第41話 平穏にはまだ遠い人生
世の中には往々にして個人には計り知れない物事がある。
人生の巻き戻しもその一つだ。
エイド・ワーナーという少年はその体験者。
そしてもう一人王女アイラも。とりわけ彼女に至ってはエイドの比ではない。何度も何度も何度も人生を繰り返していてその全ての自覚があるようなのも驚愕と言える。
「しかし難儀な話だね。ループが無限なのか果てがあるのかも知りようもないなんて」
現在エイドと同じくシーハイにいる彼女は、窓から何やら切なる目で夜空を見上げている。そんな彼女を同情的な目で見据える者がいる。
「私も自分を大概と思っていたけれど、あのお姫様も案外闇が深いのかもしれないなあ。何度も人生を繰り返せば嫌でもそうもなるのかねえ」
白髪の青年は遠く離れた場所にいる王女を映し出していた
彼が居る場所は大地の上だ。
――別名、海底という名の。
海の底も一応は大地の一部ではある。彼の周囲は魔法の光のおかげで明るいが、光の届かない場所は真の闇。加えて人が生身では決して潜るのは不可能な過酷と言う言葉さえ温い地獄だ。
青年は生身だが、必要な空気も圧力も自身の空間魔法で難なく維持できていた。
彼は一人でてくてくと海底を歩き、海底のとある休火山を登り切ったところだった。
眼下に突如として沢山の光が広がった。
それは見る者が見ればすぐに魔法の光とわかる。基本的には白光なのだが様々な色合いの光も要所要所に見えていた。光源の列が都市道路の存在を示し、海底の凹凸をそのまま利用した建物からの明かりも彼の視界一杯に無数に広がっている。
――海底都市。
こここそが人類の間では伝説と言われている場所だった。ただの人間がこんな場所までは来られないのだから伝説にもなるだろう。魔法使いにしても並大抵の魔法力ではここまで来る間に自身の生命を維持する魔法が尽きて悲惨な最期を迎えるしかない。
都市の存在を知る限られた魔法使いにしかここの門戸は開かれていないのだ。
青年は、いや姿形こそ青年なだけの男は、高山の頂上に上った登山者が雲海を見下ろすようにしばらく黙って見下ろしていた……かと思えば年寄り臭くはふう、と嘆息した。
「それにしても逆行転生、か。そこはわしが未だに及ばぬ神の領域じゃの。生憎とわしはまだ人生は一度目と言っていいからのう。先々に何が起こるのかなど皆目見当もつかんわな。わかれば便利かも知れんが、わしはループ人生は勘弁じゃな。またこの世界の混沌から始めるのかと思うとうんざりしかせんわ」
この世界で永遠を生きる男は想像しただけで疲れたのか、またもやジジ臭い大きな溜息を吐き出した。痰が絡んだようにうおっほんと咳払いも交える。
「さてと、いつ頃エイドの所に戻るかのう。他の弟子たちの様子も見てやらんとだしのう」
弟子の一人エイド・ワーナーがどこか普通とは違うとは感じていたが、その理由が人生を繰り返していたからとは、あの崖上での戦闘の日まで彼は知らなかった。
自分も大いに秘密を抱えた身で隠し事が沢山あるが、まさか弟子にまでそんな驚くべき隠し事があったとは思いもしなかった。
そして王女アイラまでがその類の存在だとも知って更に驚いた。
ここはつくづく何とも奇妙な世界だと彼は思い可笑しくなってフフフと小さく笑む。
きっと彼らは神の悪戯か気まぐれで他にはない大変な人生を送っているのだろう。
「何とも気の毒な……まあわしもだが。しかし、ともすればあの二人が今度こそわしの望みを叶える鍵になり得るのかもしれんな」
彼は先に言及したように時の巻き戻しの経験は一度もない。
この人生では人の寿命が霞むような長い幾星霜という時を生きてはきたが、いつになるともしれないこの人生が終了すればおそらくはそれまでだろうとも思っている。
逆行転生するなど彼にも未だ手の届かない神の領域で、魔法と呼んでいいのかさえわからない奇跡の所業だ。
そしてその奇跡を突き詰めて行けば、異世界への扉を開くことさえ叶うかもしれない。
彼のこの世界での名はイグノルド・ワルドーというが、しかし本当の世界での名を捨てる気などさらさらないので、こっちに転生してからはほとんどイグノルドの名を使ってこなかった。そもそも名乗りさえしていないので今では誰も彼のどちらの名も知る者はない。
「わしは……私はきっと必ず帰るよ。君の居る世界に……――」
小さく口の中でこの世界での響きではない名を唇に乗せると、彼は静かに目を閉じる。
時間が思い出の風化を招くのか、もうほとんど顔を忘れかけている女性が光の中で口元を微笑ませた。
もしも、今までの幾星霜と生きてきた時間と同じだけ更に必要だろうと、望みを叶えるためなら費やすつもりの彼は、今日も進展を求めて世界を旅する。
その旅の途中にこの海底都市に来たのは弟子のエイドの所に居候中の海龍の件を話すためだった。
海龍一族を追放された海龍ティアマトー。
やんちゃで片付けていいわけではないがかなりのやんちゃをして島と住民を殺しかけた悪龍だ。根は悪い性格ではないが、直情径行の気質があるせいで戦いとなると人が変わったように熱中してしまうのが欠点だ。
そしてティアマトーのせいでイグノルドが必死に記憶を掻き集めて再現して保管していた最愛の女性の肖像画が紛失した。荒波に流されたのだ。
ティアマトーが人命を危機に晒したのは倫理的によろしくないが、彼がティアマトーに激怒した理由は実際の所それだった。
「まあもう時効にしてやったがのう」
そしてそのティアマトーの名誉回復を彼は要望に来た。
眼前の海底都市は海龍の郷なのだ。
そうしておけばこの先エイドが海龍たちからイチャもんをつけられることはないだろう。必要か不必要かはわからないが手を打っておいて損は無い。
これも愛弟子のため。
ひいては自分のためだ。
しかし久しぶりに訪れた海龍の故郷たる海底都市で彼はとても歓迎された。
根本的に外部からの客人が極めて少ない秘境の中の秘境の地とも言える場所だ。
海龍のお歴々たちはそもそもとても退屈していた。新鮮な話し手を欲していたのだ。故に、簡単には帰してなるものかと張り切った。
因みにイグノルドは海底都市の時の流れが地上とは異なるのをすっかり失念していた。
そんなわけで、彼の体感時間では三日三晩、しかし地上ではおよそ一年が経過すると言う彼にとっては少々想定外な海龍の歓待に興じてしまった。
ただ、彼にとっての一年は彼の人生の長さからすれば極めて短いと言える。故に、地上に戻って気付いたものの彼自身もさして気にしなかった。
師匠がどっか行って大体一年経った。
一年、放置された。
まあつまりは、俺は十一歳になっていた。
「うわーん親父殿~っ! 俺怖かったよおおお~っ!」
「おおよしよし我が最愛の可愛い息子よ! ゼノニスよ! 勇んで魔物討伐になど向かわずに、そういうものは専門の冒険者たちに任せておけばいいのだ! そのための資金くらい我がエキセントリック家にはたっぷりとあるのだからこれからはそうするのだぞ」
「だって、だって、俺……領地に魔物が出て領民が苦しんでいるって聞いて居ても立っても居られなかったんだよおおお~っ! 心配掛けてごめんなさい~~~~っ!」
「おお、おお、泣くな息子よ! ゼノニスよ! 無事こうして帰ってきてくれただけでもういいのだ……!」
「親父殿~~~~っ!」
病床にあった父親とそのベッドで抱き合う息子。
俺の目の前では息子の行方不明という報に寝込んでしまった父親と、何日もして無謀な魔物討伐から何とか生還できた息子の感動的な対面劇が繰り広げられている……わけじゃあなかった。
俺の目の前に、その存在自体が異様に濃い父親エキセントリック卿の顔があった。
顔のパーツは濃い方だけど、丸い。とにかく丸い、顔が。
「おお、おお、もっと顔をよく見せておくれ我が息子ゼノニスよおおおーッ!」
ベッドに身を起こしている四十手前の中年男性エキセントリック卿は病に疲れた顔はしていたけど、息子ゼノニスの無事を知って生きてやるって活力が戻ったような目をしていた。ああでもげっそりしていてもやっぱり顔は丸い。
彼の大きな太っちょの熊みたいな体躯も元より少しくらいは小さくなったんだろうか。初対面の俺にはわからない。
彼は黒い目と黒い髪の持ち主で、色彩的な特徴は俺と同じだ。
しかと顔を見ようとする彼へと、俺はもっと目を潤ませて応えてやる。
「はい親父殿~っ!」
思わずと言った風に抱きつくと、向こうも俺の背に肉付きのいい太い両腕を回して感涙に噎ぶ。その様は心から本当に息子の帰還を喜んでいる男のそれだ。
良かったなゼノニスとやら。
あんたの父親はあんたの存在を本当に嬉しく思っているみたいだぞ。
ん? あんたの父親、だなんてどうしてそんな他人みたいな物言いをするのか?
何故なら俺はゼノニスじゃない。
エイド・ワーナーだ。
ワケあって同じ年頃で同じような背格好らしいゼノニスって少年のフリをしている。
つまり俺はゼノニスの偽物ってわけ。
彼の母親から見ても俺はパッと見彼によく似ているらしいし、これぞまさに他人の空似ってやつだ。だからこその抜擢って言っても過言じゃない。
だけどどうして偽息子になったのかって言うのは、エキセントリック卿の病状が思った以上に深刻だったからだ。病は気からってやつで、以前はもりもり健康体だった彼はゼノニスの一件を境に急激に元気をなくし病床に臥してしまったという。
だから精神的に光をってわけで俺は臨時で彼の息子になったんだ。
少なくともその作戦は大成功だ。
卿は俺が案内されて部屋に入った時とは別人のように頬に赤みが差している。初見時はこの人あと三日もつかって感じでほとんど死んでたからな。
とりあえずもう大丈夫だろうってレベルまで回復するまでここに滞在して卿の相手をしつつ、片手間に本物のゼノニスを捜すつもりだ。そうして本物が見つかり次第完全にシーハイに戻る。
全く、ゼノニスの奴は今どこに居るんだよ。
彼が集った仲間と魔物討伐に向かって結局魔物は倒せなかったけど死にもしなかった……とは昨日までの調査でわかっている。
でもその後の足取りが掴めない。
彼の仲間たちは負傷してはいるけど全員無事で、彼らの証言からもゼノニスが無事なのは確実だ。
エキセントリック卿の初恋の女性との間に生まれ、最近までその存在を卿も知らなかったっていうたった一人の彼の息子――ゼノニス・エキセントリック。
ゼノニスは父親が母親を捨てたと思っていて、しかも自分の存在を知って迷惑だと思われていると思い込んでいたらしく、健気にも少しでも手柄を立てて父親の前に立ちたいと魔物討伐に向かったらしい。自らが手柄を立て誇れる息子と思ってもらえることが結果として母親のためにもなると考えたみたいだ。ここに来る前実際に見せてもらった母親への置き手紙にはそう書かれていた。
ゼノニスって奴は母親想いの人間だよなあ。卿を恨んで復讐してやるぜーってんならわかるけど、母親のために認められたいって奮起するなんてさ。
けどさあ、まだ会ってもいない父親から嫌われているって思った根拠は?
今こうして実際に彼の父親に会ってみて、全然そんなことは無かったじゃんって感じたよ。……何か誤解があったんだと思う、何か……。
まあ、エキセントリック家の事情はそんなところだけど、
「ゼノニスーーーーッ! う、うう、うううお前とお母さんには苦労を掛けた。済まなかったあああーーーー!」
「お、親父殿、いいんだよ、もういいんだよ~~~~っ!」
エキセントリック卿のテンションの高いこと高いこと。
正直ずっとこれが続くとなると身がって言うか精神的にもたない気がするよ……。
この後も卿の寝室じゃたっぷりこんな暑苦しいやり取りが続いた。
そもそも、どうしてこうなったのか?
俺はゼノニスにも彼の母親にも勿論エキセントリック卿にも面識はなかった。
今の人生でも逆行前の人生でも。
じゃあどうしてこうなっているのか?
接点のなかった俺と彼らが顔を合わせる展開を齎したのは意外な相手だった。
思い返せばつい三日ほど前の話になる。
――カラランカララン、と今日も港町シーハイのパン屋の入口のベルが鳴った。
「いらっしゃー…」
「エイド、いい加減ダーリング家からの決闘を受けなさいよね!」
今日も同郷の赤毛女子ノエル・エバーが騒々しく扉を開けて駆け込んできた。
全く、あんまり乱暴に開けるなよな。扉に激しく振られて五月蠅くカラランカララン鳴っているベルが可哀想だろ。壊れたらどうしてくれる。
初めに言っておくと、娘命の村長が許可しなかったのでこいつはシーハイには常住していない。
それなのにどうしてここに居るかって?
ロクナ村から定期的にこっちに来てはホテルを借りて一時的に滞在していくんだよ。言うまでもなく父親である村長も一緒だ。
あと、シーハイの公共図書館の方が村のよりも蔵書が豊富だってわけでシオンも一緒に来ている。シオンの知識が増えて造詣が深まれば、その分彼を援助している村長へのリターンも大きくなるって公算だろう。
腰に手を当て詰め寄ってきたノエルへと、俺はあからさまに嫌そうにしてやった。
「何で。受けないよ。先方が勝手に言いがかりみたいなのを付けてきただけだし、大体俺に関係ないじゃん」
「なっ……!」
絶句するノエルは憤りに髪の色と同じくらいに顔を真っ赤にする。
「決闘なんてするお年頃じゃないし、そこまで暇でもない。見てわからないか?」
エプロンを付けて焼き上がったパンを載せたトレーを手に忙しく店内を動き回っていた俺の正論に、ノエルは言葉を詰まらせる。
「だ、だったら滞在中はあたしが手伝ってあげるわよ。そうすれば時間が出来るでしょ!」
「――人手は間に合っています、ノエルさん」
ここで割って入ったのは鈴を転がしたような……って定番の美辞麗句だけど、本当にそんな綺麗な女の子の声だ。
「出たわねアイラ」
そう、何を隠そう、アイラ姫だよ。
彼女は王女って身分を辞めてこの街で暮らすって宣言したけど、やっぱり王家としてもそこはちょっと弊害があるらしく、表向きは外国に留学したって形で落ち着いていた。
だよなあ~。何かやらかしたわけでもない王女様がいきなり王女を辞めたなんて、国の内外から王家で何が起きているって騒がれるよ。
追々無難にそうできるよう整えるみたいだけど、今のところは内々の話ってわけだ。
「おいこらノエル、彼女はお前の一個上なんだしせめてさんを付けろって! 横暴が過ぎると子供だからって大目に見てもらえずに怖い護衛さんたちから海に放り込まれるぞ」
「海!? そっそうなの!?」
ノエルは海に落ちた経験から海がトラウマなのか本気で顔を青くする。
今の季節は冬だし、そうでなくても放り込まれたくはない場所だ。
「ニールたちはそのようなことはしません。面白い冗談ですねエイド君ってば」
俺と同じくエプロン姿のアイラ姫が可笑しそうに目を細めて小さく笑った。いやいや決して冗談じゃないですから。アイラ姫はまだ自身の護衛たちの本性をわかっていないようですねー。
そういえばそのWニールたちはどうやら互いに赤の他人だったみたいだ。どちらも家名がニールだけど、全く血縁はないそうだ。
話を戻すと、ここの所ノエルは毎日のように店に来て居座っていく。
目的は俺への催促だ。
俺は何だかんだでダーリング侯爵家の爽やか坊ちゃんとの決闘を避けていた。先伸ばしにしていたとも言う。
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