第26話 ノエルの手紙、シオンの手紙
ノエルの手紙にはこうあった。
――元気? 元気よね、だって馬鹿は風邪も引かないもの。ああそうだ、もう何度も手紙には書いたけど、お父様にはあたしたちはあの運命の埠頭で将来を誓い合ったって言ってあるから安心してよね。
帰りの馬車の中でシオンから実はあんたが息をしてなかったあたしに渾身の処置をしてくれたって聞いた時にはびっくりしたけど、結婚式の予行練習だって思うことにしたわ。
だってだって……あたしを助けるためとは言え人工呼吸――つまりキスしただなんて、もうあたしあんた以外にお嫁に行けないでしょ!
無理やり将来の旦那様が決まっちゃったわけだけど、生きるか死ぬかだったんだし文句は言わないであげる。
ダーリング家の爽やか君よりは見た目は数段劣るけど、あんたもそれなりにすれば見れなくはないし、爽やか君と違ってあんたならギリギリ嫌じゃないから将来を誓ってあげるわよ。
あと、魔法が使えるなんて凄いんだから、あたしのためにも頑張りなさいよ。
その他の内容なんて最早どうでも良かった。
ここの文面だけでとうとう怒りが抑え切れなくなって手紙を破壊しちゃったわけだよ。ハハハ……ハハ…………。
こんなの村長よりもシオンに知られたらアウトじゃねえかよっ!
いやもう知ってるのか? 知ってそう……。だってあいつらハチミツ婦人だかの恋愛ハウツー本読んでるんだろ。その辺の会話でノエルが話してそうだよ。
シオンはノエルよりも辞典の方を大事そうにしていたけど、あれだってぶっちゃけ俺の主観なんだし、本当の所はわからない。密かに恋慕しているのかもしれない。或いは一番好きなのは辞典だけど二番目はノエルで、つまりは人間の女子で一番はノエルって感じなのかもしれない。シオンが彼女の勝手な言い分を真に受けていたら、全くその気もないのにまた俺は刺されるんだろうか。ちょっと涙出そう。でも手紙くれたってことは怒ってはいないのかもしれない。
「ったく、馬鹿かッッ! ざっけんなっっ!」
ノエルって一体全体どんな思考回路してんの?
は? 人工呼吸?
どっから湧いてくるんだそんな考え。渾身の処置ってそっち方向じゃねえよ。
シオンもシオンだ。教えるのはいいけど辞典に夢中でどうせざっくりだったんだろ。ノエルに勘違いさせる余地なくきっちり詳細を説明しとけっつの。
大体、ギリギリセーフとかどちゃくそ俺に失礼だろが。
だがしかしな、俺だってこれだけは言える。
「――誰がお前なんぞと将来を誓い合うかっっ!」
しかも子供の戯言のくせに面倒事に発展しかねない内容だろこれ。
シオンの心配もあるけど、村長から本気の殺意と共に嬉しくない贈り物をされる日が来そうだよ。暗殺者って言う名の贈り物が……。
ダーリング侯爵家に知られたら更に厄介事を招くのは目に見えている。
これ以上は祖母ちゃんのみならず近所迷惑にもなりかねなかったから騒ぐのを止めたけど、対策を講じた方がいいだろうな。
少なくとも早いうちに村長にはノエルの嘘八百を真に受けないよう言っておく必要がある。
村長さえ理解してりゃ、保身のためにもダーリング家に変な誤解を生まないように立ち回ってくれるはずだ。
全く、ノエルはこれまで以上に破天荒な危険人物って思っておいて間違いはないな。
幸い祖母ちゃんは騒がしくしていた俺の様子をチラと見に来てすぐに奥に引っ込んだ。
その時には気を取り直した俺がもうシオンの手紙に目を戻して黙読していたからだろう。
木っ端微塵になった手紙片が俺の手元に散らばってたけど何も突っ込んで来なかった。あー色々また見透かされた気がするけど、祖母ちゃんだしまあいいか。
だけどさ、すぐに引っ込んでくれて良かったよ。
このすぐ後尋常じゃなく急変する俺の表情を見られなくて本当に良かった。
シオンの手紙の続きを読むにつれてノエルへの怒りなんて霧散した。この内容と比べたら全然些事だったからだ。
十枚分の便箋を持つ手が小さく震える。
顔だけじゃなく指先からも腕からも、言うなれば全身から血の気が引いて、あたかも自分の体が生命維持のために内臓器官だけを辛うじて動かしているみたいな、そんな感覚に陥っていく。
自分の心臓の音なのかよくわからない一定リズムが耳の奥にドクドクドクとこだまする。
「……うそ……だろ?」
無意識に唇から零れた小さな呟きを聞く者は誰もなく、静かな店の空気に散じた。
鏡を見なくても今自分がさぞかし青白い顔をしているってわかる。
シオンの手紙には、初めてとある植物を見つけた興奮が書かれていた。
荒れ地に生えるとある毒草――
名称からして非常に物騒だよな。
古来の伝承じゃ、龍が死ぬ前後にその死にゆく龍の負の気――
だからこそのこのネーミングなんだろう。
全ての龍が死に際に瘴気を生むわけじゃなく、何か恨みを残した怒れる龍だけがそんな風になり、少なくとも五百年や千年以上を生きた長命の龍じゃないとこうはならないとも。
死にゆくって表現にしたって、人間の概念じゃとても長い死期で、龍が「あ~ワイもう駄目~」ってなってから永遠の眠りに就くまでは優に百年は超えると思っていい。
つまり、龍の瘴気が百年以上撒き散らされるって意味だ。最悪ってか大迷惑だよな。
ただ一点手紙を読んで安堵を覚えたのは、幸運にもシオンに死龍草の知識があった点だった。
見た目はクローバーに似て可愛らしく小さなくせに、全体的に毒々しい紫の光沢を有したその毒草は、子供が好奇心で触っても何らおかしくないからな。
あの草は金属すら腐食させるつわものだから、高価な専用の採取道具が要るんだよ。だからきっとこの手紙を普通に書いて送ってきたってことは下手に手を出したりはしてないはずだ。
だけど、俺を蒼白にさせたのは草の存在そのものじゃない、シオンがロクナ村を含む周辺地域でそれを見つけたせいだ。
「何で……有り得ないだろ……」
死龍草はこの王国内でも限定された場所でしか見られない。不浄の地とまで言われている例の荒れ地でしか。
他の荒れ地と混同しないように死龍草から体よく名を取って「死龍荒地」と呼ばれるそこでしか。
そしてかつて、死龍草はあの倒すべき魔物が接近している兆候としても現れた。
死龍荒地はかつては荒れてなんかいなかったはずだ。
俺が生まれるずっとずっと前、ロクナ村だって村として存在していなかったかもしれないそんな昔は、周辺の草原地帯同様に青々と草が生い茂っていたはずだ。
だけど、何かの理由で死に掛けの龍があの地に身を沈め、今に至るまで長年死なずに居座っていたからこそ、瘴気のせいで荒れ地となって毒草しか生えない入らずの地になった。
そうだよ、俺の言っているあの魔物ってのは龍の一種だ。
時には神獣や神そのものとして祀られる龍を魔物と呼ぶか否かは各個体によるけど、あいつには神々しさの欠片もないし、長命龍に備わる知性もどこかに行ってしまったのかなかった。故に俺は災厄しか齎さない魔物だと断定し、討伐したんだ。
――そして、死龍草は普通の地じゃ絶対に繁殖しない。
だからそれが生えるとなれば、近隣に死に掛け龍がいると考えて障りない。
そんな龍なんて、俺の知る限りじゃあいつしかいない。
別の死に掛け龍の可能性はゼロじゃないけど、そんな龍は二度の逆行前には出現しなかった。
ただ、もしも移動しているなら由々しき事態だし、そいつなのかが疑わしき最大の一点もある。
そもそも出現時期が合わない。
大体、ロクナ村方向には来なかった。
あいつが向かったのは王都方面だったんだ。このままじゃ王都に到達されて瘴気で甚大な被害が出るって危機に瀕した。王都壊滅となればそれ即ち王国存亡の危機も然り。だから倒した俺が英雄扱いされたのは当然とも言えた。
まだシオンの手紙だけじゃ憶測の域を出ないとは言え、でも、もしも、万が一俺の推測通りなら……――絶対的に何かがおかしい。
なあ、逆行の神よ、俺は何か日常を狂わせるような引き金を引いたのか?
死に掛け龍に関しては全く全然これっぽっちも心当たりはないんだけど。
更に言えば、あいつが動き出したとすれば、誰かが討伐しないといけない。
俺は我武者羅に修行に打ち込んで先日ようやっと強さ登山で六合目に至ったけど、それでも今の俺じゃ間違いなく太刀打ちできない。
実力不足もだけど、相棒剣だって当時と違う物だ。
唯一相談出来そうな相手たる師匠もこんな時に限っていない。
考えれば考える程に不利な点ばっか浮かんで来るな。
「シオンは草が生えてたってしか書いてないんだよな。あの魔物が移動してるなら目撃情報があってもいいのに」
シオンならその他にも異常があれば書いて寄越すはずだけどそれもない。
腑に落ちない。
一度目じゃあ多くの人々にその醜悪な姿を見られていたし、だからこそ現在地やら進路やらを容易に掴めたんだ。
「情報が少なすぎるな」
何にせよこのままじゃ安心できないし、一度現地に行って調べるしかないか。
そう決めると残りの文面にもさらっと目を通してから便箋を丁寧に折り畳んで封筒に仕舞った。他には特に目ぼしい記述は見当たらず肩透かしだったのもあって、深刻な気分と相まってまた一つ溜息が出た。今日何度目だろうなーハハハ。
「本当にどうしてこう、次から次と……」
俺のこの三度目人生で何が歓迎できない事態が起こっているのは確実だった。
俺はロクナ村周辺の実地調査を迅速かつ単独で開始した。
昼間は店番と修行に費やすから、調査に充てられる時間は必然的に夜になる。
その日、調査開始から五日目の夜夜中、俺は思い立ってついでとばかりにロクナ村の村長の寝室にこっそりと忍び込んだ。
言うまでもなくノエルにはバレないようにだ。村に居るのをシオンにも悟られないようにだ。
目的は何か?
そんなのは当然身の潔白の主張だ。
ノエルのせいで大きな誤解をされ恨みを買っているに違いない俺だ。一度目人生の二の舞にならないように後々の災いの芽は摘んでおくに限るだろ。
夜中、誰かに揺り起こされた様な気がして目を開けて、暗い部屋のベッド脇に人影が佇んでいたら誰だって肝を潰す。シマシマのナイトキャップを被った村長は傍で見下ろす俺を見てギョッとして悲鳴を上げそうになったけど、寝ていたおかげで暗闇に目が慣れるのも早く、影の正体が疲れた目をした俺だって気付いたらしい。まあ俺もそこで「エイド・ワーナーです」って名乗ったし、大人のプライドか辛うじて悲鳴を呑み込んでくれた。で、乙女よろしく枕をぎゅっと抱きしめて俺をどこか慄いたように凝視し続けた。
いや~ホント騒がれなくて良かったよ。連夜五日に及ぶ徹夜同然の調査にしちゃ大した成果は上げられず、転移魔法を使っているせいで疲労が嵩んで機嫌も悪かったから、騒がれたらさっさと昏倒させる気だった。
さて今のうちにと、俺は早口でノエルの話した内容には甚だしい虚偽が含まれている旨を告げた。
「おわかり頂けましたか村長?」
「わ、わかった。と、ところでどうやってこの部屋に……?」
わかってくれたならそれでいい、と俺は無言のままうっそりと微笑んでそのまま転移魔法で家に帰った。どうやってって問われても、こんな防犯意識の薄い村で誰かの家に忍び込むのなんて俺にとったら朝飯前いやその前日の飯さえ前ってくらいに簡単だったから答えようもなかったんだよ。
ああ、村長が以来俺の罵詈雑言を言わなくなったってのは後からシオンの手紙で知ったっけ。実家に押し掛けて俺が生きているかどうか確認してくれって騒いでもいたらしい。枕元に立った亡霊とでも思ったんだろう。両親にはちょっとした迷惑を掛けたかもしれない。ごめんなさいだ。
村長宅の至る所に唐辛子を吊り下げたり矢鱈目鱈塩を撒いていたとも後で知った。一体何に対抗する術だよそれは……。
シーハイの自分の部屋に戻った俺は、カーテンの向こうの闇がほんの僅か薄らいでいるのに気付いて窓辺に寄った。
少し指先で隙間を広げれば、もう空の端が白んでいて朝日はもうすぐ昇ってくるんだってわかった。
新たな一日がまた始まる。
「ふう、いい加減明日で終わりにしようかなあ」
わざわざ眠い目を擦ってまで無理して空の変化を眺め続ける趣味はない俺は、外を覗くのを止めてベッドに倒れ込むと寝心地を追求した枕にぽすりと顔面を埋める。ああこのまま撃沈しそう。でも店の朝は早いから少ししたら起きないといけない。
五日通って目立った痕跡はなしって、やる気がすげえ凹む。
確かに死龍草は生えていたけど、瘴気がそこまで濃くはないせいか周辺の植物が枯れているなんて場所もなかった。
うーん、死に掛け龍は動いていないのか?
だけどそうなると毒草が生えた理由の説明がつかない。
あいつは人類を憎んでいるのか死ぬ前に一人でも多く道連れにしてやるとばかりに、かつては最後の最後まで気力を振り絞って地上を這いずって移動していた。
結果短期間のうちに数々の集落や都市を壊滅させたんだ。
なのに分析上居て然るべき範囲内に姿が見当たらない。
だったらいっそ本当に杞憂であってほしい。
せめて、願わくは、逆行前と同じ出現年表であってほしい。
猛者だった俺が倒すまでこの国のどんな冒険者も王国軍も、またどこの組織もそいつに太刀打ちできなかったんだからきっと今回も戦力に大差はないだろう。期待はできない。
唯一対抗できそうな師匠は興味のない戦闘には手を出さないからまず除外だし。
ともかく、今は駄目だ。
仮にロクナ村が襲われようとしていても、俺には村人全員を護れる自信がない。
だって俺は未だに自身の魔法剣を十全に使いこなせていない。
純粋に心身の強化面から見れば確かに俺の基礎力はぐんと底上げされているけど、魔法剣の練度においては芳しくなかった。
魔法剣での魔法攻撃も使えるようになって魔物一組に対する討伐所要時間はかなり短縮されたけど、それは相手が程々だからだ。死闘を繰り広げないといけないような強敵相手じゃこうはいかないだろう。
これまで俺の魔法を上手く乗せて攻撃は出来るけど、魔法剣自体の魔法は一度も使えていなかった。
俺が力を引き出そうとすると必ずバチリと剣に弾かれる。
これでも主人なのかって感じで、ホント酷い時には雷撃にも似た反動で掌がざっくり裂傷を負う。
剣の能力を引き出す方法だって今じゃよくわからない。
元相棒剣とは相性が良かったけど、今回の相棒剣とはそうでもないのかもな。
この瞬間にも敵が現れたらマジで万事休すだ。
ここ何日かの心力修練じゃその懸念に心が全く凪がず集中力散漫で何度かは失敗して魔核を無駄にしたし、剣の魔法を使おうとしてもやっぱり弾かれて終わる。それでまた更に焦ってより一層弾かれるって悪循環に陥ってもいた。
俺の魔法だけで魔法攻撃をする時は魔力を魔法ごと流し込むだけだけど、魔法剣の魔法を使う際は剣に巡らされた魔法回路に自分の魔力を流して自分の魔法回路と繋げて魔法的な連携を促す。
わかりやすく言えば、前者は何も考えず俺は俺の攻撃魔法を突っ走らせればいいけど、後者は二人三脚するみたいに剣との呼吸を合わせる必要がある。因みに心力を鍛えていないと剣とのリンクも安定しないから、やっぱ心力修練は大事なんだよな。
自分で言うのもなんだけど、俺の心力はそこそこだと思っている。
なのに全然上手くいかない。
走り出しどころか足首を紐で結ぶのさえ拒まれてるって感じなんだよ。俺を主人と選んでおいてそれってなくない? どうすりゃいいんだよ。助言をくれそうな師匠は今いずこ~。
「そうだ、回復薬でも飲んどくかー」
思い出したようにむくりとベッドから起きた俺は、チェストから小瓶を取り出すとコルクの蓋を外した。中の見えない瓶を傾けると一粒の丸い物体が掌に転がり出てくる。
ころりとしたそれはレモン果汁のように黄色い一見すると飴玉のような球体だけど、その実は紛れもない丸薬で、かつての記憶を引っ張り出して俺が自分で調合した超回復薬だ。
物理的な外傷の一切が治るから一応は万能薬とも言えるかな。
材料を潰したり練ったり熱を通したり凍らせたりとかなり手間が掛かるし、暇を見て個人的に作っている物だから巷には出回っていないけど効果は抜群。
ただ、飲んだ所で気分はすっきりしない。少なくとも体的には疲労が抜けて消費した魔力も戻るから店の手伝いにも浜での魔物討伐にも支障はないってだけだ。今はそれで十分だけどさ。
そうして少し寝て、俺はその日も明るいうちは日々のルーティンをこなして、夕食後にまたロクナ村の方へと魔法で飛んだ。
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