第25話 師事の大誤算
ギョエエエエーーーーッ!
「――っらあああ!」
俺の魔法剣から放たれた裂帛の鋭い攻撃に、凶悪な牙を剥き出した最後の一体の魚人が塵と消え、砂の上にはそいつの魔核が残された。
その周囲には既に十以上の魔核が転がっている。
「ふう、いっちょ上がり~」
砂浜に突き立てた魔法剣を支えにして、散歩の小休止中のご老人よろしく軽く息をつく俺は、今日もこれまで同様店での番が終わってからシーハイの海岸で魔物討伐をしていた。
今は、単独行動が常のここの魔物にしては珍しく、十以上の個体で海から上がってきた魚人の集団を討伐し終えた所だ。
「こんな稀なケースもあるのか。初めて経験したな。まあ仮に五十だ百だって来られても全く問題はないからいいけど」
何とはなしに海を眺めやる。風に髪が遊ばれた。
もっと強い魔物の巣に行く方が上等の魔核が手に入るんだけど、この街の海の安全って観点と、案外残留物にはお宝が多いって点でここで修行の日々を送っている。巷間で言われるように海底には沢山の財物が眠っているのか、金銀宝石や貴重な素材なんかを拾っている個体が結構いるんだよ。だから先日のオークションでも結構な額の提示ができたんだ。
「おっ、やった今日も何か落ちてる。んーとこれは……海底の素材だな。よっしゃ久しぶりにメイヤーさんに良い報告が出来るな~」
俺がこの不思議な青い魔法剣を手にしてから、メイヤーさんは剣に合う鞘を取り寄せてくれた。
俺は基本鞘ごとは魔法を使わないから長さと幅が合っていればいいけど、わざわざ魔法耐性のある鞘を探してくれたんだよな。それなら剣に多少魔力が残留したまま鞘に納めても鞘が壊れる心配はない。
収納指環に入れておくとは言え、メンテで取り出す度に刃が剥き出しだったから、職人として見ていてハラハラしていたらしい。何かごめんなさいって感じだ。
彼は俺にプレゼントしたかったらしいけど、俺は絶対払うって聞かなかった。頭の固い可愛げのないガキんちょだって思われたかもしれないけど、師匠との前例があってこればっかりは俺ももう譲れない。
それにやっぱりメイヤーさんの方は師匠と違って商売だから、武器の授受で変な甘えは互いのためにはならないだろう。
オークションに同行させてもらえるとかいう便宜なら喜んで受けるけどさ。
そんなわけで、今日手に入れたこの素材はメイヤーさんには相場で引き取ってもらうって流れにはなるけど、なかなかに流通していない素材を持って行くとすごく喜んでくれる。俺への思いやりとか手間を考えたら金銭だけじゃなくて俺だって何かして喜ばせたかったからこれがちょうど良いんだ。
海からの思わぬ贈り物を仕舞って、俺は頃合いだと本日得た分の魔核で修練を始める。
砂浜に腰を下ろして石ころみたいな魔核を両手に持てる分だけ握り締め意識を集中していけば、研ぎ澄まされる感覚の中、手の中で赤く光り出す魔核の覚醒を関知した。更に意識を向けて魔核の中のエネルギーを自分にカスタマイズするように練っていき吸収を促す。ここで集中力が途切れると全てが無駄になるから気を抜けない。強い魔物の魔核程ここの馴らしが難しいんだよな。ここに出る魔物たちのは大して難しくないけどさ。
魔核から出てきた無数の燐光に囲まれる俺は、そうやって魔力増幅に繋がる心力修練を全部の魔核を消費するまで続けた。
師匠に弟子入りしてからの俺の修行の日々はこんな風に概ね順調……でもなかった。
俺のこの砂浜での修行はこれまで通り一人きりだ。
事情を知る者から見れば師匠はどこにって思うだろうけど、俺の方こそ訊きたいよ。
簡単に事実を述べれば師事して三日、師匠にどっか行かれた。
うん、うふふっもう冗談とかじゃなくね!
俺をほっぽって本当にどっか行ったんだよあんの食い道楽師匠はっ!
三日坊主ならぬ三日師匠だった。
ああでもこれも俺の自業自得なのかもしれない。
彼が姿を消す前の日、弟子入り三日目の日、俺は店番終了後に稽古場所の砂浜に赴いたんだ。そこでトラブルなく稽古を終えた俺は指環からある荷物を取り出した。
『エイド、そそそそれは?』
俺の手の上の小さな紙包みを見た瞬間、犬並の嗅覚を発揮したのか師匠がハッとした。
『師匠への感謝の気持ちです』
そいつの中身は実はロクナ村産のバターをたっぷり練り込んだ母さん作のクッキーだった。
オークション船の中で摂った昼食のパン同様に状態維持の魔法を掛けて保管していたから、作り立てに近いサクサク感が楽しめる一品だ。前に帰郷した際に取っておいたのがあったんだよな。
状態維持の魔法も魔法だけど、魔法が引き起こす物質劣化とは反対と言って良い事象が要求される。
一度目人生じゃ師匠に弟子入りする前は難しくて全然使えなかったけど、師匠から物質を構成する粒が劣化現象を引き起こさないように妨害するようなイメージで使うようにって助言を受けてそうしたら、初めてできた。
当時の俺は師匠程には片手でちょちょいとは出来なくて、未熟さを痛感する度に自分の腕を上げてやるって決意を新たに胸にしたんだよな。
やっぱり高みってやつはそうそう簡単じゃない。
おそらくはそんな苦悩や悔しさを俺はまた味わうんだろう。
まあとにかく、絶対師匠好きだろこれって確信があって感謝の印にしたわけだよ。
枚数にすると十枚くらい。包んであった紙を開いてみせた。砂浜って結構風が強いけどそれでもふんわりと甘い香りが広がった。
『遠慮せず受け取って下さい。祖母ちゃんの料理の腕を継いだ実家の母のお手製です』
師匠がそれをどうしたか、なんてのは愚問だよな。
まあその結果が現状の放置プレイなんだと思う。
俺は師匠を血眼になって捜したりはしなかった。
どうしてかって?
『――やあエイド。ちょっとしばらくその剣と一緒に修行しておいてね。その剣はたぶんまだ大丈夫だとは思うけれども、こっちはこっちで呼ばれているから行ってくるよ』
あの次の日、店番が終わって師匠が待っていると信じて向かった砂浜で、本日も張り切っていくかーって意気込んだ俺の耳にいきなりそんな放り出すような台詞を吐かれたんだよ。
こっちに向かって真っ直ぐ飛んできた海鳥に。
……海鳥にっ! やあって声を掛けられた時は一瞬ギョッとして耳を疑ったね。だって人生を通算しても海鳥から親しげに話しかけられる経験なんて初めてだったし、しかも鳥の
一時的に伝言役として使役したんだろうけど、知識としてその手の魔法の存在は知っていても、実際そういうのに突然来られると人間度肝を抜かれるもんだよな。
新手の魔物が出たなこりゃ先手必勝だって危うく焼き鳥にしそうになったっけ。
あと、剣が大丈夫云々ってのは何のことやらだ。
気にはなるけどそれ以上に呼ばれているとか言っていた師匠に、彼の尋常ならざる眼力が何か特異な気配を察知したのかなって感心したっけ。
でもそう思っていたら、俺のせいでちょっとだけ尾羽を焦がした海鳥が更に言った。
『究極の好みの家庭の味が呼んでいるんだよ。この世には、例えばロクナ村の君のお母上のように素晴らしい料理を食べさせてくれる場所がまだまだあるに違いないからね。堪能してくるよ』
『…………』
どうせ人目もないし地団駄踏んで暴れても良かったけど、幸いにして俺にとっては師匠のマイペースさと唐突さは今に始まったことじゃない。だからもう右往左往するなんて失態は犯さない。ぐっと口を引き結んで何も言うまいって自分に言い聞かせた。
ああ、海鳥は無事に去って行ったよ。尾羽は……まあきっとそのうち生え変わるだろう。
現在は師匠が消えてもう三カ月過ぎて四カ月目に突入する。
そんなわけで、呆れ落胆しつつも達観していた俺の心だけは平和……でもなかった。
パン屋にさ、月に一度くらいのペースで、来るんだよ。
アイラ姫がさ……。
今も三日に一通ペースで送られてくるノエルの不幸のて……あいやいや普通郵便物程じゃないけど、しんどっ……!
正直もう来ないんじゃないかなって思っていたから意外だった。売り上げに貢献してくれるのは有難いけど複雑だ。一年に一度くらいでいいと思うんだよ。その方が「随分大きくなったなあ」って親戚のおじさん目線で子供の成長を実感できるだろ。まあ親戚になるつもりはないけど。
ただ、そんな風に嘆いた所でアイラ姫が店に顔を出すようになってまだ半年すら経っていないんだよなあ。来店もまだ三度目いや四度目だっけ。その間彼女の十歳の誕生日も来て、俺たちは同い年になった。
一つ下のノエルは俺より誕生月が一月遅いだけだからとっくに九歳だし、シオンは逆に俺より一月早いから当然もう十歳だ。
季節はもうすっかり冬で、国の北の方では雪が降ったり霜が降りているだろうな。
四季はあっても面する内海が齎す気候のおかげで比較的温暖なためか、雪が降ることが滅多にないこのシーハイとは言え、砂浜に下りて修行する際には一枚二枚余計に着込んで行くようになっていた。
因みに内海って言っても規模が規模だから、いくら目を凝らした所で南方対岸にあるらしい大陸は影も形も見えない。
俺もまだ行った経験はないけど冬のない炎と熱の国って話だ。
丸腰じゃものの一日と命が持たない大砂漠が広がっているんだとか。
この国にも、砂漠とは違うけど雑草すら生えない酷い荒れ地はある。
人々は容易には近寄れないし近寄らない、言わば「不浄の地」みたいな場所だ。
そこには今さっき雑草すら生えないって言ったけど、唯一例外的に生える植物があって、それは生息地が限定的なために稀少で、尚且つ猛毒を含み危険だから普通には出回らない。ただ、裏社会の暗殺者育成機関やなんかで毒の耐性を身に付けるために密かに使われてはいる代物だ。
俺は自分の魔法で解毒できるし必要ないけど、仮に毒耐性が必要でもそれを使いたいとは思わない。
加えて、あの特殊な毒草はとある魔物と関連してもいる。
一度目人生で俺が英雄と称えられたそもそもの理由、それはその魔物を討伐したからだ。
そして、その荒れ地から例のそいつはやってきた。
俺が二十二歳の後半頃からそいつの存在が世に知られて、二十三になって早々に倒したんだよな。
出現から一年と経たない極短期間でそいつは王国民を恐怖に陥れた。それくらいに王国史でも稀に見るような凶悪な魔物だったんだ。
けどまだご登場には十年以上の猶予がある。それまでに当時以上の猛者になって、あいつのあの凶悪面を拝んでやるよ。
話を戻すと、そう言えばアイラ姫が二度目に来た時は久しぶりに王女様の侍女二人、ミランダさんとエマさんを連れて来たっけ。魔狼に襲われた危険な三人旅でのお咎めはどうだったのかは知らないけど、今も侍女としてアイラ姫の傍に仕えていられて良かったよ。
そのアイラ姫だけど、普段は王都に居ながらに直接この店まで来るとなると、彼女たちは馬車の旅じゃなく運河経由なのかもしれない。
大陸中央の王都からトウタン半島の先端部のシーハイまでじゃ、陸路で早馬を走らせたって最低十日、貴人の移動ならその倍以上は必要だ。
国の事業によって整備された運河でなら、運河が通るノースの街で船を降りてそこからシーハイまでを馬車で来ても良いし、そのまま運河を下って海に出てシーハイの港に船を回しても良い。どの道かなりの時短になる。因みにロクナ村からシーハイまでは朝に乗合馬車に乗って一日あれば余裕だ。午後に出たら一晩どこかで一泊は必要だろうけど、王都からと比べるとすげえ近いんだよな。
そうじゃなければお金のある王女様だ、高価な空間転移の魔法具を使う日もあるかもしれない。
へへっ俺はその空間転移魔法を自前で行えるけどさ。
英雄時は戦闘中に短距離でよく使ったっけ。敵の不意を突いたり撹乱するのには持ってこいなんだよあの魔法。
でも今の俺じゃまだ修練途上で魔力量はまだまだ心許ないから、使うと全魔力量に対して相対的な消費量が多くなる。要はすぐにバテるからあんまり使えない。
「エイド、お前さんに手紙だよ」
「ありがとー祖母ちゃん」
その日の砂浜からの帰り道、つらつらと悩みに近いあれこれを頭に思い浮かべながら嘆息を切らさなかった俺は、店に帰って祖母ちゃんから手渡された封書を見下ろして更に深く息を吐き出した。
またノエルからかー……。
ああでも今日はシオンからのもあるな。
定期報告と称してシオンは俺にロクナ村での出来事やその他周辺の出来事、あるいは気になった植物の話なんかを
いつもシオンの手紙は躊躇なく封を開く俺だ。今度は一体どんな呆れる事件やら珍しい話が書かれているだろうってわくわくした。
俺ってば自分でも酷い奴だと思う。関わりたくないからここに来て欲しくはないくせに手紙だったら良いんだよな。カウンターに寄ると気が逸るようにして封を切る。
気を利かせた祖母ちゃんが店の数少ない残り物パンを暖かいミルクと一緒にカウンターに持って来てくれた。それに短く礼を言って最初一口ミルクを啜ってパンを齧りながらシオンからの手紙を読み進めていく。
手紙は、元気かって挨拶から始まって、相変わらず俺の両親はラブラブってやつだから安心していいよって話と、ノエルのファザコン度が最近やや下がっているって話、しかもそれはダーリング家との婚約話を進めたい村長と反目し合ってかと思いきや、村長が思いも掛けずに俺の悪口を言ったかららしいと書かれていた。
ノエルがシーハイで溺れた事故を正直に父親に話したとは、前のシオンからの手紙で知っていたけど、俺は村長から感謝こそされ、悪しざまに言われる筋合いはないと思う。
きっとノエルの説明の仕方が悪かったんだろう。まあ村長が俺をどう思おうと関係ないけどさ。とは言え、シオンの手紙の続きはどうも気になる内容でもあった。
俺がノエルに無理やり将来を誓わせたって村長が憤慨してるみたいだって書いてあるけど、わけがわからない。
ノエルに問い質してみればわかるか?
いやでもなあ、顔を合わせる度に騒々しさしかないから面倒だし、やめておこう。
そこでふと、ノエルの手紙に目が止まる。
何か関連事項が書かれているかもしれないと、俺は初めて彼女からの手紙を開けてみようという気になった。
十枚以上からなるシオンの手紙を中断して、ノエルからのこっちもそこそこ分厚い手紙を開く。便箋五枚はありそうだ。
「毎回毎回この厚さ分をよく書けるよなあ」
気持ちを全く込めずに褒める俺は一行一行目を通していく。読み進めていく。
突如、ノエルの手紙が木っ端微塵と化した。
まさかの呪い魔法発動?
――いいや、俺が魔法でそうした。
怒れる感情のままにやったから、祖母ちゃんがこの場に居なくて良かったってちょっと思う。
……だってきっと怖がらせた。
祖母ちゃんは俺が手紙を読み終えるのを待って店の奥にいる。一緒に戸締りして裏手の家に帰るのがいつもの俺たちだからだ。
「……ノエル……あんっっっのやろーーーーっ!」
そんな俺は祖母ちゃんが驚いてこっちに駆け付けてくるかもしれないとは思いつつ、怒声を止められなかった。
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