第24話 帰ってくれ……。3

 現状じゃ姓名の判断が付かないけど、案外血縁同士なのかもしれないWニールな護衛たちに睨まれる中、俺の手は依然アイラ姫に占領されている。


「エイド……」


 と、ここで祖母ちゃんの呟くような声が聞こえてきた。


「あ、ご、ごめんなさい……っ」


 その声にハッとしたアイラ姫が慌てたように俺から手を離した。

 やっとか、と一人胸を撫で下ろして祖母ちゃんを見れば、俺を見つめ目を丸くしている。

 初めて口に出した後継ぎ宣言のせいだな。

 俺は後頭部を掻きつつ和らいだ笑みを浮かべた。


「祖母ちゃんそんなに見ないでくれよ。何だか照れ臭いだろ。でも、そうだから俺」


 感動したのか祖母ちゃんは俺を見つめ、はあーっと大きく息を吐き出した。


「今のお前さんじゃまだまだまーだ店はやれないねえ」


 何もないのに俺はがくっとこけそうになった。


「そこはさあ、もっとこう期待してるとか何とか言うもんじゃないの?」

「まあ、折角不肖の孫息子がやる気になってるんだ。託せるレベルになるまでこのババがきっちり鍛えてやるさね。――大いに期待してるよ、エイド」

「お祖母様……っ!」

「おやまあ何だい急に気持ち悪い呼び方をして」


 思わず駆け寄って抱き付いた俺を祖母ちゃんは口をひん曲げての呆れ顔で見下ろした。それでも頭をぐりぐり撫でてくれた。


「あの……」


 家族の絆を確かめていた俺の耳にアイラ姫の声が入る。

 ああそうだった話も済んだし彼女にはお帰り頂かないとな。

 そう思って祖母ちゃんから離れて向き直ると、


「そ、それではわたしも一緒にスパルタでご指導下さいお祖母さ…」

「――またのご来店を~ッ!」


 油断も隙もなくやっぱり弟子入りする気満々だったアイラ姫を、俺は護衛たちの非難を覚悟で問答無用で手土産のパン共々店から放逐してやったよ。

 ガチッと鍵まで締めて、はい終了っと。

 しばらく店の前でうろうろして店内を覗いていたアイラ姫だったけど、俺が無視を決め込んでいると諦めたのか、こっちが外をチラ見した際にばっちり目を合わせてからぺこりと頭を下げて踵を返した。

 勝手に帰ればいいのに律儀にも俺への挨拶をしていった。

 うっ、心苦しい。扱いが雑だし王女様に不敬だと思わないわけでもない。だけど何かここで甘い顔をしたら駄目だと思うんだよ。だから心を鬼にして追い出した。

 ……パンを買いには来ないかもしれないな。

 俺はくるりと回れ右をすると店の扉に背を当て嘆息する。

 疲れた……。今後のことはまだ考えたくない。

 現在考えるべきは……。


「ええと、お待たせしました名もなき放浪者さん。早速ですけど、この魔法剣について話をしましょう」


 俺は気を取り直すと、指環から魔法剣を出して師匠の前に立った。


「んんふ……?」


 師匠はハムスター顔になっていて、俺はとくとその整ったかんばせを眺める。

 この人は店のパンを一体幾つ平らげたんだよ。

 食べっぷりに気を良くして止めない祖母ちゃんも祖母ちゃんだ。確かに良く食べる人って男女の別はなく見ていて気持ちいいけども。

 彼が口に入れていた分を咀嚼し嚥下し終えるまで、しばしを要した。





 俺は現実空間に出した抜き身の青い剣を手に師匠が落ち着いた頃合いを見計らってそれを両手に捧げ持つようにした。

 別に師匠に献上するわけでもなくむしろ下賜も然りなわけだけど、祖母ちゃんはこれから大事な話をするんだろうと空気を読んで奥に引っ込もうとした。


「待って祖母ちゃん。一緒に話を聞いてほしい」

「いいのかい?」


 うんと頷く俺は祖母ちゃんをパンの師と仰ぐ。

 だけど、俺の師はもしかしたらもう一人増えるかもしれない。ジャンルとしては全くの別物だったけど、どうせなら彼女にもそれを知っておいてほしかった。

 怪訝にしつつも文句も言わずこの場に残ってくれた祖母ちゃんに内心感謝して、俺は表情を引き締める。


「名もなき放浪者さん、俺はこの剣を持つと決めました」


 俺の宣言に師匠はパン入りの紙袋を後生大事そうに抱えたまま朗らかな笑みを浮かべた。


「やっと素直に受け取ってくれる気になったようだね」

「素直とは違いますよ……」


 だってなあ、もう俺にしか扱えないし。


「あなたはこうなるって確信して船では俺に握らせましたよね」

「君が魔法剣を欲しいって言って、ちょうどそれを聞いた私の手元には魔法剣があった。ただそれだけのことさ。事実として君はそれを使い結果を出したんだし、細かな話はもうよそうよ、ね?」

「でしたら、大きな点だけを一つ。代金をお支払いします」

「それは不要だといっただろう」


 柔らかな声をしながらも師匠の言葉には反論を許さないようなどこか凛とした響きがある。祖母ちゃんは俺の持つこの剣が師匠由来の物だって知ってちょっと気がかりそうにした。

 俺は代金って口にしたし、タダよりも何とやらって言葉が脳裏を過ぎったんだろう。


「でしたらお金の話は一旦棚上げしておきます。では代わりと言ってはなんですけど、もう一つ、船上で俺に言った言葉は本心ですか? 俺を弟子にって言うあの」


 師匠は俺がきちんと覚えていたのに気を良くしたのか小花を一つ浮かべた。


「冗談で弟子なんか取らないよ」

「そうですか」


 まあ、そうだよな、師匠だし。


「あの時は急いでいたから中断しちゃったけど、もう一度言わせてもらうと、私は真剣に君を弟子にと望んでいる。考えてみてはくれないかい?」


 言いながら師匠はそっと手を伸ばして俺の手から剣を持ち上げると、片手に掲げて刃を裏返したり近付けたり遠ざけたりして、興味深そうに検分した。


「誰が打ったかは知らないけど、良い剣だよね、これ」


 満足そうに小さく独り言ちると剣を返してくる。


「あなたは本気で俺を弟子に?」


 俺は剣を受け取って指環に仕舞うと、ゆっくりと慎重に問い掛けた。

 自分でもくどいと思うけど、そうした。

 師匠も多少そう思ったのかもしれない。微苦笑を浮かべた。


「本気も本気だよ。君が気にする魔法剣の件だって君が私の弟子になれば丸く収まるんだ。師匠が弟子に適した武具を見繕ってやるのも師弟関係の醍醐味の一つだろう?」

「受け取らせる口実のために、俺を弟子入りさせようとしたわけじゃないんですか?」

「まさか。何だいもしかしてそう思っていたのかい? 純粋に君が面白いからだよ。弟子にしないと後悔するって思ってね。大体ねいくら私でもどうでもいい子供にあの剣をタダでくれてやったりはしないよ。まだそこまで耄碌もうろくしてもいないしね」


 師匠は苦笑を深める。


「君だから弟子にしたいんだ。私の弟子は不服かな?」


 これでも強いよ、と師匠は付け足した。

 俺は今日一番の衝撃で言葉が出て来ない。師匠は俺に何らかの可能性を見出してくれたからこそ、弟子にって言ってくれている。俺に剣を受け取らせるための方便かもしれないって少しだけ思っていたから、そうじゃなかったのは素直に嬉しい。

 俺の答えは彼の誘いを聞いた時点でほとんど決まっていた。ロクナ村での出会いを避けたくせに、本音を言えばたとえ方便でも良いって心のどこかでは思ってもいた。


 ――もう一度師匠の弟子になれるなら。


 船上じゃ状況が猶予を許さなかったから返事を後回しにしただけだし、その後もそれどころじゃなかったから今になった。

 俺は素早く師匠の真正面に跪く。ザザッと床に摩擦音が立った。そのままの姿勢で両手を胸の前で重ね、高い位置にある師匠の顔を見上げて大きく息を吸い込んだ。


「この話、謹んでお受けします!」


 イエスと答えるにしてもまさか俺がこんな仰々しい行動に出るなんて思ってもいなかったんだろう、師匠が目を見開き、祖母ちゃんがいよいよ驚いた顔になった。


「改めまして――我が師匠、この不肖の弟子エイド・ワーナーが参見致します。これから先、どんな厳しい修行にも耐え抜く所存ですので、どうぞ末長いご指導の程をお願いしたく存じます……!」


 大仰な台詞の最後にはこうべを垂れた。

 ややあってから上げれば、年長者二人の間には未だ呆気に取られたような空気が流れている。

 急に畏まって何してるんだって気持ちは俺自身ないわけでもなかったけど、これは自分への決意表明でもあった。

 基本、逆行前の関係者とは関わり合いになりたくない。だけど師匠だけは例外中の例外だろって考え直したんだ。


 武芸者として道半ばだったと自分でも思う俺はまだまだ彼に教わりたかった。


 でも俺の方から弟子にしてくれって請わなかったのは、師匠は自らのお眼鏡に適わない相手を決して弟子に取らないからだ。エルシオンが一緒に弟子入りできたのも師匠が彼の何らかの才能を見出していたからだろう。実際一流冒険者にはなったしな。


 正直に言うと、俺は今回の俺を弟子にしてもらえるって自信がなかった。


 だから、向こうから声を掛けられて蹴るなんてするわけがないんだよな。

 逆行の神の采配か奇跡的にこうしてまた巡り合えたんだ、このチャンスを逃すなんて馬鹿だろ。

 今生で師匠との関わりを強くしたからって、アイラ姫やシオンやノエルとの縁が濃くなりはしないはずだ…………たぶん。

 唯一心配と言えば、シオンは一度目で兄弟弟子だったから彼もまたスカウトされる可能性があるけど、元々あいつをきちんとした武芸者の下で修行しようって引き込んだのは俺だ。

 師匠の意思ともう一つ、シオンもその気にならないと成立しない。

 だけど今回の俺は我関せずを貫くつもりだから、弟子入りしたければ自分で勝手にやってくれ。


 それ以前にシオンは鍛錬に興味を示さないとは思う。


 筋肉より果肉や葉脈の方が大事そうだ。

 まあ例えば師匠が植物学の大家だったら率先して師事していたんだろうけどな。

 物知りだし標準以上の知識はあっても生憎師匠は各学術機関で教鞭を執ったりはしないから、彼の博識を世に知られる機会もないだろう。だからシオンが師匠に目を付ける可能性は低い。よしっ!

 それまで黙っていた師匠が徐に口を開いた。


「ああ実に嬉しいね。この私にまた師匠想いの弟子ができたよ」


 祖母ちゃんも孫息子を褒められて悪い気はしないんだろう「しっかり弟子をやるんだよ」とにこにことした。


「だけどそっちの修行にばかりかまけてパン作りの技術向上を等閑なおざりにしたら、容赦しないよ」

「奇遇ですね。私も全く同じ事を思いましたよ」

「そうかい。じゃあそっちはそっちでビシビシやっとくれよ」

「勿論です。この子の師としてお互い頑張りましょう」


 祖母ちゃんと師匠は互いに意気投合したのか満足そうに頷き合うと、何とガシリとタッグを組んだ。えー……そこまでされると逆に怖気付きそうだよ。


「ああ、今日は稀に見る何て良い日だろう。ここでは思わぬ掘り出し物があったなあくらいにしか思っていなかったのだけれどね。ところがどっこいどうだろう、魔法剣以上に貴重なものがここにはあったじゃないか」


 し、師匠……!

 弟子になったばっかの俺をそんな風に思ってくれてるなんて……っ!

 祖母ちゃんがとても良い話を聞いた後の人のようにうんうんと大きく何度も頷く。


「貴重なもの、それがエイドだってのかい」

「いやご婦人、あなたのパンさ!」


 師匠……っ。

 胸を張る師匠は堂々たる様相で愛おしげにお持ち帰りパン入りの紙袋を見下ろす。

 感極まって今にも頬ずりでもし始めそうだ。

 ……そうだった、どこで切ってもずっと同じ柄が出て来る棒キャンディみたいに、どこで切ったって師匠は師匠だった。もう俺何を言えばいいんだよ……。

 祖母ちゃんはちょっとかなり予想外の答えに珍獣でも見るみたい目を丸くしている。

 俺はとうとうぶっと噴き出した。

 二人が俺を見る。


「ははっあははは、とにかく宜しくお願いします師匠。今日は師匠もお疲れでしょうし、本格的なのは明日からで。今すぐにでも帰って休息せねばってくらいに疲労困憊でしたら、他の残っているパンを特別に師匠に全部売ってもいいですよ」


 そう言ったら、行動は頗る早かった。

 今日は色々様々あり過ぎて疲れ果てたから、そろそろ本気で部屋で休みたかったんだよなー。……うん、全部売れた。


「それではね、また明日」

「はい師匠。ではまた~」


 街路に出て師匠に手を振る俺の横に、今日の売り上げを纏め終えた祖母ちゃんが立った。


「エイドはあの青年とは初対面なんだろう? 扱い上手いじゃないか」

「あはは、たまたまだよ、たまたま」

「ところでさっきの剣はどのくらいする物なんだい?」

「えっ……と~、パン屋を売ってもおつりがくるくらい?」


 俺は店先で卒倒しそうになった祖母ちゃんを支え、店内全てのパンを抱えスキップで小さくなる師匠の背中を見送った。


 少し先の話をすれば、本来なら負担すべきだった剣の代金二千万ファンタジは、ロクナ村とシーハイのより良い発展に使ってもらうようそれぞれに匿名で寄付した。結局どうあっても師匠には受け取ってもらえないと悟って諦めたからだ。

 それをどこで知ったのか、師匠からは「生真面目だねえ。エイドは本当に十歳やそこらなの? 実は五十年は生きているんじゃないのかい?」って冗談を言われたっけ。

 少なくとも百歳を超えている師匠自身を基準にしないでほしい。

 けどぶっちゃけ俺のトータル精神年齢はそのくらいだったから、師匠の不思議な千里眼に見抜かれたかと焦って危うくボロを出しそうになったよ。





 翌日、開店前のうちの店の前には多くの人が並んでいた。


 は? この列は一体何事だよ?


 俺は店の奥から出るなりその様子を見て呆けた。

 見慣れない顔ぶれが多い中、知った顔にはシーハイの学校関係者ばかりが居合わせている。これは偶然なのか?

 俺は店内から人が群れている外の街路を見つめた。


 どう見てもパンを目当てに並んでいるようには見えない。


 そして事実その通りで、彼らは俺が立て看板を置きに店の外に出た途端、殺到してきた。


「エイド・ワーナー君だね?」

「へ? ああはあ、そうですけど、どちら様方ですか?」

「私はシーハイに道場を開いている者だ。エイド・ワーナー君、是非とも我が道場に入ってくれないか!」

「いいや彼はうちの魔法学校にピッタリだ」

「いいやこちらだよ」

「こっちだこっち」


 一体全体何なんだ?

 放っておくと喧嘩になりそうだったから一先ず落ち着かせて訊けば、皆は近隣の道場や魔法学校からのスカウトの人だった。

 昨日の船上にいた客の口から俺の話が広まったんだろう。商人同士の口コミの早さには舌を巻くのを通り越して慄きすら感じるよ。


「おいおい、様子を見に来てみればやっぱりこうなってたか」


 詰め寄られ多方向から名刺や案内書を差し出され、どうしたもんかと辟易としていた俺は、割って入った知った声に思わず助けを求めるように輪から抜け出し駆け寄っていた。


「メイヤーさん!」

「やれやれ、予想通りエイドの魔法とその優秀さが知られたようだな」

「そうみたいですけど、どうしたら……。俺はどこに入る気もないんです」

「そうなのか?」

「はい。王立学園も蹴りました」


 その台詞にメイヤーさんを含め、周囲は明らかに息を呑んだ。静かになったから牽制の効果ありみたいだな。でもそれは早合点で王都は遠いとかあそこは身分格差がネックとかざわつき出した。まだ自分たちの勧誘に希望を捨てていないようでもある。面倒だな。

 俺が眉根を寄せた時だった。


「任せとけ」


 メイヤーさんが動いて俺を背に隠し、彼らとの間に立った。


「エイドに迷惑を掛けるな。バリー・メイヤーからの頼みだ」


 諭すような声だったけど、バリー・メイヤーの名を聞いた途端皆は気後れしたように口を閉ざした。見た目が屈強なメイヤーさんが番人にでも見えたのか、誰も反論もせずに諦めの表情ですごすごと退散していく。

 すげえ、鶴の一声かよ。


「えっと、ありがとうございました」

「このくらいいいってことよ。気にすんな」


 彼らは仕切り直してまた明日にでも来るかと薄ら思ったけど、翌日にはすっかり平穏が戻っていた。

 俺は思った。

 メイヤーさんって影の実力者か何かなの?

 わしのシマで勝手すんじゃねえって一睨みで蜘蛛の子が散っていくの?

 何となくその件は訊けず、逆行してからこっち、俺の中に謎がまた一つ増えた。

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