化け物バックパッカー、かまくらに食べられる。

オロボ46

かまくらは大きな口を開けて待っている。雪を堪能する者を口にするために。


 積もった雪を踏みしめる音が、地面を伝わる。


 遠くで誰かが歩いているのだ。建物も何もない、このだだっ広い雪原の上を。


 もしも吹雪が吹いていたのなら、その人物は遭難をしていたのだろう。


 もっとも、空は曇っているものの、雪は落ちてくる気配はしない。


 どちらにしても、関係はない。


 雪の上に寝転がっていた化け物は、笑みを浮かべた。






 その足音を立てるのは、黒いブーツだった。


 まるでスナック菓子をむさぼるような、テンポのいい足音が静かな空間をバックに音楽を奏でる。

 そのブーツを履く持ち主は、黒いローブを見に包んでおり、背中には黒いバックパックが背負われている。顔はフードによって見えないが、それ以外の防寒着は見当たらない。マフラーどころか、長いツメを生やした黒い手に手袋すらはめられていなかった。


 何歩か歩いたところで、ローブの人物は歩みを止め、辺りを見渡した。

 後ろから遅れてやって来る人影以外に、誰かの気配はない。


 それを確認すると、ローブの人物はその場でブーツを脱ぎ始めた。


 影のように黒い素足が、雪の上に降り立つ。


 足の裏から感じる冷たさを感じるように、ローブの人物は空を見上げたかと思うと、重心を前に倒す。




 体は雪という名の雲に落ちていき、水しぶきのように雪が舞い上がる。




 十字架のポーズで、ローブの人物は雪に埋もれた。




「普通の人間なら、後でしもやけに悩まされるところだな。“タビアゲハ”」


 聞こえてきた声に対して、ローブの人物は顔をあげ、後ろを振り返る。


 そこには、同じようなバックパックを背負った老人が立っていた。幼い子供を相手にしているかのようなほほ笑みをしているが、その顔は怖い。

 黄色いダウンコートを見に包み、頭はショッキングピンクのニットキャップ、首元には派手なサイケデリック柄のマフラーが巻かれ、青色の手袋を手にはめている。


 老人はローブの人物に向かって、手を自分の頭から目元まで下げる動作をする。


 “タビアゲハ”と呼ばれたローブの人物はマネをするように頭に手を置き、頭のフードが下りていることに気づくまで、彼女は触覚を出し入れしていた。


 長めのウルフカットの髪形に影のように黒い肌を持つ彼女。その青い触覚は、本来は眼球が収められるべき位置から生えていた。まぶたを閉じると引っ込み、開けると出てくる。化け物だ。


 ローブの化け物は老人の言いたいことを理解して、フードを被る。

「ツイ、飛ビ込ミタクナッチャッテ……」

 老人に対して親しそうに声をかけ、ローブについた白い雪をはたき落とす。その声は奇妙であるが、どこか幼い少女のような笑みを浮かべていた。

 

「“坂春サカハル”サン、シモヤケッテ……ナニ?」

「指先などが寒さで腫れることだ」

「ソレッテ、痛イ?」

「ああ、すごいひりひりする。俺も小さいころは手袋を付けることを面倒くさがってそのまま外に出て、帰ってくる度に後悔していたな」


 “坂春”と呼ばれた老人はタビアゲハの側に近寄ると、地面の雪を両手ですくい上げ、それを握り始めた。

「ソレッテ……雪玉ヲ作ッテイルノ?」

「ああ、昔のことを思い出したら、無償に作りたくなってな」

 しっかり雪玉を固めていく坂春を見て、タビアゲハはマネをするように雪玉をすくって固める。


 出来上がった握り拳ぐらいの大きさの雪玉を右手に乗せ、坂春はひげをさすった。

「さて、この雪玉でなにをするか……」

「コレヲ大キクシテ、雪ダルマヲ作ル?」

「いや、大量に作って雪合戦をするのも捨てがたい」

「ドッチガイイカナ……トリアエズ、イッパイ作ッテカラ考エル?」

 出来上がった雪玉を地面に置くタビアゲハに対して、「そうだな」と坂春は次の雪玉を作り始めた。




 しばらくして、大量に作られた雪玉を放置したまま、ふたりは雪だるま作りに没頭し始めた。


「ふう……ふう……俺の年齢を考えたら、こっちのほうがまだマシかもな」

 大玉に成長した雪玉に手を置きながら、坂春は白い息を空へ飛ばす。

「坂春サン、コノグライノ大キサデイイ?」

 坂春の大玉よりも2割小さい大玉を転がしてきたタビアゲハに、坂春は「ああ、さっそく乗せてくれ」と答え、大きく背伸びをする。


 タビアゲハは手元の大玉を持ち上げ、坂春の大玉の上に乗せる。


 そしてふたりは近くで見つけた小石で目、口、ボタンを埋め、木の枝でハナを埋めた。


「まあ、だいたいはこんなものか」

 出来上がった裸の雪だるまに対して、坂春はうなずく。

「タシカ、雪ダルマニモ帽子トカ付ケテイルノヲ見タコトアルケド……ナンダカモッタイナイヨネ」

「まあな。俺たちは旅をしているから、戻ってくる必要はない。それに……」


 坂春は空を見上げた。


 雲の隙間から、オレンジ色の夕焼けがのぞき込んでいる。


「モウコンナ時間……」

「ああ、そろそろ街に戻ろう。暗くなって迷子になるのは避けたい」






 街へと続く道を歩く途中、タビアゲハは道の横に触覚を向けた。


 少し離れたところに、盛り上がった雪山がある。


 その小さな雪山には、大きく開けた口があった。


「あれは、かまくらだな」

 タビアゲハよりも前に進んだ坂春が振り返って説明する。

「カマクラ?」

 立ち止まっていたタビアゲハは、触覚を動かさずにたずねる。

「雪を固めて、そこに空間を空けた……いわば雪で作った家だな。あの中で集まって七輪で餅を焼くイメージがあるが……」


 そのかまくらの中は、ここからではよく見えない。


「坂春サン、先ニ帰ッテテ」

 タビアゲハは道を外れて、かまくらに近づこうとした。

「かまくらの中を見に行くのか? 別にかまわんが、中に人がいないのかよく確かめるんだぞ」

 坂春はタビアゲハの背中を見届けながら、街の方角に進んだ。


 タビアゲハが振り返って、手を上げてうなずいたのを見て、坂春は前を向く。




 タビアゲハはかまくらの中を見て、口を開けた。

「カマクラノ中、想像シテイタノト全然違ウ……」


 そのかまくらの中は、白くて奇麗な口内だった。


 舌は真っ白な舌のような形をしており、


 入り口の縁には、歯のような模様が見える。


「ソレニシテモ、ナンダカポカポカスル……マルデ、体温ヲソノママ感ジテイルヨウナ……」


 タビアゲハがかまくらの中に入った頃、




 入り口から差し込んでいた光が、急に消えた。




「エッ――」




 その直後、地面の雪が真っ二つに割れ、



 タビアゲハは振り返ることもなく、落ちていった。






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