第45話 ラキア金山のホラーな謎老人
「はあ、それにしても白いなあ……」
そして寒い。
「よくもまあこんな高山に金脈を見つけて産業化したよ」
厚着をしてきているとはいえ、何しろ現在のラキア山には今の冬って季節と標高もあって雪が積もっている。
宿のある麓のラキアの町もそれなりに寒いけど少しも積もっていないんだから山ってのは油断ならない場所だよホント。
まだ魔法で暖を取る程には体は冷えていない。けど長時間はキツイ。その時はちょっと休憩がてら火でも起こして温まろう。
セバスさんが別室に下がる前に外出の際はってマフラーと手袋を渡してくれて助かった。……やっぱりあの人俺がここに来るつもりだってわかっていたんだろう。
因みにここはシーハイよりも地域的には寒い北方に位置していて、尚且つ王国的には東端に位置する貴族領の一つでもある。
「きっとこのままだと夏場は草ボーボーになるんだろうなあここ」
少なくとも魔物が退治されない限り次の夏はそうだろう。人の出入りも手入れもないせいで大自然に還ろうとしている、まさに冒険者の冒険心を擽る未開の地やダンジョンのような光景が広がるに違いない。とりわけ未知のダンジョンってのはそういう場所だ。
ただしここは未知のダンジョンじゃなくて人工的に地面に地下道を掘られた鉱山。
あるのは古代の不思議なお宝じゃなく、お宝はお宝でも金脈。トレジャーハントが主目的の冒険者には何の面白味もないだろう。金脈があっても手間を掛けて彫り出して金を取り出す面倒を冒険者たちは好まない。それをやるようになったら最早冒険者の括りじゃなく商売人の類だ。
まあ強い魔物と戦いたいとか、そいつが齎す可能性のあるレア残留物が目的なら、ここの魔物は興味をそそられる対象かもしれない。でも未だに討伐されていないのはこの手の魔物の話はそこらじゅうに転がっているからだ。冒険者たちはどこの討伐依頼を受けるか日々取捨選択を迫られる。受け手が増えれば確率的に討伐可能な強者の割合も増えるから依頼が完遂されるケースが多いけど、ここは未だに完遂されていない。
謎の魔物が想定よりも強いせいかもしれないけど、要はここの討伐依頼はあんま人気がなかったんだろう。
麓から一本太い道があるって言っても終始上り坂だし案外長い。気温差もあり上の方は空気も薄く、とても便利の悪い場所でもある。
加えて、東隣の大国との関係が良好じゃないここゴンドラキアは基本的にあまり治安を信用できないとして皆避ける傾向にあるせいだ。
ま、俺は実際に訪れてみてそんなことはないと思ったけどさ。
流言とまではいかなくても評判ってのは時に当てにならない。
まあそれは別として、ほとんど雪の白一色の坑道入口周辺にはトロッコ用線路の他、鉱夫たちの休憩所として使われていたんだろう建物がそのまま残されている。人の気配は皆無だ。
来てみてわかったけど、金山の例の魔物のせいなのか周辺には小物一匹いやしない。
普通は山の中なんて言ったら何かしらの魔物がいる。ここには麓の町ラキアと違って魔物除けの結界もない。けれども雪景色は何の足痕もなくて綺麗なもんだった。野生動物もいないのは彼らだって鋭い生存本能を有しているからだ。
それだけ金山の魔物は強烈な存在なんだろうな。
呑気に魔物が出て来るまで気付かないのは人間くらいのもんだ。
斜面にはもさっと黒緑の葉を茂らせる針葉樹と、葉を全て落として骨組だけみたいになった広葉樹が混在していて、両者とも綺麗に雪化粧中だ。
ゼノニスと一緒にいた奴らの証言によれば、皆はこの暗くて先が見えない坑道からは逃げ出してそこそこ山を下ったらしいから、仮にゼノニスの痕跡があるとすれば中よりも外、下方だろうってわけで、俺はりんごの皮剥きよろしくぐるりと山を回るようにして斜面を少しずつ下ってみようと思い付いてそうした。
ズボズボとはまって足を取られること必至な道なき雪の上なんて歩かずに、マイ剣に乗って雪面スレスレを飛行しながら探索し始めて間もなく、俺は何か得体の知れない視線を感じた。
いや実際は得体の知れない何かの生物ってわけじゃなく、その視線主は間違いなく人間だ。
だってさあ、さっきからずっと木の陰から肩が出たりしていてバレッバレなんだよねー。
相手はきっと隠れているつもりなんだろうけど、下手過ぎる。その手の玄人じゃないのは一目瞭然だ。
でもさ、今まで感じたことのない奇妙な視線なんだよな。ねっとりしているけど殺意とか害意みたいな負の強い感情は全くないと言っていい。少なくとも山賊とかではないと思う。
一体どこから出てきたのか、まるで地面からポッと湧き出たみたいに気付いたら後ろに居た。何の意図があって俺を尾行して見つめているんだろう。子供がこんな所に一人で来るなんて危ないって注意してくるような素振りもない。でも向けられる眼差しには確かな熱意を感じるんだよ。
まあ俺も俺で忙しいし今は様子見だな。
魔法使用の痕跡なり物証なりを探して斜面を回っていくうちに結構入口からは離れてしまった。
もうほぼ入口側とは反対の斜面だ。
まだ夕方の範囲内と言えども空はほとんど暗くなり辺りは闇に呑まれ掛けている。ただ標高が高い分麓よりは日が少しだけ長いからかまだ完全には真っ暗じゃないし、俺は夜目が利くし雪の白さと銀の月も手伝ってまだ明かりを出さなくても良さそうだ。
「うーん、普通逃げる時にこっちまで来るかあ~?」
自分でそうやって始めておいて今更だけど無駄な気がした。
「でも他者が関わっているならこっちにも来るかもだよなあ」
ちょっと内心挫けつつも調査を継続するかと宙の剣を滑らせようとした俺の目が、ここでようやく気になる個所を見つけた。
「洞穴……?」
雪に覆われていて然るべき斜面の一部に、動物の巣なのか自然の洞窟なのか穴が開いているようだった。まだ遠目で詳細はわからないけど妙に気になって近付いていく。
その途中でのことだった。
「こおおおおぉぉぉ……」
とうとう何かに耐え切れなくなったように背後の木陰から奇異な声が発せられた。
同時に、声の振動でなのか偶然なのか近くの針葉樹からドサドサドサと雪が落ちる。不意過ぎてビックリしてうっかりそっちに気を取られそうになったけど、俺は辛うじて注意を逸らさなかった。
ジッと見つめていると木の陰から一つの影がゆらりと姿を現す。
その全容は男性で、老人のような……いやまさに老人だった。
白髪と白髭が伸ばし放題でボーボーで、毛的には山奥の隠者とか古い村の長老みたいな雰囲気を醸している。
けど毛のボサボサに反して体付きはしっかりしていて筋肉質。白っぽいタイトな薄いシャツ一枚だからそれがよくわかる。パッツンパッツンだよ。冬の山には非常識な上半身とは裏腹に足元は本物の動物の毛皮だろうボアブーツで温かそうで、ズボンは風を通しにくそうで丈夫そうな作業用の物だ。
現役で鉱夫やってまーすってニヒルな笑みで言われたら納得できる逞しさだよホント。
え? 何で鉱夫って?
ここが鉱山だからって適当を言ったわけじゃない。
だってさあ、手に大っきなツルハシ持ってるんだよ。
好々爺然とした表情筋に全く似合わず白目は血走っていて、あ、狂気に駆られているのかなーって感じだった。呼吸というか鼻息もめっちゃ荒い。熱気ムンムンなのか思い切り体から湯気だって立ってるし。
夜の雪山の薄着爺さん、ツルハシ添え。
…………絶対百パー危険人物だよなッ!
盗掘者なのか? いやどう見ても違う人種か。むしろどうして盗掘者が出てこなかったあああって叫びたい。もしかして人間と見せかけての新種の魔物? 夕方時って魔物が一番活発になるし、それで出てきたの?
冬場の白い呼気を吐く俺は変な汗を手袋の中に握り、相手は相手でさっきからの白い湯気を立ち昇らせ太い手指にツルハシを握る。
俺たちは、いや俺と見知らぬツルハシ爺さんは、しばし無言で見つめ合った。
誰か教えてくれ。コレはどういう状況ですか?
「こおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ……」
「ひッ」
も、もしかしてあの人、気か何かを発している……?
だから気合の変な声を出している……?
冬山なのに背中にまでじっとりした嫌な汗が滲む。ぎゅっと握る手袋からは今にも手汗が滴りそうな気さえする。
落ち着け俺。こういう時こそ冷静に対処すべきだろ。過去世も含めて数多のおかしな魔物とも戦ってもきただろ。この程度の異様さは初めてじゃないはずだろ。
落ち着け、俺!
「ええと、あのー何か御用で…」
「こおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーッッ」
一際大きく相手が叫んだ。
「……し……こおおおおおおーーーーッ……に……こおおおおおおーーーーッ」
直後、老人は重そうなツルハシを手に実に軽快に地面を蹴って雪を蹴散らし飛び出してきた。
ああ見た目通りに健脚ですね……って、んなことはもうどうでもいいよねッ。ともかく爺さんは俺へと駆けて来る。猛ダッシュで。めちゃ唾を飛ばして何かを叫びながら。
だけど残念ながら俺にはほとんど「こおおおーッ」しか聞こえず、彼が他に何を言っているのかわからなかった。
「え……――え!?」
言葉はともかく、殺意も害意も感じないって?
嘘だろ俺えっ勘が鈍ったにも程がある。あの見事に尖がったツルハシってば残像しか見えない速さでブンブン振り回されてるよ。どう見てもこっちを殺る気マンマンじゃねえかッ。
「ひいいいッ」
冷静な頭で戦ったら多分普通に俺の方が強いとは思う。
けど絶対的に今は俺の方が獲物だった。
有り得ない程の弱者だった。
走る腕で遮二無二ツルハシ振って迫って来る筋肉ジジイに、心がもう太刀打ちできなかった。
時として魔物よりも人間の方が余程怖いって聞くけど、今がまんまそのケースだよ!
「何だあの爺さんマジこえええええええーーーーーーーーッッ!」
ゼノニスの手掛かりどころじゃない。
もしかして金山の魔物ってあの爺さんのことじゃないの!?
ああけど大きさ違うし別物か? どうなんだ!?
剣ごと振り返っていた俺は即座に回れ右をして剣を急発進させる。薄暗い雪山を猛スピードの飛剣魔法で走り抜けていく。逃げるが勝ちって言うだろう?
「こおおおおおおおおおおおおおおおッ」
「ぎゃああああああああああああああッ」
俺は高速飛行、相手は脚力での超疾走。普通に考えて引き離せるはずだった。だけどだけどだけどどうしてあの人追い付いて来てるんだあああッ!
上りも下りも斜面もへったくれもなく縦横無尽に俺は雪山を逃げ回った。爺さんはこれでもかと食らい付いてきた。どうしてこうなったのか皆目わからない。猪突猛進と雪煙さえ上げながら猛追されて恐怖で泣けてくる。最早究極のホラーだよ。
母さん父さん、俺はどう逃げ切ればいい?
凶悪なツルハシの餌食になったらごめん。その時は親不孝をどうか許してほしい……。
俺は涙目で夜空の星に祈った。
「って空あああ!」
山中を低空飛行し続ける必要なんてねえじゃん。こんな単純な逃走路をどうして失念していたのか。俺は溢れる涙と鼻水を拭く余裕もないままに愛剣を急上昇させるとラキア金山から箒星よろしく瞬速で離れたよ。
宿に戻って気分を落ち着かせれば、爺さん一人に何パニクってたんだって反省した。だけどその夜はもうラキア山に行く気にはなれなかった。翌日は翌日でもう伯爵邸に行かないといけないから時間的余裕もない。調査するならまた今度だな。
「はあ、魔物討伐の時は着いたらとっとと坑道に入ろう」
だってもう会いたくない。結局は出店に買いに行く気にもなれず宿に頼んだ夜食を腹に入れて寝る支度を済ませた俺は、そう決めると毛布にぐるぐると包まったのだった。
翌日、俺はゼノニスとしてエキセントリック伯爵家に赴いた。
正直、昨晩はツルハシ爺さんが宿まで追ってくるんじゃないかって心配だったけど杞憂だった。
伯爵家の執事は俺の予想よりは若く見た感じ四十代の男性だ。セバスさんみたいな先代にも仕えたベテラン執事を持つか、当主自身と同年代の執事を持つかは人それぞれ。
その何事にもスマートそうな痩せ形の中年執事に案内されてエキセントリック卿の寝室に向かった。贅を凝らした長く広い絨毯の廊下を歩く間は誰ともすれ違わなかった。
ただ、誰かの嫌な視線はずっと張り付いていた。
無論ツルハシ爺さんのじゃない。もしもここに彼が出たら即刻セバスさんを連れて脱出すると思う。何の因果か昨日から俺は誰かから盗み見られる運命らしい。
加えておくと、視線は別々の場所から複数あった。
セバスさんは気付いているのかいないのかわからないけど、俺はしかとそのしつこい視線たちを受け取ったよ。
ダーリング侯爵の推理は当たっていたな。
ゼノニスが実はこの屋敷のどこかに密かに囚われているのか否かは知らないけど、犯人はこの屋敷に居るって俺も猛烈にそう思う。
まあ今すぐ何かを仕掛けて来る気配はなさげだったから、
「うわ~うわわ~すごいなあ~っ、貴族の屋敷ってすごいなあ~! あのシャンデリアは宝石でできてるんですか? 宝石ってキャンディーみたいで美味しそうですよね~! 食べてみたいなあ~!」
超絶わざと目をきらきらさせて脈絡のない発言を口に、思い切りアホな少年のふりをしてみせた。
見た目の印象だけじゃなく実は名前までそうだったエキセントリック家の執事スマートさんは苦笑していたっけ。
後継ぎがこいつで大丈夫かって思われていそうだ。ハハハごめんな本物のゼノニス!
その後の父子の感動の対面については、俺もある意味涙が出そうになったっけ。
一見、歩く雪だるまか肥えた熊さんみたいなエキセントリック卿は、俺が執事から促されて入った時には蒼白な顔色で静かに息を引き取る間際の人みたいに目を閉じて眠っていた。
しかしだ、俺がベッド脇に寄って案じるように彼の顔を覗き込んだ瞬間、くわっと両目を大きく開けて飛び起きたんだよな。そして抱き付かれた。
あの時はあたかも死人が甦ったあああってな感じで仰天してこっちが飛び上がって昇天しそうになったよ。魂消過ぎて半分泡を噴いた俺に悪ふざけし過ぎたと慌てて謝ってきたっけなあ。ハハハ。お茶目さんめ~。
本当のところ彼は息子の到着を知らされてベッドの上で身を起こして待っていようと思ったらしい。だけどそんな体力がなくて寝たまま待っていた。しかし、何と、俺の姿を見た途端に活力が漲ったとか何とかで高ぶる思いのままに体を動かしたって弁解していた。
その後でお互いに落ち着いて改めて言葉を交わした。
「お前が我が息子ゼノニスなのだな!」
「は、はい!」
「無事で良かった我が息子ゼノニスよーーーー! 私がお前のお父さんだ、親父なのだよ息子よおおおーーーーッッ!」
落ち着いてこれかって思うよ……。俺は聖人の如き寛容な目をした。
「……ッ……ッ、お、親父殿おおおーーーーッッ!」
舞台劇のような大仰なノリに合わせた。
一方ノリじゃなくて本気も本気な彼は五体満足で無事に見つかった幸運な息子を思う存分撫で撫でハグハグした。ハグハグってのは無論断じて噛み噛みじゃない。抱擁のハグだ。まあ正直物理的に顔をしゃぶられるかと危ぶんだくらいの息子への食い付きぶりだったけど、そこは誤解なきよう言及しておくよ。セバスさんも名は体を表すの体現者スマートさんもそこはハッキリ人としてセーフだったって証言してくれるはずだ。
言うなれば猫吸いレベルだったって言って、くれる、はず、だ……くっ……ッ……ッ。
とにかくそんなわけで、俺とデイビス・エキセントリック卿との初対面は前代未聞なくらいに暑苦しく熱苦しく終わった。
俺が失ったものなんて、何もない……。
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