第28話 望まぬ遭遇
サードライフじゃこれまで関係者を避けてきたけど、だからって別に人生今まで嫌々やっていたわけじゃない。
少なくとも復讐心に駆られてシオンおらあーッ隊長うらあーッって凶行に及ぶ気にはならないくらいは、穏やかで充実した有意義な日々を送ってきた。
面倒事に自ら首を突っ込まない分別が培われたとも言えるけど。
まっ人間本当の意味で人生に最終評価を下せるのは、今際の時だけどな。
ところで、さっきから馬の耳が忙しなく動いている。
戦場でも動じないように訓練されている軍馬たちは、終始どこか落ち着かないような様子で怯えてもいるようだった。
どうしてか?
音もなく俺たちをつけ狙っている善からぬ一匹がいるせいだ。
何のことはない、ロクナ村周辺を含むここら一帯によく出没する魔狼だ。そいつの縄張り内なんだろう。
一応巡回ルート上は申し訳程度の村道に沿っているようだけど、外灯もない暗い森の中なのには変わりないから手綱捌きにも慎重になるってもんで、前方と手元に集中しているオーラル兄弟は全く微塵も気付いてない様子だった。
我慢の限界でそろそろ飛び掛かって来るかなー……なんて予測した直後、全くその通りに暗闇から魔狼が飛び出してきた。
オーラル兄目掛けて。
唸り声も上がったし、さすがにこの段階じゃ二人だって気付く。
背後からの襲撃に、二人はそれぞれ目一杯肩越しに振り返って慌てふためいた。
「兄者!」
「くくく来るなっ!」
恐怖の悲鳴を上げたオーラル兄は両腕で初撃をガードしたけど落馬した。まあそりゃ怯えて嘶く馬の上で手綱から両手を離しゃそうなるよな。乗り手を失った馬は無情にもそのままどこかに駆け去っていった。
落馬者の方は落ちた際に受け身を取れたようで大事には至らなかった。落馬の仕方というかその際の受け身の取り方は軍の訓練メニューにもあるし、不遜な性格によらずきちんと真面目に鍛えてはいるんだな。
そもそも筋肉なんて自分できちんと鍛えないと付かないし、オーラル兄が日々鍛錬しているのは疑いようもないか。
……彼は予想外の性悪脳筋だったり?
魔狼の方は涎を垂らして舌なめずりまでして地面に身を起こしたばかりの獲物へと飛び掛かる。
オーラル兄は座り込んだまま鋭い魔狼の爪をまたもや両腕でガードするだけだ。
「くそっ、私たち三人の中で一番強そうな兄者をターゲットにするなんて、この魔狼は何てお目が高く勇敢なんだ!」
え、えー……単純に獲物をゲットした時のお肉の大きさで決めたんじゃないですかあ~?
何か知らないけど変な思い込みで感激と憤慨している隊長の目の前じゃ、その大好きなあんたの兄者が今にも齧られようとしてるんだけど、いいの?
「くくく来るなあああっ!」
魔物相手の実戦経験が甚だ薄いのか、或いはランタンが馬共々どこかに行ったおかげで視界が暗くなってより混乱を煽られるのか、防御一辺倒の彼自らで倒すのは無理そうだ。
全く、腰の剣は飾りかよ。
兄弟の腰にある標準装備の軍剣をはじめ、武器類は軍の支給品の一つだ。
「兄者!」
とうとう見兼ねてか馬から降りた隊長は剣こそ抜いたけど、彼は彼で入隊して日も浅いせいかまさに戦闘初心者って感じのへっぴり腰のままその場から動かない。
「やめろおおおっ、ぐあああああっ」
「兄者!」
おお、おお、兄の悲鳴に剣先がカタカタ震えてるよ。
「ぐっ、あああああっ」
「兄者あっ!」
だけど依然兄が抵抗を続けている姿に焦って思い切ったのか、「今行きます!」と遮二無二剣を振り回して魔狼に突っ込んで行く。
おいおいちょっと待て。下手すりゃ兄貴に当たるだろそれじゃ。それとも殺意ありなの?
「ぐうあああああああああっ」
「――ってあんたはわざとやってんだろっ!!」
一人馬上の俺は我慢できずにオーラル兄へとツッコミ仕様の鋭い声を投げた。
だってさっきから全然窮地じゃねえだろそこ!
オーラル兄は何と見た目以上に強靭な肉体の持ち主だった。
鍛錬の賜か防御力がどう見ても尋常じゃなく、一向に魔狼の牙も爪も彼の筋肉質な体を引き裂けない。厚手の冬軍服の上からとは言え、皮膚に少し食い込んだだけで止まっている。血も出てないよ。軍服の方は見事に裂けているから魔狼の攻撃力は正常だろうに。
隊長は俺の叫びに驚いて足を止め振り返っている。
魔狼は魔狼でガジガジと顎をフル稼働させて齧りつき血眼で獲物ゲットに励んでいる。まあ無駄そうだけど。
オーラル兄の方は聞こえてないのかまだ「ぐあああああっ」って絶叫してるし……。
もう何なんだこのぐだぐだな戦況。
俺は一人溜息をついた。
このまま放置するだけ時間の無駄だろ。
とりあえずは、オーラル兄は防御力が半端ないってのがわかったからいいか。……メンタルはメタメタだけど。
「すぐ済むから、ここから逃げないでくれよ?」
乗っている馬にそう一声掛けて背を撫でてやってから、ひらりとその背を跨ぎ越えるようにして下馬する。着地と跳躍は同時。難なく降りたその拍子で地面をタン、と爪先で弾いた。残り一つのランタン光の薄闇の中、僅かに地面に足跡が付く。
喚き暴れるオーラル兄が大きく腕を振って魔狼を振り払った。
けど魔狼はめげずに再度獲物目掛けて突っ込んでいく。
よしよし良いタイミングだよ。
魔狼へと到達するその僅かな跳躍時間に俺は魔法剣を喚び出し、一閃。
放ったのは魔法に頼らない物理的な斬撃で、直後断末魔と共に重たい落下音が耳朶を叩く。一刀両断された魔狼の胴体が跳躍の慣性を殺せないままオーラル兄の両脇にそれぞれボトリボトリと落ちたんだ。程なく、自己の死への認識が追い付いたようにして、分断された体がそれぞれ塵と変じて消える。うち片方に石ころみたいな魔核が一つ、ころりと残った。
「「…………」」
兄弟二人の唖然とした沈黙が続いた。
と、小さく魔法剣が震えた気がして俺は手元に目を向ける。
別に変わった所はない。
何だよ、シャバの空気は美味いか~?
冗談はさておき、ここの空気が初めてだから剣なりにはしゃいでるのかも。
ここに来た目的は調査だったから、俺はこの六日敢えて戦闘は避けていた。だから当然この剣を指環から出したのはこれが初めてだ。
ノエルやシオンには内緒でこっそり実家に帰省した際も剣はずっと仕舞っていたしな。
「もう大丈夫ですよ」
剣から視線を外して安全宣言すると二人はハッと我に返った。俺は片手の剣を仕舞って二組の眼差しを受け止める。心底魂消たって顔してるよ。兄の方なんかは何年軍人やってるのか知らないけど、魔物との戦闘は初めてじゃあないだろうに。
「君……強いんだな」
隊長が慄きとも感心ともつかない様子を見せる。
「いいえまだまだですよ。俺なんて師匠の足元にも及びません。蟻んこですよ蟻んこ」
「それで蟻んこ……」
「すっげえな、まだちっこいのに師匠なんているのかよ。だが道理で強えわけだ。魔狼を一撃必殺って、お前すぐにでもどっかの隊長になれるって!」
さらりと告げる俺を、やっぱり二人は零れんばかりに両目を見開いて見つめてくる。
でもオーラル兄の防御力だって申し分ないだろ。
いっそ鉄皮マンって呼んでいい?
彼は防御力だけを見れば俺より上だ。俺は魔狼の爪なり牙で攻撃を受けたら多少なりとも流血する。まあ魔狼程度なら攻撃を避けるからそもそも怪我なんてしないけど。
彼程の防御力を持ってて二度目人生じゃどうして殉職なんて末路になったんだか。
海の魔物は猛毒を持ってる奴もいるからそのせいか?。
「いやーここが船の上だったらヤバかったぜ。海に飛び込んでた。任務中もパニクって何度かそんな馬鹿やって、仲間に浮輪投げてもらって助かったんだよな」
……死因は溺死だったりするのかも。
「さすがは勇猛果敢な兄者。海の中の方が魔物が沢山いるだろうに、敢えて難所に挑むなんて私にはできない!」
ああ恋は盲目、ブラコン愛も兄の言動に盲目。
此度は生きてて良かったデスネーって内心呆れていたら、小さく地面が揺れた。
「また揺れたな、しかも夜って珍しくねえか?」
オーラル兄がおっかなびっくりしたように地面を見下ろす。
「なあ上官が言うように、これホントに自然現象なんだよな? こうも多いと火山でも爆発する前兆かって思わねえ? ま、ここに活火山はねえけど」
地震が増えているって言ってたから気になってたけど、二人の会話を聞かなかったら俺は今も知らないままだったかもしれない。だってたまたまなのか夜には起きなかった。
地震も寝るのか?
だけど、今のこの揺れは少し異質だ。
自然現象?
本当に?
「あの、お二人にお訊ねしますけど、ここらに死龍草が生えているって話を聞いたことは?」
死龍草って不穏な固有名詞に二人は明らかにギョッとした顔をした。王国軍人の基礎的な教養が二人の頭にきちんと入っていてちょっとホッとしたよ。
「まさか! あんな草が生えてたら一大事だろ。ソッコー逃げるって」
前言撤回。軍人の風上にも置けないよあんた!
「ははは兄者は冗談が好きだな。私も聞かないな。もしも一本でもあったなら、調査を中断して軍に即刻報告を上げないといけない」
「ブラコン盲目……ああいえ、そうですか」
二人は知らないのか。
いや、まだ群生しているわけでもなく密度的にはかなり薄いから、落ち葉の下や冬枯れしない茂みの奥、シオンみたいに死者すら居そうな草葉の陰まで目を凝らしはしないだろう彼らが見つけるのは困難か。仕方がない。
巡回ルートだってほとんど馬で移動するだろうし、もしも生えてても馬の方で危険な場所を踏まずに歩くから、結果気付かない。
ただ、彼らを責められないとは言え、俺はここで手ぶらのままに帰す程甘くはないよ。
ロクナ村の安全だって掛かっている可能性が大なんだ。俺は常にロクナ村に居るわけじゃないから、何かが起きてもすぐにはわからない。
故に、不測の事態に陥った時には速やかに近隣住人を避難誘導してもらいたい。
少なくともその中心として軍に動いてもらう必要があった。
シオンが周囲の人間に知らせたとは思えない。
何故なら、庶民の間で死龍草の認知度はとても低い。
地域の防衛を担う軍人や危険地帯を好むような一部の冒険者は知っていても、普通じゃ見掛けないから話題に上る頻度も極めて少ないだろう。仮にシオンが話しても「何の草?」って反応されるに違いなかった。
死龍荒地にしたって基本的には人が入れないようになっている。
「でしたら、お二人にお伝えしないといけない話があります」
二人がもし信じないなら首根っこを掴んででも引っ張ってって死龍草を鼻先の距離で見せ付けてやるよ。ま、探索の魔法でブツを見つけてからだけどさ。どうなるにしろ、魔狼をあっさり討伐した恩人の俺の真面目な顔と声に、二人も居住まいを正した。会った時の無用なガキ扱いはどこに行ったよ……。
案外この二人は純粋な力関係こそ上下関係って思っているのかもしれない。
まあそこはともかく、俺は静かに口を開いた。
「この周辺に死龍草が生えているのは、事実です」
その後、俺たちはロクナ村までの道のりを急いだ。
けど何故か俺が一人馬上の人となり、兄弟二人は従者のように歩いている。
俺の乗った馬を引いているのはオーラル兄で、ランタンを手に先導してくれているのは隊長だ。
「アニキ、もうすぐだぜ」
「いやホントにそれはやめて下さいよ……」
訂正しても直してくれないもう何度目かの呼称に、俺は疲れた目で言った。
そんな俺の目を真っ直ぐ見つめるオーラル兄は尊敬の眼差しってのを浮かべている。
弟の方もチラチラ肩越しにこっちを気にして、控えめにしながらもやっぱり俺を似たような目で見ている。こっちは俺を「大兄者」と呼ぶ。マジで勘弁してほしい……。
魔狼の件に加えて、俺が死龍草を見つけるために探索魔法を使ったからだ。加えて毒草見せた後に安全のために火炎魔法で燃やしたからだろうな。
軍でも魔法使いは一目置かれているし、二人は魔法を使えないから余計にそうなんだと思う。
道中黙って馬に乗っているのも退屈だったから二人から話を聞けば、ここらの巡回は士官たちの間で一定期間ごとの持ち回りでやっていて、毎日昼夜計二回行うんだとか。
進んでいる間も、何度か大地が揺れた。
「なあ兄者、今夜はちょっと多すぎないか?」
「ああ、揺れもどことなく大きくなってるっぽいし、まるで何かが追いかけてくるみたいだな。なーんてな、ハハハハ! …………マジで違うよな?」
馬鹿笑いに近い声で笑っていたオーラル兄は、急に縮こまるようにして大きく身震いした。
この人は実は小心者ゆえに防衛本能が優れてるのかもな。まあパニクってそんな本能を台無しにするようなアホもやるみたいだけど。
でも、彼の勘はおそらく正しい。
何かが俺たちを追い掛けてきている。
他の魔狼がこの縄張りに入った?
……違う。
もっとこう、地を這うような大きくて粘着質な気配だ。
大海原で自分たちの船の真下に得体の知れない巨大な魚が泳いでいるような、そんなひやりとする感覚に陥る。
ここは海じゃないんだから、下を何かが泳ぐなんてことはないはずなのにな。
また地面が揺れ始め、今度は一際大きく揺れた。
「あ、兄者これは何だよ!?」
「知るかーッ!」
やっぱり地震なんかじゃない。
真下から来る限定的な振動だ。
「気を付けておじさんたちっ、下に何かいる!」
俺の乗った馬は生存本能のままに前両脚を大きく上げて嘶くと、あたかも活きの良い海老みたいに飛び跳ねて荷物たる俺を振り落とそうとした。
ムキムキのオーラル兄でも最早必死で逃走を試みる本気の暴れ馬の手綱を押さえていられないようだった。
「おわっ手綱がっ、悪いアニキ気を付けろ!」
「大兄者!」
「大丈夫ですからっ、二人は早く逃げて!」
俺は馬から手を離しくるりと体を回転させて地面に着地する。その際衝撃を殺すために関節を深く柔らかく曲げてクッションにしたから必然しゃがみ込む格好になった。
身を起こしたものの悠長に状況確認をしている暇もなく、俺たちの立つ地面が大きくひび割れ出す。
何だよこれ!?
馬は巻き込まれてはなるものかと必死で逃げ去っていく。
ひびの範囲から逃れようにも立っているのがやっとで、見ればオーラル兄弟はとっくに尻餅を
揺れるのみならず地鳴りも続き、それは不気味な程長く耳朶を叩き不安を掻き立てる。
――グウウウウウウッ。
足の下から、何者かの唸り声が聞こえた。
ハッとした俺は耳をより一層欹てる。
今の声には聞き覚えがあった。
極めて音域は低く、人間でも出せる者は限られるような独特の声だった。
しかも深い怨嗟の色を孕んでいる。
こんな敵意にも覚えがあった。
やばい……!
俺は一も二もなく咄嗟に全員を魔法障壁で覆った。サイコロ型の空間を有するこれは防御魔法の一種だ。
直後、凄まじい轟音と共に大地が割れ、抉れ、或いは盛り上がり、均衡が破られる。
見た一瞬、大きなワニの口かと思った。
奥までギザギザした鋭い牙を携えたその大口は、何かの冗談みたいに大地から垂直に突き出して地面ごと噛み砕きながら上昇する。
俺たち三人を纏めて一呑みできる、そんなあぎとだった。
防御障壁に牙が当たって硝子瓶を叩いたような高く硬質な音が上がる。何とか壊れずに耐えたけど、今の一噛みで亀裂が入ったからこの次は耐えられる気がしない。
「二人共今のうちに早く逃げてっ!」
人が通れるように一部障壁を解除して叫ぶと、二人は這う這うの体といった様子で大きなあぎとの捕捉範囲から逃れた。
良かった……って、二人を確認してホッとしている暇なんてない。俺も逃げないと。
今や凸凹して頼りない地面を蹴る。障壁が噛み砕かれたのと、俺が自ら障壁を解除したのはどっちが早かったのか。
牙がギリギリ体を掠めたよ。
地面を転がって回避し、逃げる気も起きずに息を呑んで見ていると、周囲の地面を更に破壊しながら無数のひび割れた鱗を備えた大きな大きな体躯が天を衝くような勢いで飛び出してきた。
だけど飛翔はできないのか、太い両足で地面を叩き深く爪を食い込ませた。
ここ一番の揺れが俺たちを襲う。
大地に大穴をこさえたその相手に、オーラル兄弟は呆然自失となって間抜け面を見せている。
俺はどうして、と強く歯噛みしていた。
そいつは尾のある部分に尾がないどっしりとした巨体を夜風に晒し、邪眼と言って良い真紅の眼をギラリと底光りさせる。
土の色なのか黄土色で、日照りで幾筋にもひび割れた田畑を連想させる皮膚表面。幾筋もの傷の走った割れ掛けの鱗の列は見る者によっては鱗には見えないだろう。
眼前に現れたのは、純粋に龍と呼ぶには余りにも歪になり果てた、醜悪の権化のような生き物だった。
やっぱりそうか……――最悪だ。
俺が一度目人生で討伐した中じゃ最も強敵と言っていい相手は、森の夜の下、全身にビリビリ来るような凄まじい咆哮を上げた。
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