第42話 パン屋内女子バトルは回避できなくていつも凍る

 ダーリング侯爵家の爽やか君は確か俺の一個上だから誕生日が来ていれば十二歳になっているはずだ。別段魔法が優れているとか剣聖の器だとか聞いたことは無いから、そんな普通レベルの子供と戦った所で俺の敵にもならないだろう。勝利は確実。

 なのにどうして決闘を避けているか?

 そんなのは決まっている。


 俺には決闘する理由がない。


 あともう一つ、猛烈に面倒臭い。

 貴族様と平民の俺が決闘だあ~? しかも爽やか君って評判の野郎と戦うなんてこっちに全くメリットがない。貴族の令嬢たちから理不尽にも顰蹙ひんしゅくを買って悪くすれば逆恨みされて俺の平穏が妨害されかねない。そんな羽目になったらどうしてくれるってんだ。ノエルには責任なんて取れないだろ。

 触らぬ神に祟りなしって言うし我関せずで通すのが一番だよなって結論に、果たし状を半ば押し付けられてから早々に俺は辿り着いていた。


 それにさ、受けたら受けたでアイラ姫のお父様、つまりは国王様の目が怖い。


 おいお前は二股なのかって勘違いされて詰問いや拷問されかねない。

 アイラ姫とは付き合っているわけじゃないから二股も何もないし……そもそも将来的に彼女以外の相手を考える気だってない。

 ダーリング家で誤解だったってわかってくれて決闘を取り下げてくれるのが一番いい収拾方法なんだけどなあ。


 でも散々誤解を解こうと手紙を出したのに、爽やか君てばよ……全然ご理解頂けてないようです。


 もう俺の不戦敗で良いですって白旗手紙を送ったこともあったけど、全く一文字も読んでいないかのように早くバトルしようぜ的なやる気満々な返書がきたよ……。

 それでなくとも日取りはいつにするどうするってしつこくて、あんたは結婚式を心待ちにする花嫁かって返信に向かって突っ込んだ日もあったっけ。はあもう誰かどうにかしてくれ。まだノエルみたいにこの店に押しかけて来ないだけマシだけど、案外世間で評判の爽やか君は蓋を開けてみれば厄介なタイプなんじゃないのかって薄ら思っていたりする。まだ顔も知らないってのになあ。

 断りたいのに断れないってホント大変。

 店の繁忙期でとか早朝町内清掃がとか冠婚葬祭だとか体調が悪いとか帰郷するとか何とか言い訳を考えて、なあなあでここまで引き延ばしてこれたから、とりあえずはこれからもそうしていけるだろうし、そうするつもりだ。いつの日か自然消滅してくれると願っている。


 俺に面倒しか運んで来ない女ノエル・エバーだけど、アイラ姫から暗にお引き取り下さい宣言をされて予想通りふんと鼻を鳴らした。


「ふんっ、ああーら、人手がどうとかなんてさも正当な言い訳であたしを追い返そうとしたって無駄よ無駄。知ってるんだから、これまでだってあたしが居た日の方が売り上げはいいじゃない。でしょ、エイド?」


 ノエルからどや顔を向けられて俺はうっとたじろいだ。


「お前どこからそんなうちの店の私的な情報を……」

「エイドのお祖母ちゃんに訊いたのよ」

「ああそう」


 祖母ちゃん、そういう情報を簡単に流さないでくれ……。

 当初は滞在期間内にほぼ連日やってくるこいつを接客の邪魔だから帰れって無理無理店から追い出していたけど、下僕たる俺に無下に扱われたのが気に食わなかったんだろう、どうにかして意地でも居座ってやろうって対抗心からか、いつからか接客まがいのことをするようになった。きっとホテルに呼び付けた家庭教師たちとの勉強がない時間はめちゃ暇なんだろうな~あこの人~。

 因みに話は逸れるけど、一緒に来ているはずのシオンはほとんど図書館に詰めているそうだ。

 話を戻すと、ノエルの奴はまあどうにも追い返せない日に限ってだけど、まるで勝手知ったる自分の店みたいに来店してくれたお客たちにお勧めのパンを紹介していたっけ。外面は良いこいつにころっと騙されたようにして一部のお客たちが沢山パンを買っていってくれていたのは事実だ。

 確かにこいつが居る時と居ない時とじゃ売り上げに若干の差があったんだよ。

 反論できない俺にアイラ姫が責めるような目を向けてくる。もっと強く拒絶しろってことだろう。

 でもさあ、売り上げ云々は抜きにしてもノエルを追い返すのは最近じゃとても骨が折れるんだよ。本音じゃもう放置するかって感じだ。

 けどアイラ姫の手前俺は一応窘めの言葉を口にする。


「ノエル、こっちは仕事してるんだ。ごっこ遊びでやってるんじゃないんだから、邪魔するなって」


 するとノエルは突如両手で顔を覆った。


「酷いじゃないエイド! ロクナ村からやっとまたこっちに出て来れて、それでもずっとはいられないからまた帰らないといけないのよ。一昨日も昨日も今日も折角来てあげたのに素っ気ない態度で、あたしは将来の嫁なのに、あんたってどうしてこう優柔不断な男なのよーっ」


 あああアイラ姫の眼光っアイラ姫の眼光……っ!

 視界の端がドス黒い。俺今彼女の方を絶対振り向けない。


「その話はお前が勝手に言ってるだけだろ! 助けた時に人工呼吸なんてしてねえってお前だってもう知ってるくせにまだ言うのかよ! 村長だってとっくに誤解だって理解してくれたしな。ああそうか、お前がこうやって嫌がらせに触れて回るからダーリング家でも誤解したまんまなんだな。いい加減にしろよ。大体俺のどこが優柔不断なんだよ」

「なっ、エイドは嫌がらせだって思ってるの? そんな……酷い……!」


 ノエルはしゃがみ込んでわっと盛大に泣き出した。正確には泣き真似を始めた。

 はあ、やっぱりまたこの手で来たか。三回に一回はこれをやられるんだよなー。俺にはそれがバレバレだけど、店内客たちはそうじゃない。

 広くもない店内から一気に視線が集まった。

 営業妨害って言葉知ってるのかなこいつ……。


「あー……はいはいはいはいわかったよ。居てもいいから仕事の邪魔だけはするなよ? 俺たちは構ってやってる暇なんてないからな。あと勝手にパン食べるなよ?」

「食べないわよ! ムカつくわね、あたしのこと何だと思って……ッ」

「いって!」


 ノエルはぷんすか怒ってしゃがんだ姿勢のままに俺の脛を平手で叩いてきた。これだから将来の悪女は手に負えない。

 パンのトレーを取り落とさなくてよかったよ。じんじんする皮膚表面の痛みを堪えて溜息をついていると、俺の横を通ってアイラ姫がノエルの傍にしゃがみ込んだ。


「ノエルさん」


 怪訝そうにノエルは乾いた頬を上げた。ほらな嘘泣きだった。


「わたしも店頭に出たいのはやまやまなのですが、今日は厨房作業の方に重点を置いているのです。反対に今日はエイド君が店頭担当なのでベテランですし接客の手は十分足りています。常連のお客さんたちはご自分で商品を選んでいきますし、わざわざ話しかける必要はないと思いますよ」

「ふん、実際あたしがいると売り上げは上がってるじゃない。居た方がいいでしょ」

「ふふ、時々見掛ける子を物珍しく思って皆さん好意的に接してくれているだけですよ。あらあら偉い子ねえ、と」

「何ですって」


 あー俺もその点は否定しない。アイラ姫はここでにっこりと微笑んだ。


「わたし、ノエルさんがわざわざここまで足を運ばなくても安心できるように頑張って腕を上げますから。美味しいパンを作ればそれだけお客さんも満足してリピーターが増えて利益も上がるはずです。それがきっとこの店とエイド君の将来のためにもなりますしね、将来の」


 将来のって部分を妙に強調する。

 ノエルは無言で立ち上がった。アイラ姫もにこにことしたままそれに倣う。そんな王女様へとノエルは腕を組んで威張るように胸を張って目を眇めた。おいおい意地悪子役かよ……。


「ふうーん、まあ店をやっていくにはパン職人は必要不可欠だものね。その時はこのあたしが経営者一族の一人として責任を持って監督してあげるわね」

「パン作りを知らない素人がですか? 部外者には難しいと思いますよ? それ以上に経営者一族になる方が難しいでしょうけれど」


 睥睨と微笑。うわあ表情が好対照だね~。二人が揃う日は大体こんな展開になる。俺はここまで馬が合わないって二人を初めて見たよ。村長が村に来たアイラ姫を歓待したのがそもそもの不仲の原因だろうけど、ノエルはもうアイラ姫の本当の身分を知ったんだし、当時の村長の事情を酌んでも良いはずだよなあ。女子ってのは難しい。今は今でノエルが噛み付くからアイラ姫だってこうも攻撃的になるんだろうしさ。……いつか一周回って仲良くなったりするんだろうか。


「あら案外外から見た方が無駄な部分がわかることって多いのよ。今だって無駄そうに見えるし」

「ふふ、そうですか。内部の人間からすれば外野がどれだけ口を出しても無意味なことってありますよね。今のように」


 依然表情はそのままにバチバチと火花を散らせる二人の横で固まる俺は、内心この上なく戦慄していた。

 祖母ちゃんが奥から仕事を促してくるとか、お客さんの会計とかで中断されてこれまで取っ組み合いの喧嘩には発展しなかったけど、この先はわからない。もうハラハラして見ているの疲れたよ。辟易だ。


 ……ちょっとしばらく遠くに行きたい。


 一人でどこかに修行にでも行って来るかなー。ここ一年シーハイの砂浜がメインじゃ正直足りないから時々密かに別の場所に魔法で飛んで、砂浜の魔物たちよりも上位の魔物を倒したりしていたんだよな。

 そろそろ一度本気で武芸の修行オンリーの期間を設けようかな。朝から晩まで集中して短期間でレベルを上げた方が後々パン作りの方にも時間に余裕を持って取り組めるから都合が良いと思うんだよ。

 現在の目標としては一度目人生の俺の強さまでは行きたい。

 ただ一度の短期集中じゃ無理だから、何回かに分けて修行しには行くと思うけど。

 俺の今の強さは登山にたとえれば、英雄時を頂上とすると七合目近くまでようやく来た感じだ。

 かつての人生から引き継いだ記憶のおかげで鍛練修練のノウハウやお役立ちアイテムや隠れ龍脈なんかを知っているから成長速度は極めて早いと言っていい。せめてあと三月の間に七合目は突破しておきたいところだよ。

 そうは言ってもそこからが難しいんだけどな。

 まあでもいつ旅に出るにせよ。まずは祖母ちゃんに相談しないとだな。

 冒険者みたいな真似をすると、討伐に行って未だ帰らない祖父ちゃんの件もあってやっぱり心配するからさ。


 ……その前にこの女子二人をどうにかする方が先だけど。


 はあ、今日はどうやって宥めようか。

 嗚呼、俺の穏やかな日常はいずこ……なーんてちょっとセンチメンタルに目を閉じた俺の耳に、カラランと入店ベルの音が入った。

 女子二人も気が殺がれたように表情を普通に戻して入口を見やるから、俺は手間が省けたとホッとして遅ればせ入口を振り返る。


 そうして、相好を崩した。


「いらっしゃいませ、セバスさん」


 来店客はもう何度となくダーリング家からの手紙を運んでくれている執事のセバスさんだった。


「ご機嫌麗しゅうございますエイド様」


 丁寧に頭を下げる彼は店内に並んで立つアイラ姫とノエルの姿を見ると「お嬢様方も」と付け加えて会釈した。

 今日も爽やか坊ちゃんからの催促状を運んできたんだろうと俺はそう疑わなかった。


「ええと、彼からの手紙ですよね」


 セバスさんが早速と懐から出した封筒を示すと、彼は何故か困ったように小さく微笑んだ。左右対称の白い口髭が少し持ち上げられる。


「いいえ、それがですねえ、本日のお手紙は旦那様からなのです」

「へ? ダーリング侯爵がわざわざ俺に? ……まさかその侯爵までが俺に決闘の催促をしてきたんですか?」

「ああいえいえその件とは全くの別件です。あなた様にご相談というかお願いしたい件がございまして」


 俺に相談? 侯爵が? 一体何だ?

 ダーリング家と言えば歴史ある由緒正しい侯爵家なんだし、家を維持するための右腕的な人材には事欠かないだろうからきっと特殊な案件だろうな。どんな無理難題を突き付けられるのかと内心で心構えをして封書を受け取ると、俺はその場で開封する。セバスさんの方もそれを望んでいるようだった。


「ええとセバスさん、これは……」


 書面を読み終えた俺は正直困惑しかなかった。


「エイド君、その手紙に何か問題でも?」

「変な顔してどうしたのよ?」


 横からアイラ姫とノエルが遠慮もせずに覗き込んでくる。別に二人に隠すつもりも必要性も感じなかったから俺は彼女たちにも読んでどうぞと手紙を手渡した。セバスさんも何も言って来ないから二人になら教えても大丈夫なんだろう。


「言っとくけど騒ぐなよ。他のお客さんだっているんだから」

「大丈夫です」

「それくらいわかってるわ」


 暗に手紙の内容を不用意に発言しないよう釘を刺せば神妙な面持ちが返ってきた。

 手紙の方はどっちが最初に読むかで取り合いになるかもってちょっと危ぶんだけど、二人はこんな時は息がぴったりにそれぞれが両端を持って一緒に目を落とす。

 その間俺はセバスさんに近寄って確認を込めて口を開いた。声は落とした。


「大体の事情は呑み込めましたけど、バレないですか?」

「エキセントリック卿はまだゼノニス君の顔を知りませんので、一時的に誤魔化す分には平気かと」


 セバスさんも同じように潜めた声で返してくる。


「でも本当に俺で良いんですか?」

「エイド様以外に、知り合いで黒髪に黒目かつ十代前半と言う年頃の少年は思い当たりませんでしたので」

「魔法で色を変えるとかは……?」

「うっかり魔法が切れて途中で偽物とバレるのは得策ではありません。卿本人だけではなく卿のご家族方にもしばらくはゼノニス君として接して頂くので……」

「なるほど。一番重要な点なんですけど、俺の家族や友人たちに害はありませんよね?」

「それはダーリング家の名誉に懸けて何もご迷惑をお掛けしないよう配慮致しますのでご安心ください。とは言え、こちらを信用して頂くほかないのですけれども」

「はは、お任せしますよ」


 まあ当主自らの依頼だし、そこは信用して良いだろう。ダーリング侯爵が責任の所在を他者になすりつけるような外道だとはついぞ聞いたことがないしな。


「いつ頃から始めるんです? もっと詳しい話とか捜索の進捗なんかも聞きたいんですけど。諸々の情報の開示はしてもらえるんですか?」

「ああそれは勿論構いません。開始は早ければ早い方がベストでしょう。何しろ卿のお体の具合が芳しくございませんので。あと十日もつかどうか……」

「え、そんなに悪いんですか!?」


 手紙には病に臥せっているとは書かれていたけどそこまでとは思わなかった。しばし俺は思案すると顔を上げる。


「わかりました。じゃあ明日にでも出発しましょう」

「ほほ。そんなに早くて大丈夫なのですか?」

「「ええっ!?」」


 両の眉をちょっと上げてやんわりと品良く驚くセバスさんとは違って女子二人の表現は大きかった。声も。何だよ二人して耳敏いな、聞いていたのか。


「そんなに急にだなんて、お祖母様のご意向を窺ってからでも……」

「そうよそうよ、あたしがこの街にいるうちくらい店に居なさいよ」


 俺は多少げんなりして二人を見やる。


「人助けなら祖母ちゃんはきっと文句言わないし、先方の病状を鑑みるに動くなら早い方が良さそうだ。だからこそ明日出発する。これは決定事項だ」


 更に何か言い募ろうとした二人へと俺は敢えて深くにこりとしてやった。


「アイラ様、くれぐれも留守番を頼みます。祖母ちゃんも教え甲斐のある生徒ができて毎日とても楽しそうです」

「えっ」

「ノエルも店を手伝ってくれるんだろ? 二言は無いよな? 宜しくな!」

「なっ」

「さてと、今日の仕事はきっちりこなして明日の準備するかあ~。あ、セバスさんどこに集合すればいいですか?」

「こちらにお迎えに上がります。朝早くても宜しいですか?」

「ええ、はい。じゃあ明日」

「はい。エイド様、突然かつ勝手な頼みを受けて下さり誠にありがとうございます。どうぞ宜しくお願い致します」


 いつものように店のパンを買っていってくれたセバスさんを店先で見送った。セバスさんはこれまたいつものように店先から魔法具を使って瞬間移動して帰ったよ。

 女子二人はエキセントリック家の気の毒な窮状を知ってしまったがためにかえって俺を引きとめる意思を固められないようだった。

 まあ、二人には根本的に関係のない事案だし、俺のこの後の役回りを他者に吹聴さえしなければそれでいい。

 俺はその日一日を普通に過ごし、祖母ちゃんからは案の定許可を得て、翌朝何事もなくシーハイを旅立ったってわけだ。

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