第27話 オーラル兄弟

 ロクナ村周辺地域調査六日目。

 昨晩までと同じく新しい発見は何一つなかった。

 俺はひっそりと生えている死龍草を見つけると片っ端から燃やした。

 べっ、別に予想以上に進展がなくてイライラしたから毒草に八つ当たりしたわけじゃないからねっ!

 うっかり知識のない近隣住人が触ったら一大事だからだ。

 野生動物や魔物は害のあるものを本能的に嗅ぎ分けるから、人と違って好奇心で近付いたりちょっかいを出したりはしない。だから毒で息も絶え絶えで気が立っているとか、毒に侵された有害な動物の死骸がその辺に転がっているなんて事態にはならない。

 そう言う点じゃ人間が被る二次被害もないんだけど、俺はそれも善し悪しだと思う。

 真実この一帯にのっぴきならない異常事態が発生して見えない所でじわじわと現在進行しているなら、死骸なり何なりで目に見えて命の危険を感じられる方が人間誰しも警戒するもんだろ。

 夜も半分が過ぎて、俺は一旦背を凭れるのにちょうど良さそうな太さの木の根元で一休みしていた。

 腕を組んで瞑想するように目を閉じていると、ふと、小さく大地が震えた。


「地震か」


 ロクナ村で暮らしていた時分も時々揺れていたから、一度瞼を上げたものの俺は大して気に留めるわけでもなく再び下ろした。

 そうしてどれくらい目を瞑っていただろう。


「――おい、おい少年、大丈夫か? 寝るんじゃない、起きろ」


 聴覚が機能すると同時に、誰かに肩を軽く揺さぶられた動きで俺はハッとして大きく目を見開いた。


「……え? ……はい?」


 すぐ目の前に一人の男がいた。


 一瞬状況が呑み込めなかったものの、俺としたことがうっかり眠りこけていたらしい。

 はあ、やべえ~、徹夜六連チャンでこりゃ精神的な疲労が限界なんだろう。

 自前の万能薬で体力こそバリバリに戻っても精神疲労の蓄積は消えない。気分がすっきりしないのは当然だ。これじゃあ厳密には万能薬って言えない気もするよ。敢えて言えば肉体的万能薬ってとこかな。


 余談だけど、まあだからこそ俺は万能薬のレシピを巷には出回らせないようにしている。


 回復や治癒魔法の使い手、つまりヒーラーは人材も限られているから、軍なんかじゃ演習でも実戦でも大抵の場合は何がしかの回復アイテムに頼っているのが実情だ。その主要なものが回復薬なんだよな。

 王国軍は国の防衛の要と言って良いから、回復薬の需要は物凄くある。

 俺がレシピを手に薬を扱う大手商会の門を叩けば、儲けは手堅いだろう。


 だけどそんな物が市場に溢れれば半ゾンビ戦士たちを生みかねない。


 俺が売らない理由はそこにある。


 戦闘して薬で回復、戦って薬で回復、戦って回復、戦闘回復戦闘回復戦闘回復戦闘……って休みなく模擬戦やら実戦やら魔物なり何なりと戦わせられたら、さすがに大半の人間は精神疲労の果てに心を病むよ。だけど体は元気に動くから司令官の号令に従って感情の麻痺した生気のない顔で武器を振るうだけの戦闘人形になり果てる。そんな状態でいたらいつか結局は体内リズムが狂いに狂って体を壊すのは目に見えている。悪くすれば廃人だ。

 俺はかつての人生でそう言った人間を見た経験がある。とても嫌だった。


 だから万能薬なんて代物は洞窟の奥の奥にひっそりと生えている神秘の薬草がそうだとか、レアな魔物を倒して残留物は肝だったけどそれが幸運にもそうだったとか、高名な薬師でも一年に一度調合に成功するのが関の山って感じの貴重な精製物だとか、そんな風なお宝であるのが一番だ。


 滅多にない物だからこそありがたみだって生まれるんだろうしな。


 肉体も精神も同時に快調になるような、それこそ真の万能薬は俺の知る限り数える程だ。そして往々にしてそういう物は王都で開かれるような規模の大きなオークションでしか見掛けなかったりする。

 自身で治癒できる魔法使いにしても、自己魔力を消費せずに完全回復できるんなら万能薬を持っていても損はないってわけで、普通人と魔法使いの別はなく、万能薬が出品されるとオークションは酷く白熱したもんだった。

 ……なーんて昔の記憶を少々引っ張り出していた俺は、ここでふと思った。

 例の死に掛け龍も、体は動くのに元の精神が死んだみたいに病んでいたっけ。

 脳裏に嬉しくない凶悪顔が浮かぶ。

 憎き人類め道連れにしてやるって執念深い奴だった。


 一体過去に何があったんだか……。


 まあガアガア言ってて意思疎通は不可能だったし、百年どころか何百年と死龍荒地は不浄の地だって話だから、そんな長い間その地を動かないでいた死に掛け龍の事情なんて俺には考えもつかないし関係すらないだろうけど。

 もしかしたら何らかの理由で龍的な昏倒でもしてたのかもな~。龍レベルだと気絶もスケールでかそうだし、ハハハ。


 まあだいぶ脱線したけど、俺はここまで他人に接近されて一切気付かなかった迂闊さを悔いていた。


 相手に害意がないからこそ察知できなかったと言えばそうだけど、体調変化による自身の不用心さを痛感せざるを得ない。

 屈み込んで片手のランタンを俺の顔に近付けていた三十路周辺だろう男が、よくよくこっちを覗き込みながら少し不器用そうな笑みを形作った。

 特徴としては珍しくない茶色い短髪に青色の瞳をしている。


「ああ良かった。寒さで凍えているかと思った。ええと怖がらなくていい。私たちは巡回中の王国軍人だ。君はこの辺りの子か? こんな寒い夜中にこんな所で一人でいるなんて、枝集めにでも来て迷ったのか?」


 唐突な眩しさに反射的に目を狭めつつ、フリーズ気味の俺が返答らしい返答を発せずにいると、自称通り王国軍の草色の軍服を着用した男は、光を近付け過ぎたと気付いたのか適度に離した。


「なあそのガキ平気か? 獣に食われて瀕死ならそのまま放っておくぞ」


 別の男の声が聞こえ、最初の男が後方を振り返る。

 そういや「私たち」って複数形だったっけ。

 俺の方も目線を上げれば、そのもう一人が片手にランタン片手に二頭分の馬の手綱を握って馬たちを傍らにして立っている。

 こっちの男も限定された光源からではあったけど、辛うじて茶髪に青い目だとわかった。

 しかも、目の前の小柄な男とは正反対で軍服越しにでも筋骨隆々しているとわかる。

 肉弾戦に強そうなタイプだな。見た目だけならメイヤーさんといい勝負だ。まあメイヤーさんの方が歳は上だろうけどさ。


「あ、ええとちょっと待ってくれ兄者あにじゃ、今確かめているんだよ」

「早くしろよこのノロマ」

「ご、ごめん……。君、本当に平気か? お腹は空いてないか?」


 兄者って呼んでたから謝った方は弟者、いや弟なんだろうけど、俺は心配顔の弟の再度の問い掛けに寒くはないって意味で横に小さく首を振るだけで、どうにも言葉が見つからなかった。


 初見に遅ればせながら、驚愕すべき事実を悟ってしまったからだ。


 何故なら、この男は……こいつは…………――オーラル隊長だ。


 目の前の男は、二度目人生で俺を死へと追いやった元凶たるかつての上官だった。


 相変わらず背は小さいけど、覚えてる顔よか若い。

 まあ俺が軍に入ったのは十六の時だったし、オーラル隊長の下に配属されたのは二十歳を過ぎてからだったから当然か。

 うーん、でもさ、一ついい?


 全っ然性格違くね?


 横柄じゃないし業突く張りでもなさげだし、むしろかつては負傷兵を見下して「無用なゴミは捨て置け」とか言っちゃってたくせに、こんな無用なガキんちょの俺をきちんと気遣える人間性を持ち合わせているようなのですけれど? え?

 セカンドライフ時の記憶がまざまざと思い起こされてついつい顔を歪めれば、


「君、どこか怪我をしているのか?」


 すごく心配された。

 たぶんきっと本心から。


「おい早くしろよ。こんな寒い中面倒な巡回なんてさっさと切り上げて宿に戻るぞ。どうせロクナ村のガキだろ。明るくなれば勝手に帰るって」

「兄者、ここから村まで子供の足じゃちょっと遠いよ。見た所灯りの類を持ってないようだし、足元が暗いんじゃ危険だ。魔物だって出るだろ」

「ま、魔物だと? いっいいからさっさと行くぞ! もたもたしてると俺らが魔物に襲われんだろがっ。急がねえならお前の馬も一緒に連れ帰るぞこら」


 馬で来てるのは当然だよな。この地方の駐屯地はトウタン半島の付け根の都市たるノースにあるし、そこから離れたこんな森奥までは、たとえ基点としてロクナ村やその近隣に宿泊していたとしても普通徒歩じゃ来ないだろ。加えて今は夜だし、雪は降っていないとは言え歩いて汗でも掻けば寒さで体が冷える。

 こんな所で馬を失くしては堪らないと、さすがに泡を食ったような顔付きになった隊長が慌てて立ち上がった。


「ええとほら、君も早く立つんだ。一緒に行くぞ」


 ええー、俺迷子じゃないんだけどなあ。

 正直ここで掌を突き出して「いいえ拙者一人で帰れます」って言おうとも思ったけど、俺は考えを変えた。

 少し探ってみたくなったんだ。


 オーラル兄は巡回って言っていた。


 王国軍はここらを巡回ルートには入れていなかったはずだ。

 現在はそうしているとなると、軍でも何か気になる点があってこの周辺を調査しているんだろう。

 けどシオンの手紙じゃ触れられていなかったから、あまり目立たないよう言われてるのかもな。


「お、お願いします軍人のおじさん。実はおじさんの言う通り薪にくべる枝を探しに来て迷って帰れなくなっちゃって……っ」


 俺は鼻を啜って嘘泣き少年を演じつつ、さも喜びに沸いて気が逸ったように立ち上がった。


「ならここで会えて運が良かったな。もう大丈夫だぞ」


 うーん……実はオーラル隊長にめちゃ似てるだけの別人なのか?

 だっていい人そうだ。

 一方、オーラル兄の方はさっさと騎乗すると自らのランタンを馬具に固定して森の向こうへと歩かせている。幸い弟の馬は手綱を近くの枝に引っ掛けてその場に残し、勝手に連れて行ったりはしなかった。

 俺は隊長の後ろに乗せてもらって二人で兄の馬の後を追った。

 程なく馬が追い付いて並ぶ。

 ふっ、何だかんだと威張っていても、ガタイの割にオーラル兄ってば一人で先に行くのが怖かったのかもな。魔物って言葉に過剰反応してたし~。

 俺は横を進むそんな男を盗み見る。


 ……そもそもどうしてこの人が生きてるんだ?


 二度目人生じゃ、オーラル兄は海での任務中に殉職していた。


 隊長からはそんな兄者の思い出話を隊全員が集った酒の席で延々と聞かされたっけ。兄リスペクトだった。叱責する際にも事あるごとに「これが兄者なら」って比較が付いてたしな……。

 まあ俗に言うブラコンってやつだよ。

 当時は兄本人の為人ひととなりまでは知らなかったけど、今の俺はちょっとの会話だけでもわかった。

 かつての隊長と比肩するくらいに頗る性格がお悪いご様子。

 肝も小さそうだしさ。


「おいチンタラ歩くなよ。お前に合わせてのろのろしてると魔物除けの効果が切れるかもしれねえだろ? そうなればお前を囮にしてでも逃げるからな!」


 がなり立てるオーラル兄に俺は内心げんなりだ。ひでえ兄貴……。


「全く、あの嫌な船の上から帰って来たばっかだってのに、今度はこんな森奥巡回の任務かよ。シーハイ沖に居た方が良かったぜ。あそこは魔物がうようよ出る海域だって聞いてたが実際行ってみたらほとんどいなくて楽勝だったからな。けっ、海の次は山ならその次は空かってんだ」

「まあまあそうカッカするなって兄者、ここらじゃ最近少し地震が多いから一応見回っとけって上の判断だろうけど、異常はなさそうだし明日には私たちの順番も終わるだろ」


 戦力として当てにできなそうな小柄な弟と良い肉の盾にはなりそうな大柄な兄。

 そんな兄弟の会話に俺は幾つかの点で興味を抱いた。


「シーハイの沖? おじさんはそこに居たんですか?」


 まず思った疑問を俺が訊ねれば、オーラル兄はこっちをギロッと睨んだ。


「貧民のガキが勝手に喋りかけてくるんじゃねえよ。ムカつくから謝れ」

「あ、すいませんでした」


 口論になるのも面倒臭いし、素直な子供っぽく潔く謝ったら「ん、お、おう」と怒る様子はなかった。


「シーハイには約一年海上任務で居たんだよ。けどこいつが――ああこいつ弟なんだけどよ、この使えねえ弟が急に軍に入るって言い出して、俺もちょっと前こっち戻ってきたんだ。面倒事を起こされても困るからな」


 おやまあそれどころか説明くれたよ~。

 オーラル兄、案外チョロイ。

 ただ、聞いた話じゃ殉職時期は隊長が軍に入隊する直前だったらしいから、この話からすると時期的にはとっくにお空のお星様になってていいはずだよなあ……。

 でも隊長は既に入隊してるし、肝心の兄の方も無事海上任務を終えているっぽい。


 ってことは何か? 死ぬはずだったオーラル兄は海の任務で死ななかった?


 そして彼の口にしたシーハイ沖って任地から、俺の頭にはとある可能性が浮かんだ。


 ……それってさ、俺が魔物狩ってたからじゃね?


 だからクリーンな海になっちゃって、本当なら天国に居るはずのこの男が未だに現世に坐すんじゃね?


 俺は意図せずして、自分の仇が世にも敬愛する兄者様を救っちゃってたってわけじゃね?


 事の真偽は俺には確かめようもないけど、そう思って良い気がするよ。

 ぶっちゃけ復讐するならきっと今だ。

 でも、しない。

 本音を言えば恨んでいないわけじゃない、腹に据えかねる部分もないではないけど、もう人生はリセットされてるんだし、俺と隊長の間の恩讐も無くなったも同然と、そう思った方が気も楽だ。

 ……これまで築いてきたものたちを台無しにするみたいな生き方はしたくない。


 まっ隊長に関しても俺の方から避けるから、今夜以降二度と会う機会もないだろうけどなっ!


 それにしても、オーラル兄は弟を見下していて、かつての隊長そのものを彷彿とさせる。二度目人生じゃ死んだ兄に代わって後継ぎになった隊長はリスペクトしていた兄を真似たのか、それとも自身が得られる物が増えて気が大きくなったのかはわからない。

 たださ、どう積極的に見ても、この彼がこの先あの狭量で姑息な隊長に変貌するようには思えないんだけど。


 何だよ、彼もなのか……?


 逆行前との齟齬そごがまた一つ増えた。


 俺は思わず乾いた笑みを浮かべそうになったけど面の皮の内に押し止めた。

 周囲は暗いしランタンの光は隊長の背に遮られていたから、別に見咎められるわけもなかったんだけど、逆行の神にドヤ顔されそうで気に食わなかったからな。

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