなるのも無理はない」

 燃え盛る木々を見つつワイアームが言った。

「約束だ。解放してもらえるな」

「良いだろう、許す。木漏れ日に蝶が泳ぐ後を追いかけて行けばここから出られる」

「そうかい」

「さらばだ、人間のウォルターよ。マジュツを使いし者よ」

 ワイアームはスルスルと上の枝葉を揺らして去って行った。

 途端に立ち眩みが襲いウォルターは倒れそうになった。

 だが、オーガーもここに俺が逃げ込んだことを知っているかもしれない。さっさと出るべきだ。

 周囲を見回すと、白い蝶が一匹、ヒラヒラと目の前に揺らいでいた。

 ウォルターは斧を拾い上げ、疲労困憊の身体に鞭を打ち、蝶を見続けた。

 蝶はユラユラと羽ばたきながらウォルターを誘う。

 その先に木漏れ日の道があった。

 どうやら命拾いしたようだ。

 ウォルターは安堵し、ヨロヨロと歩み出したのであった。

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