第29話 豚に真珠、龍に剣

 ――グワアアアアアアアアアアアアアアオオオオオォォォォォッ!


 近距離だからか死に掛け龍の雄叫びは凄まじかった。

 俺もオーラル兄弟も咄嗟に両手で耳を塞いだけど、きっとそうしなかったら鼓膜が変になってたよ。声の振動が顔にまでピリピリきた。

 地面からバックン攻撃で隊長が思わず放り出したランタンは、そこらに転がったまま硝子部分が大きく破損していて残った燃料が燃えていたけど、龍の大音声はそのある程度の大きさで残っていたガラスさえも更に小さな無数の欠片にして、火も同時に掻き消した。

 俺は暗闇での戦闘は何度も経験しているし暗視魔法も使えるし、夜目だって利く方だから動じないけど、オーラル兄弟は違った。急に光源が消えたせいか狼狽ろうばいして悲鳴染みた声を上げた。


 だよなあ、敵の体高は森の木々くらいあって強面な人相ってか龍相の詳細までは見えずとも、赤く光る眼とか黒く大きな影を見上げるってだけで普通は恐ろしいもんな。


 俺基準で考えたら駄目か。

 まあでも暗いのはもうちょっと耐えてくれ。

 本当ならすぐにでも代わりのランタンを出せるけど、暗闇の中で不用意に火を灯すなんてここに居ますから狙って下さいって言っているも同然だ。

 まず優先すべきは事態の見極め。


「ああでもちょっとまずいかも」


 小さく独り言ちる俺の懸念はロクナ村だ。

 ここから村までの距離と今の龍の声量じゃ、ビックリして飛び起きた村人は少なからずいるだろう。

 そろそろロクナ村周辺の森に張られた魔物除けの結界に入るって位置だけど、果たしてこの死に掛け龍に通用するのかは甚だ疑問だ。不安的中で奴に結界を突破されたら被害は免れない。

 どうなるにせよ、完全に俺の失態だ。

 もっと警戒して然るべきだった。

 魔狼を倒した後、途中から何か得体の知れない追跡の気配があって、俺は薄々それに気付いていたのにどうして村に行こうとしたんだかな。今更ながらに悔やまれる。王国軍を利用して村を護りたいとか言っておいて、一番俺が駄目じゃん……。


 大事な家族を、故郷の皆を、最も厄介な危険に近付けた。


 その危険なお相手さんは一度の大咆哮だけじゃ飽き足らないのか、大きく胸を反らしてもう一度夜空さえ砕きそうに吼える。何かに歓喜してるようにも見えなくもない。

 またもや俺たちは耳を塞ぐしかなかった。これで更に目を覚ました村人が増えただろうな。ホント迷惑な目覚ましだよ。

 どうか誰も様子を見になんて来ないでくれよ?

 龍は上体を反らした反動を利用して、大きな顎を俺に打ち下ろすような勢いで振り下げる。どうせならそのまま地面に激突でもすればいいものを、龍の奴はそこそこの位置で止めた挙句、冥界への入口のように暗いあぎとの奥から黒々とした瘴気しょうきを吐き出した。


「アニキ!」

「大兄者!」

「うわッ」


 咄嗟に自身の周りに浄化魔法を展開した。


 瘴気の相殺には魔法なり聖水なりでの浄化が効果覿面てきめんだ。


 オーラル兄弟は幸い瘴気の影響が届かない俺とは別方向に居たからよかったよ。

 現状じゃあ、二人の身の安全まではどうしたって保証できない。


「俺はいいからとっとと逃げろ! 二人のことまでは護れないっ! あとこのランタンやるから持ってけ!」


 この状況下でもういちいち猫を被る気もなく敬語も取っ払って叫んだ俺は、宣言通りすぐに収納指環から新品のランタンを出して二人の方へと放った。それと同時に落下で割れないよう着地点に魔法で空気の対流を生じさせて緩衝材にする。

 この世界の空気は魔法を許容するし、ランタン自体に魔法が掛かっているわけじゃないから劣化して壊れる心配もない。外回りなんだし肝心の火は二人のどっちかが火種か着火具くらいは携帯しているだろう。

 二人が一所に纏まっていてくれて助かった。でなきゃ好きでもない奴らにもう一個ランタンを提供する羽目になった。こういう物品だってタダじゃないからな。


「早く行けっ!」


 俺の声が届いていたおかげか暗闇での飛来物に兄弟が取り乱す様子はなく、多少は暗闇に目も慣れたのか兄の方がランタンを急いで拾い上げた。


「アニキ悪いな!」

「ありがとう大兄者!」


 着火に関しては何も言って来ないから大丈夫なんだろう。使うタイミングは向こうに任せるとして、俺は敵に集中しよう。


 だって普通に健康的な龍だったらここは炎や水で攻撃だろってとこで、瘴気だ。


 濃度によっちゃ金属を溶かす猛毒をも有する瘴気は、無防備な人体が浴びたら一たまりもない。低濃度でも吸い込めば耐性のない人間はすぐさま体調不良を引き起こすし、もっど酷いと長期療養が必須だ。オーラル兄弟は軍人とは言え浄化魔法を使えるわけでもなさそうだし毒耐性を体得しているわけでもなさそうだし、間違いなくアウトだろ。

 彼らがここじゃお荷物って点以外に、いくら屈託があるとは言え俺だって無用な病人や死体は見たくない。二人には出来るだけ早くこの場から逃げて欲しかった。


「はは、瘴気って……相変わらずの攻撃スタイルで何よりだよ」


 かつての対峙でも、この死に掛け龍の攻撃は全て物理か瘴気だった。


 ただし、単純に見えてこれがこの敵の怖い部分でもある。


 相殺しない場合瘴気は避けるのが有効だけど、毒ガスも同然だから中々それもどこまで後退すればいいのかって話で見極めが難しく、まだ炎とか水の方が対処が簡単だ。今の俺みたいに浄化魔法があれば一発で解決だけど、それも正直何度も吐き出されるとキツイ。当時の魔法剣もない現在の俺じゃかなり分が悪い。

 念のためオーラル兄弟が居た場所を一瞥すれば、既に逃げたようで姿がなかった。何よりだ。

 思い切り瘴気を吐き終えてぶっとい二本脚で屹立した龍は、二人には頓着していなかったようで追いかける素振りは……というか端から目を向けもしていなかった。


 さっきからじっと俺を見ている。


 俺だけを。


 ……え、もしかしなくてもターゲットは俺オンリーなの?


 地中から出て初めて見たのが俺で、だからお母さんだと思って?

 そんなわけはないけど、何かしたっけ俺?

 少なくともこの人生じゃ初めて対面するんだけどなあ。

 ハッ、まさかこいつも俺みたいに逆行した口か? だから俺に見覚えがあって私怨のままに……いやいや待て、こっちの姿を見てもないのに追い掛けてきたんだからそれもないか。魂とか気配で誰だかわかるって神特技を持っているなら別だけど。

 まあそんな能力があるとすれば古代の伝説とされる天龍くらいだよ。

 それ以外にも龍の括りには地水火風を冠する四大龍種がいたり、龍の中じゃ小型のワイバーンなんかがいたりする。


 因みにこいつは「土龍」だ。


 ドリュウとかツチリュウとか資料や地域によって呼び方はまちまちで、中にはトカゲ龍なんてよくわからない呼称まである。


 おそらくは、翼がなくまるで尻尾を切られた巨大トカゲみたいな特徴的な容姿だからだろう。


 尾を切られた他種族の龍だって可能性もあるけど、長命の龍は総じて強いから他者においそれと尾を切らせるとは思えない。

 龍種でもワイバーンや土龍なんかは俺たちが目にすることが可能だけど、土龍の方がその頻度は低い。

 四大龍種に至っては極々稀だって話だ。俺も見たことはない。

 まあ海龍とか天龍みたいに最早現存しているのかよくわからない伝説の域の存在もいる。

 そう言えばアイラ姫は海龍の瞳もとい海龍の糞をどうしたかな……。

 ふう、ここらで現実逃避はやめとこう。逃避したいのはやまやまだけど。


「ゴアアアアアアアッ」


 敵が気合の声と共に巨体からは想像もつかない俊敏さで突撃してきた。


「げっ」


 俺は瞬時に魔法で足裏の空気を膨張させてその場から大きく飛び退く。

 直後、激突音が地面にとどろいて俺の居た場所が大きくえぐられた。


 ひえーッ前以てこいつの身体能力を知らなかったら避け切れないようなエグい攻撃だよ全く。


 一度目人生でもこいつに挑んだ王国兵や冒険者たちは、ことごとく瘴気とこの不意の突撃でやられたって話だ。加えて通常の武器じゃ鱗を突破できないから物理攻撃もほぼほぼ効かず、だいぶ苦戦したらしい。

 進行方向にある邪魔な木々をへし折り薙ぎ倒しながら、敵は今度は太い足で俺を踏み潰しに掛かるけど、その素早い攻撃も俺は右に左にチョロまかと避けた。

 もしもこいつに尾があればさぞかし盛大に振り回していただろうなあ。でもないものは振り回せない。その代わりにガキンと大きく上下の歯を打ち鳴らして顎を突き出してきた。

 ぎーやーっ絶対噛まれたくねえッ!

 噛まれても現在の実力的に即死はしないけど、彼岸で手を振る先祖が見えるくらいの際どい怪我はすると思う。

 嬉しくないことに、こいつってば地中から出た直後より動きが良くなってるし。


 死龍草が生えていても今まで目撃例がなかったのは、こいつが地中に潜伏していたからだろう。


 じわじわと膿むように身から出ている瘴気で土も溶けるだろうし、土龍だから土との相性も良く掘削も容易だったに違いない。

 それにしては地中移動の際に大地を揺らすなんて目立つ現象を引き起こしてはいたようだけど。

 とりわけ俺たちを追跡中は急いでいてごり押し的に動作が乱雑になったのかもしれないな。今夜地震が多かったのはきっとそんな理由だろう。

 踏み付け、噛み付き、振り下ろし、瘴気放出、と敵の攻撃は一見単調でお粗末のようで全然違う。一撃一撃が歴戦の猛者の刺突とも言える激しさを有し、一撃でも食らえばただでは済まない。

 掠めただけで皮膚が風圧で裂けるって断言できる。

 それに、森の障害物と敵の攻撃を避けながらだと直線で移動出来ないせいで、思ったよりもロクナ村からの距離を稼げてないのが痛かった。

 ここらで戦うと、近隣に及ぼす損害は大きいだろう。

 まずは瘴気で大地が穢れ浄化しないと人は住めないだろうし、抉られたり割れたりもするし、木々は折られ或いは根元から倒れ毒草は生えるしで散々だ。自然の恵み豊かな森なんて跡形もなくなるよ。


「ガァアアアアッ」


 俺の集中がちょっと横道に逸れている間にも、待ったなしの死に掛け龍は俺目掛けて大きな足を踏み込み、人間が鎌で草を刈るみたいにあっさり木を薙ぎ倒した。


「く……!」


 俺は地面を転がって直撃を避けたけど、鋭く飛び散って文字通りの木っ端になった木々の残骸が当たったり掠めたりして小さな傷を確実に増やしていた。

 早くどうにかしないとって焦れば焦る程、動きにも無駄が出る。

 ああもう何てザマだよッ。

 俺を木陰や茂みから炙り出そうとしてか瘴気攻撃もしつこくて、浄化魔法が連続って場面もあった。敵は攻撃の手を緩めないからきっちり体勢を整えている暇もなく、体力魔力共に少しロスが出ていた。

 このままじゃ埒が明かずに精も根も尽きるのは火を見るより明らかだ。


「って、ああそうだよ、剣忘れてた」


 自分でも思った以上に切羽詰まっていたのか今更気付いたよ。身体能力を駆使するよりは魔法剣に乗って移動した方が省エネで断然楽だ。


「ホント何やってるんだ俺……」


 溜息と同時に顕現させた青の魔法剣の上に飛び乗ると、俺は木々の間を勢いよく抜けて龍を見下ろせる上空へと躍り出る。

 上空の俺の姿を認めると、奴はくわっと大きく両眼を見開いて上方に瘴気を吐いた。


「へっ残念でした。さすがに俺だって届かない位置まで離れるっての」


 こいつが飛べなくてホント良かった。

 このままロクナ村から引き離す方向で動けそうだ。

 その時だ。


「ガアアアアアアアアアアアアアアーッ――ケンヲ、ヨコセ……ッ」


 土龍が苛立った咆哮ほうこうを上げた。


「は……? 今……えっ!?」


 俺はうっかり剣から落ちそうになって、思考停止しそうにもなった。

 信じられない思いで地上を見下ろす。


「ケンヲヨコセエエエ!」


 もう一度、同じ言葉が繰り返される。

 紛れもなく、土龍から。

 俺は呆然となった。


「喋った……」


 以前は言葉なんて忘れた様にただただ理性なく吼えるだけだったのに、一度目と違うのは十年以上ズレている出現時期だけじゃなかったらしい。

 まだ辛うじて多少なりとも言語能力や理性みたいなものが残っている……?

 ところで、ケンヲヨコセって「剣を寄越せ」だよな?


 剣って、まさか俺のこれ?


 それとも何でもいいの?

 でも剣を所望するだなんてわけがわからない。龍からすれば人間の剣なんて針よりも小さい棘みたいなもので、どうせ振れないだろうに。

 ハッキリ言って用途不明だし、大体にしてこんな死に掛け龍には勿体ない。

 けど、執念深く追い掛けてきたのもやっぱこれのせいだったりするの? ねえ?

 もしそうならイヤだわーマジやめて~。


『その剣はたぶんまだ大丈夫だとは思うけれども』


 ふっと唐突に、海鳥を使った師匠の伝言が思い起こされた。


「あの海鳥元気かな……って違う違う、師匠……っ……――絶対何か知ってるだろーーーーっっ!」


 剣の催促に五月蠅い龍の頭上で腹の底からの怒気を込めて叫んだら、威嚇じゃ負けるものかと対抗心でも燃やされたのか、奴も大口を開けて「ガアアアーッ」て雄叫びを上げたよ……ハハ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る